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漱石研究における江藤淳の功績についてご教示願います

教えていただきたいことがあります。 江藤淳が学部時代に漱石論(『夏目漱石』)をだし、大変な評判になり、 漱石観の変更にもつながったと以前読んだ記憶があるのですが、 具体的には江藤のどのような論点、分析にインパクトが あったのか、教えていただけないでしょうか。 なんとなく、小宮豊隆のような漱石の弟子たちのつくった 「則天去私という道徳に向かって成長していく漱石観」 を相対化したような印象があるのですが、では、江藤がだした 新基軸はどのようなものだったのか、簡単なお答えでよいのでご教示 いただけると幸いです。 お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

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回答No.4

江藤淳は漱石に自身を見たということ。漱石を語ることが、即、自身を語ることになったということ。こういう手法(他者をかりて自身を語るという方法)は、先に、小林秀雄が提言(実践)していて、江藤は、それを更に明らかなやり方で、実際に試みて成功したということ。 例えば、戦時中、稲村ヶ崎に疎開していて、米兵が上陸したら、「竹やり」で一人殺してから自分も死ぬのだと決意していた少年時代、江藤は図らずも「性」に覚醒(江藤の初恋)していて、そういう原体験が、漱石と嫂の禁断の恋を語る原動力になった。 人というか、世間というものは、最終的に切羽詰った状況に立ち至ると、社会的な束縛とか、禁忌が緩むのであって、そんな時、「性」の目覚めというものが促進される。そういう確信が、江藤に、「漱石の恋」を書かせた。 そして、その第一級資料が、子規宛書簡に出現する「銀杏(いちょう)返しにたけながをかけた」女との出会い。これが、実は、嫂ではなかったかというのが、今日では、定説となっている江藤の「漱石作家(人物)論」。 江藤は自身の原体験のようなのもが漱石にもあった筈と確信した。で、東京にチフスが蔓延した時、理不尽な兄に対する思いとともに、嫂に恋するという事態が生じた。こう考えたのが、江藤の「漱石論」の始まり。繰り返された三角関係の漱石テーマの原点。

yoakenoie
質問者

お礼

ありがとうございます。やはり「漱石と嫂の禁断の恋」という仮説は非常にあやういものですが、「則天去私」通説が席巻する中では、インパクトのある論点だったのでしょうね。

その他の回答 (4)

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.5

 様々な見解が寄せられていますが、たった一つだけ言えば、日本の近代を象徴する人物の一人である「夏目漱石なる風変わりな男」に対し、多分にフィクションとして思い込みが強い江藤淳の見解と、冷静に評価した大岡昇平との間での論争です。  

yoakenoie
質問者

お礼

ありがとうございます。確かに江藤には自分を漱石と同一視するようなある種ナイーブなところもありますが、筆力はやはり圧倒的なものがあることを否めないかな、と思います。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.3

yoakenoie さん、こんにちわ。 私は20年くらい前にこの人の作品である「海は甦る」を読みましたが、肝腎な部分はかなり薄っぺらく書く人だなあと思いました。かなりの気分屋なのかもしれないと思いました。 ただ、小宮豊隆のような漱石の弟子たちのつくった「則天去私という道徳に向かって成長していく漱石観」がかなり嘘っぽいのは漱石の孫である半藤末利子の著作で読んだ気がします。確か、自分に都合がよいように脚色しているみたいだったかな。 私もこの論文についてはわかりませんが、江藤淳の漱石関係の本をご自身で読んでみてはいかがでしょうか? 下記のURLと著作を参照してください。 江藤淳 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%97%A4%E6%B7%B3 『夏目漱石』東京ライフ社、1956、のち講談社、勁草書房、角川文庫、講談社文庫 『漱石とその時代 第1・2部』新潮選書、1970 『漱石論集』新潮社、1992 『決定版 夏目漱石』新潮文庫、1974 改版2006 漱石とアーサー王伝説』東京大学出版会、1975(博士論文)、講談社学術文庫 1991 『漱石とその時代 第3部』新潮選書、1993 『漱石とその時代 第4部』新潮選書、1996 『漱石とその時代 第5部』 新潮選書、1999(未完作、解説桶谷秀昭)

yoakenoie
質問者

お礼

ありがとうございます。高校時代に何冊か読んでみたのですが、さすがに幼すぎというかリテラシーがなさ過ぎて現在何も覚えていません(笑)読み返してみたいと思います。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 漱石とアーサー王伝説―『薤露行』の比較文学的研究。これのことでしょうか。でしたらさほどの意味はありません。江藤淳がどうしても大学教授になりたいとの強い願望から書かれたエッセイに近い作品ですので『漱石論』とは呼び難いとの評価もあります。  江藤が出した結語としては、作家としての漱石が、作家を志す動機なり切っ掛けの部分で、それは漱石のパーソナルな部分をデフォルメしたともいえます。そうした部分で質問者様が日本文学科に在籍される学生であるなら、近年の平川祐弘による『内と外からの夏目漱石』をはじめ、小森陽一の『世紀末の予言者-夏目漱石』、寺島実郎『一九○○年への旅-あるいは、道に迷わば年輪を見よ』そして大岡昇平による古典的な『小説家夏目漱石』などをお読みになることをお勧めします。  そして参考になるのは芥川龍之介の『日記』です。漱石がしばしば顔を覗かせてもいます。

yoakenoie
質問者

お礼

ありがとうございます。皆さんに回答いただき、少なくとも大岡 昇平の論とは併読してみたくなりました。勉強になりました。

  • nooooo
  • ベストアンサー率18% (78/413)
回答No.1

読んでおりませんが、この論文などいかがでしょうか。 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/52664/1/lis01009.pdf 冒頭に「日本の批評における「他者」概念は、江藤淳の『夏目漱石』でその誕生を目撃することができる」とあります。

yoakenoie
質問者

お礼

ありがとうございます。そうか、今現在も(悪い意味でも)存在する「他者論」の出発点が江藤にあったとは・・。今現在の「他者」という言葉を使ったとたんその論文の説得性が損なわれるよな風潮を考えると、今昔の感がありますね。勉強になりました。

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