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プラトン著「ゴルギアス」について
今日は。 私は、プラトンの書いた「ゴルギアス」という本に出てくる ソクラテスの不正を甘んじて受け入れろという 言葉を読んで悩み苦しむようになりました。 あの本のソクラテスの意見は、自分が人から不正を受けても (不正に人から殴られても、不正に人から悪口を言われたり、侮辱を受けても) 無抵抗でいろ、それが正しい徳のある優れた人間だという意見ですよね? 私は、これで悩むんです。 私は、そんな風にはなれないし、 一体、ソクラテスの意見をどう捉えたら良いのだろうかと。 皆さんは、このソクラテスの意見についてどう思っていますか?
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以下のとおり、⇒のあとにお答えします。 >私は、プラトンの書いた「ゴルギアス」という本に出てくるソクラテスの不正を甘んじて受け入れろという言葉を読んで悩み苦しむようになりました。 >あの本のソクラテスの意見は、自分が人から不正を受けても(不正に人から殴られても、不正に人から悪口を言われたり、侮辱を受けても)無抵抗でいろ、それが正しい徳のある優れた人間だという意見ですよね? ⇒そのとおりですね。特に、ソクラテスが有罪・死刑の判決を受けて牢に囚われているとき脱獄を勧めた(むしろ哀願した)、クリトンに対して語ったくだりが有名ですよね。 >私は、これで悩むんです。私は、そんな風にはなれないし、一体、ソクラテスの意見をどう捉えたら良いのだろうかと。 >皆さんは、このソクラテスの意見についてどう思っていますか? ⇒お気持ちはよく分かります。 ソクラテスは、(1)「国法に従うのが正しい道だ」、(2)「正なる人は悪をなし得ない」とか語ったそうですが、それでもまだ、「自分が人から不正を受けても無抵抗でいろ、それが正しい徳のある優れた人間だ」という意見には納得がいきかねますね。 重要なのは、(3)「目には目、仇討ち、リベンジ…の類は、等価原理を基礎にしてしか成立しないような弱い正義感で、これを超克するような正義の実践こそが必要なのだ」、と彼が考えていたいたことではないかと思います。 「目には目、仇討ち、リベンジ」の実際を考えてみれば、理解できると思います。例えば、ある人(Aとしましょう)に親を殺された子(Bとしましょう)がいるとしましょう。もし、Bが仇討ちでAを殺せば、次には、その子がBを殺そうとするでしょう。これでは、正義どころか、「悪のスパイラル」になってしまいます。 このような考えから、「不正に人から殴られても、悪口を言われたり、侮辱を受けても、同じような報復はすまい」と考えていたのではないでしょうか。(「リベンジは、スポーツの世界だけにしてもらいましょう!?」、と思っていたかどうかは別として)これなら、私も大いに共感できるところです。質問者様のご感想はいかがでしょうか。 以上、ご回答まで。
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- kurinal
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「~のために」って、ことでしょ。 そもそも、可笑しいんですよ。 >「このソクラテスの意見についてどう思っていますか?」 理不尽
お礼
コメント有難う御座います。 なるほど、理不尽ですか。
お礼
回答有難う御座います。 なるほど、不正に対し、不正を返すと、報復合戦になるという事ですね。