• ベストアンサー

戦国時代など、中堅の家臣の人を下の立場から呼ぶ時は

戦国時代に限らなくても良いのですが、昔は中堅の家臣の人を目下の人はなんと呼んでいたのでしょうか? 例えば真田幸村は、特に大阪の陣の時に至っては、「若」とか「家老」のような身分や立場など一切ないでしょうが、それでも配下の者はいましたよね? その配下の者達は、幸村のことをなんと呼んでいたのでしょうか? 「様」付けでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.3

大名の家臣団といいますが、実は彼らは自分の領土を持つ、立派な領主なのです。 自治権を持ち、自分の領土の租税の徴収権を持っています。 そしてその租税から領土経営をしますが、大名に租税を納めたりはせず、その代わりに兵役を負います。 それにより大名にご奉公する訳でして、その代わりに領土の経営権を保障されるのが両者の繋がりを担保するものでした。 つまり其の辺りの地域で一番強いのが大名で、それに従うのが小名とか呼ばれたりする小領主となります。 しかし飽くまで、強いから従っているだけですので力関係が逆転すれば、『下克上』となります。 つまり小さい軍団の集合体としての大名であって、大名一人で全てを統べている訳では無いのです。 ですので各領主にそれぞれ直接の家臣がいますし、これも細かく分ければ、村単位や家族単位になるでしょう。 これらの人間にとっては主人は飽くまで直接の雇用主で、其の上の大名から命令をされる謂れはありません。 ですので当然、主君は大名ではなく、直接の主君ですし、大名から命令をされる事も有りませんし顔を合わす事も基本無いでしょう。 第一、大名も家臣の家臣を近くに侍らせたりはしません、危険がありますから。 ですので真田家の家臣は真田家だけの家臣ですので、当然殿は幸村しかいません。 秀頼は飽くまで、主君の上司ですし、顔を見る事は先ず有り得ませんし、戦場に出なかった秀頼では更に其の傾向は強かった事でしょう。

tapa
質問者

お礼

しっかりとした説明もしていただき、ちゃんと腑に落ちました。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9602)
回答No.4

tapa さん、こんばんわ。 一語で「殿」か「様」付けでしょうね。昔の官名で「左衛門佐様」ですかね。それから真田家以来の旧臣もいたと思うので、そういう人は一語で「殿」でしょうね。

tapa
質問者

お礼

官名に様が入っているのですか。 ご回答ありがとうございました。

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.2

「中堅の家臣の人」と「目下の人」との関係は? 家臣であれば主人様とか殿とか 他家の人間であれば~様

tapa
質問者

お礼

なるほど、関係性によっても変わりますか。 ご回答ありがとうございました。

  • oyuto01
  • ベストアンサー率8% (32/387)
回答No.1

同じ家中に仕えている者であれば目下の人から上の人(上司や先輩)に対しては「~殿」ではないでしょうか。 例えば大阪の陣の例で言うと幸村には豊臣秀頼という主君がいたことになりますが、幸村の配下の者からしたら幸村が主君になるので、幸村という名前が正式名称であったなら「幸村様」と呼んでいたことになるでしょう。

tapa
質問者

お礼

「殿」「様」になりますか。 ご回答ありがとうございました。

関連するQ&A