まあ、現代人の目から見れば確かに粗暴ですけど(苦笑)、しかし粗暴と言い切るのは、当時の時代背景を何も知らない無知からくるものです。
江戸時代の知識人の教養は、ほとんどが漢籍から来ています。
それは儒学を始めとする中国古典であり、また中国の歴史書であるわけです。
島津斉彬みたいに西洋の学問に通じる人もいましたが、これは当時では少数派に属します。
さて、中国の歴史を少しでもかじると分かりますが、かなりの部分が戦乱と領土の取り合いの歴史です。
つまり、中国の歴史に通じているということは、戦国乱世をいかに生き延びるかということと、同意義なのです。
そういう観点で見ると、海に囲まれた日本を外敵から守るには、こっちから進出しなければいけないというのは、ごく理にかなった考え方です。
国際法による秩序が進んだ今と違い、当時は武力で侵略することがタブーではありませんでしたし、そもそも先進国である西洋列強が進んでそれを行っていました。
実際にそれができるかどうかは別にして(まあ、当時の和船では不可能に近かったですが)、理論としては成立すると思います。
それから、幕末の少し前の寛政時代、その後の日本の混乱を予想した警世家に林子平という人がいました。
まあ、あまりにも先見的すぎて、寛政の三奇人に数えられるような人ですが、この人の書いた三国通覧図説には、ロシアの南下を牽制するために、いち早く蝦夷地(今の北海道)を抑えるべしといった主張があります。
幕末に西洋からの侵略に危機感をもった人の多くは、林子平の著作も読んでいたと思われますから、この思想の延長上で、大陸や南洋に進出すべしといった考え方が出てきても、決して不思議ではないと思います。
過去には、過去の事情があります。
過去の歴史的事実を現代の価値観で裁断するということは、思考実験としては面白いかもしれませんが、それを歴史評価として定着させることについては、私は乱暴な考え方だと思っています。
お礼
詳しい説明ありがとうございます。 >この思想の延長上で、大陸や南洋に進出すべしといった考え方が出てきても、決して不思議ではない というのは理解できますし、情報不足から自国を世界に対して相対化できてないことも想像できますが、それだけではあの破天荒な大陸論の説明としてもうひとつ物足りない気がします。 最後のご意見は全く同感です。 まだ国学思想の影響に触れた方いらっしゃいませんが、どなたかお願いします。