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答え方の正しいニュアンスとは?
- この記事では、質問文に対する正しい答え方のニュアンスについて解説します。
- 具体的な例を挙げながら、ニュアンスの違いを明確にします。
- さらに、A、B、Cの会話文の例についても説明し、それぞれの違いについて詳しく解説します。
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まず、「は」と「が」の基本的な用法を把握しておくと良いでしょう。 「は」は主題提示(または主題宣言)、「が」は動作や状態の主体の特定です。 他にも色々ありますが、この基本的な用法から敷衍されたものにすぎません。 A <あなた「は」今どこにいる?> : (ア) これは、「あなた」に関して述べますが・・・、という意味の構文になっています。 答える側は、「わたし」に関して述べる、という構文で返答する必要があるわけです。 ・わたし「が」今家にいるよ。 は誤り。 ・わたし「は」今家にいるよ。 と言います。 (イ) <今、誰が家にいるの?>または<今、家に誰もいないの?>という質問であれば、 ・わたし「が」今家にいるよ。 と言うことができます。 B <人「は」飛ぶこと「が」できるか?> : (ア) まず、A と同じく、「人」を主題にして述べている構文と解釈することができます。 この場合、「飛ぶことに関してはできない」というニュアンスにしたければ、 ・人「は」飛ぶこと「は」できません。 と言います。 「できないのは飛ぶことだ」というニュアンスにしたければ、「できない」ということの主体を特定するために「が」を使って、 ・人「は」飛ぶこと「が」できません。 となります。 (イ) もうひとつ、「(飛ぶことが)できるかどうか」に重点を置いている、と捉えることもできます。 この場合、「人」は主題ではなく、「飛ぶ」という動詞の主体と位置づけられますから、 ・【人「が」飛ぶこと】「は」できません。 という表現になります。 【人「が」飛ぶこと】が主題として提示されているわけです。 質問自体は「人は」ですから、「人は~」で返すのが普通ですが、人について述べるというより、飛ぶことができるかどうか、に重点を置いた質問である、と聞き手が解釈した場合、このような構文になります。 ・【人「が」飛ぶこと】「が」できません。 という表現もできます。 これは、まず「できない」ということを言いたい文です。 何が「できない」のか、と言えば、その主体は【人「が」飛ぶこと】です、といったニュアンスになります。 猛吹雪でジャンプ競技が中止になる場合などが想定できるでしょう。 「なんで中止にするんだ」 「この吹雪では、人が飛ぶことが出来ないからです」 その時々のシチュエーション次第で、どの表現も可能です。 C <先生「が」そこまでするの「が」普通ですか?> : この文の骨子は「普通ですか?」です。 「普通」という状態の主体を、「が」を使って、『先生「が」そこまでするの(こと)が』、と特定している構文になります。 (ア) まず、<先生「が」そこまでするの(こと)>を、確定した事柄と判断して答える場合です。 『先生「が」そこまでするの(こと)』についての質問ですから、それを主題として提示しつつ答えるのがもっとも自然であり、 ・先生「が」そこまでするの「は」普通です。 となります。 相手の言ったことを鸚鵡返しに繰り返して、疑問詞「か」だけを削除することで答えにすることもできます。それが、 ・先生「が」そこまでするの「が」普通です。 です。 (イ) 次に、「先生というものは」のように主題提示して、自分の意見を述べたい場合です。 相手の定めた、『先生「が」そこまでするの(こと)』という構図を一旦崩し、「先生(というもの)は」と、新たに主題提示し直すわけです。 その後、「そこまでするの(こと)」も主題として扱いたければ、 ・先生「は」そこまでするの「は」普通です。 のように言います。 一文で、主題が2度提示されていることになりますが、最初の主題「先生」の範疇で述べていることになります。 「先生というものは、それで普通なのだ」と、あくまで先生について述べたい意図の場合は、 ・先生「は」そこまでするの「が」普通です。 となります。 どの文も、主題提示の「は」で示されるものに最も重点が置かれていることになります。 最後の例文、 ・先生「は」そこまでするの「が」普通です。 の場合、先生について述べることに最も重点を置いていることになります。 その範囲内で、「(先生にとって)普通なのは、そこまですることだ」と述べている構図です。 「は」がひとつも無い文の場合は、「が」に続く述語部分に、その都度、重点が置かれることになります。 逆に「は」が複数ある場合は、最初の「は」で示されているのが最も中心的な要素になります。
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- fxq11011
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助詞 格助詞・主格・所有格・目的格・・・?。 「は」=主格。 以降私の感性ののまま、誰の受け売りでもなく、御墨付きもありません、使用する言葉も辞書と異なることも・・・。 主格故、意思にもとずく、主張が強い・・・・。 鳥は飛ぶ、鳥が飛ぶ、いずれもあり得ます。 前者は、鳥の意思、または鳥は飛ぶものである、鳥を強く主張している?。 後者は、単なる表現、したがって鳥以外、木の葉が飛ぶ、瓦が飛ぶ、船が飛ぶもあり得ます、もちろん、船が・・・には即、馬鹿な・・、何事か、等の突っ込みが入りますが、即精神異常につながることはありません。 しかし、船は飛ぶ、木の葉は飛ぶ、「文章として前後の状況にもよりますが、これだけの表現では、精神異常に直結しかねません。 比較しての表現、石は飛ばないが、木の葉は飛ぶ、はあり得ます、石と木の葉の比較=立派な主格(主役=当事者)。 「人は飛ぶことができません。」人以外は可能かも・・少なくとも人は、人は本来・・・ 「人が飛ぶことができません。」単に人が飛べないことを表現しただけ(ただし空を飛ぶには使用しません、溝等を飛び越す意味の、飛ぶ)。 「人は飛ぶことはできません。」「人」「飛ぶこと」の主張が強い、人以外はさておき、飛ぶ方法以外はさておき、できません。 「人が飛ぶことはできません。」主張が強いのは「飛ぶこと」、「人」はその時の成り行き次第「飛ぶこと」が本来か?を否定、「人」以外、本来飛ぶことのないものであれば、なんでも可能。
- fxq11011
- ベストアンサー率11% (379/3170)
>あなた「は」今どこにいる? 「あなた」「どこ」=体言 >わたし「が」今家にいるよ 「わたし」「家」=体言・・・・・いずれも「は」を使用。 私が今家にいることが分かる?。 「私」「いる」=動詞・・・・・「が」を使用。 私は今家にいることが分かる。 「私」「家」=体言・・・家にいると認識してる(理解できる)という意味になります。 >「わたしが今家にいるよ」と「わたしは今家にいるよ わたしが(今家にいる=修飾語として使用)ことが不思議ですか、ならあり得る。
- OKAT
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>これら疑問文を受け答えるときは、これらの答え方で正しいでしょうか (次の疑問文に答えるときは、下段の答え方で正しいでしょうか。) このように( )や『 』に入れたのが、わたしの答えです。 A あなた「は」今どこにいる?(あなた「は」今どこにいますか。句読点を付ける時は一定させる。「です・ます体」も一定させる) わたし「が」今家にいるよ。(わたし「は」今家にいます。「家にいます」だけでもよい) 『「は」で聞かれた時は「は」で答える。「が」で答えるのは特別の場合だけ』 B 人「は」飛ぶこと「が」できるか? (「ます体」にする) 人「が」飛ぶこと「が」できません。(「が」は重ねないのが普通) 人「が」飛ぶこと「は」できません。(このように、「は」と「が」を入れ替えて答えることはしません) 人「は」飛ぶこと「は」できません。(「は」も重ねないのが普通) 『あなたが書き忘れていた 「人は飛ぶことができません または 単に「できません」が正しい』 C 先生「が」そこまでするの「が」普通ですか?(「が」を重ねることはしないのが普通、「先生は」とすればいい) 先生「は」そこまでするの「が」普通です。(上記のように訂正した時は、この回答か、単に「はい、そうです」が正しい) 先生「は」そこまでするの「は」普通です。(「は」も重ねないのが普通) 先生「が」そこまでするの「は」普通です。(「は」と「が」をひっくり返すと意味が違ってしまう。 もし正しければ、(こういう段階的質問はしない方がいい。もし正しくなければ聞くだけ無駄になるから、改めて質問するのがいいのです)取り敢えず、一応正しいと仮定して Aの会話文における 「わたしが今家にいるよ」と「わたしは今家にいるよ。」は ニュアンス的にどんな違いがあるのでしょう? (今回のあなたの質問のテーマはこの「が」と「は」の使い分けですね。その違いは単なるニュアンスの違いではなく、意味の違いです。こうした個別の質問を繰り返すだけでは、簡単に分かるものではありません。最後にもう一度このことに触れますから本気で分かりたければ、改めてこの二つの違いについて質問してください。) 取り敢えず、回答を続けます。「わたしは今家にいるよ。」は普通の答えで、「わたしが今家にいるよ」と答えるのは、 「誰が家にいますか」と聞かれた場合です。(こんな質問は普通しないのですが、「明日は誰が家にいますか」ということはあり得ます。) Bの会話文における 「人は飛ぶことができません。」と「人が飛ぶことができません。」と 「人は飛ぶことはできません。」と「人が飛ぶことはできません。」は ニュアンス的にどんな違いがあるのでしょう? (すでに、「人は飛ぶことができません。」「人が飛ぶことはできません。」の二つにしぼりましたから、この二つの比較ですね。「は」は「主題提示」または「取り立て」の助詞と呼ばれ、その前のものを強く指示します。前文では「人」を強く意識させ、鳥ではなく、虫でもなく、「人」は飛べないと言うのです。後文の場合は、「飛ぶこと」を取り立てて、他の「考えること」、「話すこと」はできるけれど、「飛ぶこと(だけ)」はできません。ということになります。 一方、「が」はこの場合「主格」の助詞で、普通に後の叙述表現(述語)に続く役割をします。 Cの会話文における 「先生がそこまでするのが普通です。」と「先生がそこまでするのは普通です。」と 「先生はそこまでするのが普通です。」と「先生はそこまでするのは普通です。」は ニュアンス的にどんな違いがあるのでしょう? (基本的にはBの場合と同じです。「が」も「は」も同様の働きをしますから、一つの文の中では、同じ働きの言葉が重なることは普通あり得ないのです。)言えば、この質問は無駄な質問です。この意味分かりますか? 最後に「が」と「は」の働き(ニュアンスではなく)について、補足欄を利用したり、外の人にも質問してはっきり分かって置いてください。 そして、無駄な質問を繰り返さないでください。
- xitoaki
- ベストアンサー率35% (36/101)
「が」の方が主語を断定的、限定的にする傾向があります。 これらの解答が合っているか合っていないかはシチュエーション次第かと。 Aなんかは一見違和感を感じるけど、 例えば、家族の誰かが必ず家にいなきゃいけない状況なのに、 みんな出払ってしまっているっぽいことが判明。 そこにあなたの携帯に確認の電話が入りました、というシチュエーション。 『あなたは今どこにいる?』と聞かれたら 『わたしが今家にいるよ。』と回答する。 おかしくはない。 「わたしが今家にいるよ」と「わたしは今家にいるよ。」のニュアンス的な違いは 前者が【家にいるのが誰か】→【わたし】というところに主眼があるのに対し、 後者が【わたしがどこにいるか】→【家】というところに主眼があるのだと思います B・Cについても同様です。
- kine-ore
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A あなた「は」今どこにいる? ×わたし「が」今家にいるよ。 返答としては間違いですから、「もし正しければ、~」の条件付き問いには非答です。 B 人「は」飛ぶこと「が」できるか? ×人「が」飛ぶこと「が」できません。 ×人「が」飛ぶこと「は」できません。 △人「は」飛ぶこと「は」できません。 「人は飛ぶことができません。」だけがまともであり、他の言い回しはそのままでは×(甘く見ても△)ですからニュアンス以前の問題です。 C 先生「が」そこまでするの「が」普通ですか? △先生「は」そこまでするの「が」普通です。 ×先生「は」そこまでするの「は」普通です。 ○先生「が」そこまでするの「は」普通です。 まず問い文を訂正すると、「先生「が」そこまでするの「は」普通ですか?」なので、答えは自ずからその反復肯定形「先生「が」そこまでするの「は」普通です」となります。それ以外の言い回しはしはそのままでは×(甘く見ても△)ですからニュアンス以前の問題です。