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こころのかたち

勿論、こころに「かたち」などあるわけはありませんが。 もし、こころに「かたち」があるとすれば、どのような「かたち」になるべきでしょう? 宇宙のような正十二面体?、太陽系のような薄い円柱?、それともハートマーク? できれば、これこれしかじかの理由で、このようなかたちにならざるをえない、といった、ご回答をいただけると幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • migu01
  • ベストアンサー率16% (103/615)
回答No.1

柔らかい、まるっこいもの。 なんでやわらかいかって、 へこんだりするからね。 なんでまるいかって、 不安定で流されるものだから、ころころしているのです。 たまに、殻がある。 心を閉ざすとかいうときに。 いかがでしょう?

noname#15238
質問者

お礼

なる~ほど、こころの触感まで伝わってきますね。 へこんだこころは、ピンポン球のように、釜茹での刑でしょうか。 有難うございました。

その他の回答 (6)

回答No.7

そういえば、ブルース・リーはこころを空っぽにして、どんな形態も形も捨てて水のようになれと。いってたわね。 ジークンドー(截拳道)のコンセプトには、水のように、ってのがあるのよね。 ちなみに私は、お水関係の仕事じゃないわよ。 水商売は、まさに人生哲学の実践の場です。 そこには、あらゆる混沌といくつかの心理がころがっている。

参考URL:
http://www12.plala.or.jp/staycool/budo/jkd2.htm,http://www.cans.ne.jp/antmam/zenof.html,http://www.jeetkunedo.jp/jkd/wjk
noname#15238
質問者

お礼

再びご回答有難うございます。 お土産たくさんで、お返しも出来ません。 ブルースリー、勉強になりました。 私としては、デンデン太鼓というのでしょうか、二元論的な円形が印象的でした。 マーケティングの関連で、水商売に関して深く考察した方の本を昔読みましたね、名前も内容も、すっかり忘れてしまいましたが(笑。

回答No.6

こころは、水と同じやうなものでせうか。 人それぞれ色々なうつわをもっています。 みな個性をもった様々なかたちでありませう。 ましてや、川の流れのやうに、絶えずうつろいゆくもの。 そして、人間の体もほとんどは、水でできてます。 水にまつわる宗教用語には洗礼と言う言葉があります。 ノアの大洪水そして箱舟は、人間の再生の象徴です。 洗礼には、水浸しになった人々は生まれ変わるという意味があります。 なぜ、イラクでアメリカが苦戦をしいられるのか。 それは、恵みの雨が降らないからです。 自衛隊は数億円かけてでも、200万円分の水を作り出しています。 昔の哲学者のタレスは万物のもとは、水であるといいました。 ことほどさように日本は水に恵まれた国であることを感謝しませう。

参考URL:
http://www2.ocn.ne.jp/~nukunuku/MyPage/SK2.HTM
noname#15238
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 へぇ~、自衛隊は200万円分の水を作り出すのですか。 国家の広告宣伝費でしょうか、美学に下世話な話は似合いません(笑。 こころは「器」のようなものですか 器も難しいですね、瓶はわかりやすいのですが、お皿はどこからが中になるのやら。

回答No.5

心も一つの働きであり、すなわち、作用体なのです。 作用である以上、必ず、主体と対象が授受作用して 存在基台を造成します。 ところで、人間は、霊人体と肉身からなります。 肉身の主体として創造されたのが、霊人体であり、 無形世界(霊界)を主管できる実存体です。 霊人体も、生心と霊体からなり、 肉身は、肉心と肉体からなりたっています。 人間の心は、その生心と肉心が主体と対象の関係に おいて授受作用している作用体なのです。 そのようにして、全ては、主体と対象が 授受作用しているので、遠心力と求心力のように、 回転運動をしています。 この宇宙の全存在は、各自授受作用の原理により 回転運動をして存在しています。 回転運動でなければならない理由は、「永遠」の為 です。回転運動のみが、永遠性を持っているのです。 一般的には、主体を中心として、授受作用をしながら、 絶え間なく、その角度を異にしながら、回転運動を するので、この運動はやがて、球形運動にならざるを 得ないので、全ての存在様相は、球形運動になるのです。 原子も磁力線も、太陽系もこの宇宙も霊界も、 全て球形運動をしています。 それは、神様が永遠に自存される方なので、 その愛する対象も永遠でなければならないからなのです。 人間は、胎中期間を経て、この地上に産まれてきますが、 その目的は死ぬことなのです。 人間は、この地上で、愛を完成させて、すなわち、 霊人体を完成させてから、肉身を脱いだのち、霊界へ 行くようになっていると言うのです。 人間は、皆、この地上がどういうところなのか知って、 産まれてくるのです。 まつげを付けて産まれてくるのです。 空気が要らない世界に居ながら、空気のある世界を 知って準備して産まれてくるのです。 準備期間なのです。それは何を意味するのでしょうか? 「胎中期間」は「目的」があるということなのです。 「目的」が先なのです。 偶然に、胎中期間が出来上がって、赤ちゃんが 産まれたら、偶然、お母さんのおっぱいから お乳が出たのではないのです・・・。 愛は永遠なので、霊界は愛の世界だと言えます。 神様の人間創造の目的は、愛だったと言えます。 神様の愛の完成のためなのです。

noname#15238
質問者

お礼

いつもお世話になります。 回転運動が、イメージとしては判り易いですね。 授受作用や求心力の距離が問題ですね、球体の表面が凸凹で、地球と同じようなものですね。 有難うございました。

  • seiso
  • ベストアンサー率20% (73/352)
回答No.4

こんにちは。 心と結びつく表現は、たくさんありますね。 心模様、心が洗われる、心を込める、心が広い・・など。 >もし、こころに「かたち」があるとすれば、どのような「かたち」になるべきでしょう? 私的には、哲学という難しい分野で理解しようとするよりも、シンプルに優しく考えてみたのですが、球状に近い楕円形のような感じではないかな、と思います。 本来は自由自在に動くもので、しいてあげるならパソコンと心はよく似ていると思うのです。フリーズ、ワープ(心に入り込む、心を刺すとかありますね)同化、反転・・などありますね。 心=魂と思っているのですけれど、人は宇宙の一部分でもあり、宇宙(エネルギー)とも密接な関係があるのだろうと思います。 真我の部分はきれいな、澄み清まったものであり、なかなかこの部分への境地には到達しにくいですね。この部分が通常、人間の最も神聖な領域で、宇宙とアクセス出来るのでは、と思っています。 かたちがないから、七変化のように事象によって変形もするし、四角に生きている人、丸く生きている人、三角に生きている人、さまざまなんだろうと思います。 宇宙的な人というのは、視野が広く、文字通り宇宙的な大きなスケールでもって考えられる人という意味で「例え」によく使われますが、こういう人を目指したいですね。 ぐるぐるとらせん状に回りながら、それでも少しずつ、少しずつ上がって(成長)いき、最終的にはスーっと一本化するように人間の心はなっているんじゃないかなと思います。 私の独自の観念ですので、どうでしょうか(^^ゞ。 興味を持って書かせていただきましたが、fishbowl66さんの思っていらっしゃることとそぐわないかもしれませんが、参考になれば幸いです。

noname#15238
質問者

お礼

大変参考になりました。 体が小さくても、こころの広い人は、心が体から飛び出してしまう・・・それを愛というのかも? こころも、運動しているようで、エネルギーと関係ありそうですし、らせん状の運動は面白いですね、回転でもないし、一方向でもないし。 結局、#3の、ご回答で気が付いたのですが、 例えば、こころを絵に書いたら、どんな絵になるのかな? 賢くならない常識なのか、美学なのか?判りませんね。

  • gekkou
  • ベストアンサー率21% (50/235)
回答No.3

形であらわすとすれば、やはりハート型になる(しておくのが無難)なのだと思います。 確かに心の存在は私も#2の方同様、脳の働きによるものだと思いますが、それとは別に多くの人は「心が痛む」などを表現する時、何故か心臓付近の胸に手を当てると思います。 また、手話においても「心」は指で心臓の周りに円を描く表現をします。 やはりいつの間にか対人間においては心=心臓が暗黙の了解になっているのではないでしょうか? ですから心臓をモチーフにしたハート型が心の形。 正解とは言えないかもしれませんし、哲学的でも無いかもしれませんが、通念的にこれが妥当だと思います。

noname#15238
質問者

お礼

ご回答、有難うございます。 確かに、哲学的ではありませんね(笑。 このご回答は、別の意味で、大変参考になりました。 >通念的にこれが妥当だと思います。 心の形を、ハート型とする、意識が、カントの言葉を思い出させます。よく判らなかったのですが、この事を、言っているのかもしれません。 カントの言葉は、お礼が長くなるので、後ほど補足に入れておきます。勘違いかもしれませんが暇がありましたら検討してみてください。

noname#15238
質問者

補足

お礼で省略した、カントの言葉です。 常識は・・・周知のように・・・感官の対象の背後にやはり何か我々に見えないもの、そしてそれ自体だけではたらくものを思い設けているのである。ところが常識は、この見えないものをすぐにまた感性化するので、・・・換言すれば、直観の対象にしようとするので、このものをまたしても損なってしまうのである、そうしてこういうことをするから、常識は少しも賢くならないのである。 「道徳形而上学原論」 カント 岩波文庫153P 私の質問は、形の無いものを表現する、美学?の範疇ですから、これとは無関係ですよね、ね。

  • sowow
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回答No.2

ぶっちゃけ「かたち」はナイと言わざるをえないと思います。 しいて言うならば、脳の形。 これ以上のものではないでしょう。 以下ではあると思います。 つまんない答えでしたね。 スンマセン。 そもそも、こころは「かたち」ではなく「はたらき」 のことですよね。

noname#15238
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 >そもそも、こころは「かたち」ではなく「はたらき」 のことですよね。 仰る通りですね、そこで、「はたらき」を分析して、帰納や演繹、弁証を駆使して、ありもしない「かたち」納得させる、屁理屈を勉強させていただけないかと、願っています。

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