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コトバは 虚構ではないのか?
コトバは 何らかの実質的なものか? もしくは実質のあるものを指し示す場合には 虚構ではないか? つまり《意味内容》と コトバ(音声・文字)とは 一対一に対応しているのだろうか? コトバは シルシであるのではないか? 方便であり 補助線であり 虚構として用いるものではないか? 虚構が――小説作品と同じように―― 一編の真実を表わすことは もちろんある。つまり 補助線であるのではないか。
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noname#194996
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お礼
ええっとですね。この質問にかんしては とまどっています。 まづは こまあす88さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ご見解に接して 次のようなことを考えてみました。 ★ 言葉は嘘でもありうる、ということをおろかにも発見したからでしょう。 ☆ ということは こうなります。 ○ コトバは 伝達される内容として 話し手の真意とコトバの言わば字面じょうの意味との両方を示し得る。 と。《ウソとホントウとの両方を意味させうる》と。 すなわち ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ( a ) 人間の切実な魂の発現であり真実だと思います。 ( b ) それが虚構にまで落ちぶれたのはのちのちのことで、人間がそれに嘘をまぜるようになったからではないでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これら( a )( b )の二重構造をコトバは持つのだと。 ところで ○ この《ウソとホントウ あるいは 真実と虚構》の二重性は 果たしてそのどちらの側面においても 《コトバと意味内容とは 実質的な対応関係にある》と言えるか? つまり 言いかえてみるなら: ○ 話し手(書き手)は 表現するコトバについて おのれの本心とそしてウソとをそれぞれ いづれの側面でも その《本心とコトバとの関係 および ウソ心とコトバとの関係》を実質的な対応として捉えているか? また 聞き手(読み手)も その二重性のいづれの側面についても コトバと意味との一対一の対応関係として捉えているか? なんだかワケが分からなくなってきました。 ○ 二重性において 実質的な対応があるとすれば 一対一の対応とは言わないのではないか? ○ いや それほど複雑なかたちにおいても 人間は その表現行為をこなしているのだ。 となるのか? ところで ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 小説の虚構はまたそれとは異なったものです。芸術という虚構は人間の偉大な発明ではないでしょうか。それは人間を心地よく酔わせる、感銘を与えるという意味ではほとんど真実を意味する虚構です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ こういう場合には コトバは 一たん仲介役であることに甘んじて 意味関係という問題については 虚構であり補助線であるに過ぎない。と言えるのか どうなのか? グローバルな思想としては いったい《コトバ》論は どうなりましょうか? いや ローカルな思想のほうが 生活にもとづいていましょうか。どうでしょうか?
補足
このご回答から潮が変わりました。 あ_ほなさんのご回答へともつづきます。 BA はひとつしかないので。 みなさん ありがとう。 * 未練:《仮構》の中に《虚》が入る余地があり じっさいに入っているのですけれどね。