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ふと思ったんですが・・・
現在、古書と呼ばれる文献(日本書紀とか枕草子etc世界中に溢れるさまざまな文献です)で過去のことを色々学んでいますが、事実なのでしょうか?1.000年後にど●え●ん等見た未来人は西暦1900~2000年代にタイムマシン等さまざまな科学が実在したと誤解するのではないでしょうか?いろいろな文献は過去の人のフィクションではないのでしょうか?世界で一番発行されてる書物とかそうとしか思えないのですが・・・ ふとした疑問です。
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- aburakuni
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古事記の記述は明らかにギリシャ神話等他国神話との相似が見られますし、大化の改新にある蹴鞠での邂逅から入鹿の暗殺まで逸話は朝鮮で記述された歴史の丸写しです。 ただ神話や歴史とされている記述には背景が在り、大和朝廷になる勢力が他を制圧して行った事や、蘇我氏と言う勢力が繁栄し滅ぼされたと言う事実はあったと思われています。 聖徳太子は天皇であった、蘇我入鹿であった、が後の天皇勢力によってそうでなかった形で話が作られて行ったと言う事を、完全に否定する事も肯定する事も出来ません。 しかしギリシャ神話の記述に基づいたシュリーマンのトロイ発見の様に、フィクションの中には事実が潜在する可能性がありますし、現在にあっても報道される事実なるものにフィクションが入っている事も大いにあり得る話です。 要は記述された事柄には、記述・語り継ぐと言う労力を費やすだけの、何らかの意味があると言う事ですね。
- kamobedanjoh
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『鳥獣戯画』は日本の古典です。 見ようによっては、世界マンガ文化の発祥です。 あの図を見て、ほんとに兎や蛙や猿たちが、仲良く遊んでいた時代があったと信じますか?
半分以上、フィクションの可能性があると思います。 例え、それが間違っていたとして、困る人があまりいないからでしょう。 現代の医学論文でさえ、かなりの捏造が噂されています。 遥か昔のことで、証明できる出土品が少なく、証明できる人がいない話なら、 さらに適当に書かれている可能性が高いハズです。 まず、古代、中世などの人が、現代人のように頭脳が発達しているとは考えられません。 それから、どこの国でも現代の言葉になるまでに、かなり文字が変わり、 その過程で、事実が創られてしまった可能性もあるでしょう。
>いろいろな文献は過去の人のフィクションではないのでしょうか? フィクションか否かを検証するのが歴史学という学問です。 これを補足する形の学問が考古学です。 歴史学はあくまでも文献資料に基づいて研究する学問です 考古学は、物に基づいて研究する学問です。 有名なのが邪馬台国論争です。 現在、学会ではほとんど相手にされていません。 歴史マニアは、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条(通称魏志倭人伝)に書かれていることは事実である。と信じて議論しています。 逆に江戸時代に起きた赤穂事件は、芝居の忠臣蔵が有名になってしまい、起きた事実よりも芝居の台本のほうが本当だと信じている人も沢山います。 聖徳太子という人物なんぞいなかった、と主張している歴史学者もいます。 中国では王朝が代わる度に歴史書が作られました。 現在の王朝が如何に正当な王朝であるのかを証明する書籍として大切にされました。 結果として、以前の王朝が如何に不適切な王朝であったか、という書き方になります。 歴史学の先生が頭を悩ますのはこの為です。 こっちの文献に書いてあることと、あっちの文献に書いてあることとは違うが、どちらが事実かと一生懸命やっています。 現在の尖閣諸島や竹島問題、北方領土問題も全てこの延長線上で起きている問題です。 >1.000年後にど●え●ん等見た未来人は西暦1900~2000年代にタイムマシン等さまざまな科学が実在したと誤解するのではないでしょうか? マニアは実在したと思うかもしれません。 歴史学の先生はフィクションだ、と断定されるでしょう。 >世界で一番発行されてる書物 聖書のことでしょうか? どの部分が事実でどの部分がフィクションか、ということを欧米の考古学者がセッセとやっています。 ノアの箱舟が浮かんだ大洪水の跡を発見した、とか、モーゼが海を二つに割った現象は事実起きていた、とかなんとか一生懸命やっています。・・・今のところ認めてくれる人はあまりいません。 源氏物語も枕草子も、描かれている宮廷の情景については、事実に基づいて書いたものと考えられています。 ただ、源氏物語の登場人物や話の筋はフィクションとされています。 このような検証と文芸作品としての評価とは全く異なります。 新聞記事が事実のみ書かれていても、文学作品とはみなされないのと同じです。 文献や事物が残らない風俗習慣などの歴史を研究する、民俗学や文化人類学などでは、小説やお伽噺や伝説も大事な研究資料です。 フクションだからといって放り出す訳にはいきません。 これからも色々な文献を読まれてゆかれることかと思いますが、これホント?という観点は常に持ち続けて下さい。
- chiha2525
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聖書なんかは、18世紀ごろかな、それまでの書かれていることは全て正しいという盲信からの反省で、斉一説という考えがでました。昨日も1年前も100年前も1万年前も変わりなく同じ、天変地異などなかった、という発想です。 そこから徐々に研究が進み、気象なんかも結構変動があった、水面なんかも上がったり下がったり、などが分かってきて、そんなこんなが聖書の元ネタになったのではないかという話がところどころ出来る程度にはなっています。 また聖書のほうも、例えばノアの箱舟の話などは、メソポタミア神話(だったかな)に同じ話が見えることから、成立年代から言ってメソポタミア神話の話を固有名詞を変えて取り入れたのだろう、などと言う程度には分かってきているようです。 まぁ簡単に言えば、全部正しいや全部間違いという話はとっくに終わって、では書かれているのは一体なんなのか、というところでしょうか。 ところが日本では、日本書紀(やら古事記)を、全部正しいや全部間違いのレベルでしか見れていない者が多いような状況です。ひどい話ですよね。
- ultraCS
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質問者様は、平安時代には竹からお姫様が産まれ、月から迎えが来て帰って行ったのを事実だと思いますか? と言うのと同じことだと思いますが 日本書紀や古事記は当時の支配者が作った歴史書ですが、並行して存在する中国の歴史書、国内で発掘された銅剣などに刻まれた金石文などを傍証として確からしさが研究されています。支配者の都合優先ですから、フィクションも含まれているでしょうが、すべてフィクションでは無さそうだということですね。