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おんな城主直虎~関口瀬名姫(築山殿)母が井伊の女?
10月29日も,大河ドラマ『おんな城主 直虎』を拝見しておりますと,岡崎城に行った小姓の,井伊直政(万千代)氏に,築山殿(関口瀬名(姫),徳川家康氏の正室で,今川氏の親戚の女性(奈々緒さん演))が,『自分の母親は 井伊氏出身』と言っていましたが,私は,初耳です..関口氏は,今川義元氏の親戚筋の方ですが,妻は,井伊氏の娘,女性だったのでしょうか‥‥‥??戦国時代の井伊氏は,遠江の国の,小領主で,小さな豪族や,国衆ですよね‥‥‥今川氏の家臣だった,小野氏の方が,井伊氏の家老に送り込まれたようですが,確かに,井伊氏の女性が,今川氏の人質に,行っているようですが,関口瀬名(築山殿)の母親なのでしょうか‥‥‥?一応,関口氏は,今川義元氏の親戚の領主ですから,井伊氏とは,ちょっと,身分違いのような気もします..築山殿は,かなり,プライドの高い姫君だったようですし,井伊直虎のことって,知ってたのでしょうか‥‥‥???大河ドラマでは,マブダチですが‥‥‥‥ちょっと疑問に思ったので 質問しました m(__)m 。
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- jkpawapuro
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築山殿の母親が井伊家の出たとする説はあるのですが、その資料はすべて井伊家から出ていますので井伊家の一方的な主張となります。あまり信憑性はありません。 正確な時期はわかりませんが関口親永の年齢と義元の年齢、そのときの義元の状況からすると、おそらく義元は花倉の乱を制して今川家全体の掌握に励んでるころ、そして関口家は今川家臣団の中で朝比奈岡部庵原と並ぶ有力な家柄です。歳もちょうど同年代ですし、当然縁戚を組んででも関係強化したいところでしょう。関口家とでは外様もいいところの弱小国衆の井伊家では格が違いすぎます、通説どおり今川義元の妹であるほうがよっぽど筋が通るでしょう。 家臣の娘を幼女にし縁戚を組むといった話では小松姫が一番有名かと思います、あれだって小松姫の出自は家康の四天王の一人です。真田の子せがれ相手でも縁戚を組むためには家老の娘です。家康における真田信之より当時の義元における関口家のほうがはるかに重要性が高いのは明らかでしょう、となると井伊の娘はいくらなんでも無理筋でしょう。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
kitsunetoneko さん、こんにちは。 一説によると今川義元と井伊さんとこの娘との間に生まれた娘らしいです。側室ですね。つまり、義元の娘ですから気が強いんですよ。関口さんの娘というのはちょっと嘘らしいですね。「三河物語」では、真実性に乏しい。確かに竹千代を人質に出したけど、いじめていたというのはうそです。
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ご回答下さり ありがとうございます m(__)m なかなか面白い説ですね‥‥Web上の,私小説サイトやブログなどには,人質として,今川氏のもとに居たらしい,井伊直平氏の娘は,大河ドラマ『おんな城主直虎』では,佐名(竜潭寺の和尚の妹)が,今川義元氏の愛妾となり,分家筋の家老,関口氏に嫁いだとなっていますが,井伊直平氏の娘の美貌に惚れ込んだ,今川氏の兄弟(寿桂尼の息子達)というような設定で,今川義元氏が,年上の,井伊直平氏の娘を愛したとかで,築山殿(関口瀬名姫)は,実は,今川義元氏の娘という感じです..年齢的なことを考えると,どうなんだろぅとも思いますが,築山殿は,かなり嫉妬深い,プライドの高い女性だったようですので,もしかすると,今川義元氏の隠し子かもしれませんね‥‥‥?徳川家康氏は,そんな築山殿に,嫌気が,さしていたのかもしれませんが,桶狭間の合戦以降は,側室も多く,ほとんど,別居状態でした..
- fujic-1990
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> 戦国時代の井伊氏は,遠江の国の,小領主で,小さな豪族や,国衆ですよね > ちょっと,身分違いのような気も ですが、井伊直政(万千代)が何度も「井伊のはちすけ」と連呼していたのをご記憶でしょうか? 槍の手入れができるか、潰れた家なので知らないかと思った、などと侮辱されたときに叫んでいました。 「はちすけ」 というのは「八介」で、武家の8人の「介」の事です。 そして「介」は、律令制度下では、長官の補佐をする「次官」です。 秋田城介、三浦介、千葉介、「上総介」、狩野介、富樫介、大内介、「井伊介」の8家です。 「上総介」は、説明不要、超有名ですよね。 井伊介は、遠江の介です。つまり、「ここ20年くらいはダメだったが」もとを正せば「遠江の介だぞ」というわけです。 だから、家の格式としては、今川家といえども、決して侮ってよい立場ではないわけです。
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ご回答下さり ありがとうございます m(__)m う~ん 大河ドラマ『おんな城主直虎』上の,井伊直政(万千代,虎松)氏のセリフにあった,『井伊の八介』については,私も,知らなかったので,少し Web上で調べますと,かなり昔の話,古代~中世にかけてのことなどのようですね‥‥‥上総介は,平将門ですか‥‥?織田信長氏も,一時,上総介を名乗ってましたね‥‥井伊氏(渋川井伊氏?)の発祥については,諸説有り,本姓なども,あまり,はっきりしないようですが,南北朝時代などは,南朝の後醍醐天皇側についていたとかで,戦国時代は,遠江の守護職などをめぐって,守護大名の今川氏と,斯波氏との間の戦で,斯波氏側につき,最終的に,今川氏に敗れ,その後,没落したとかですし,今川氏は,足利将軍家の,足利氏の分家筋の家柄ですから,井伊直政氏も,幼少時に,父親が亡くなり(殺害され),寺に預けられていたので,先祖の,『井伊の八介』とかについては,多少は,知っていたのかもしれませんが,かなり昔のことですし,今川氏は,知っていたのでしょうか‥‥?今回の,大河ドラマのような,井伊直政(万千代,虎松)氏の,浜松城の草履番とかのエピソードなどは,フィクションだと思いますが,やはり,戦国時代の井伊氏と,今川氏や,今川氏の分家筋の関口氏との,つながりなどが,私には,あまり,見えて来ないのですが‥‥‥
- yougamaster
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no1の回答を訂正します。 「築山殿の母は井伊の系図によると井伊直平の孫娘で」 は、「井伊直平の娘で」に訂正いたします。 もうしわけありません。
お礼
ご回答下さり ありがとうございます m(__)m 『井伊直平一代記』などの資料の記述が,正しいのかは,疑問ですが,今回の大河ドラマの設定では,井伊直平氏の娘が,築山殿の母親ということでした..ちょっと初耳だったので,びっくりしました..
- yougamaster
- ベストアンサー率50% (60/120)
母は今川義元の伯母とも妹ともいわれ、諸説あるようですね。築山殿の母は井伊の系図によると井伊直平の孫娘で、先に今川義元の側室となり、後にその養妹として親永に嫁したということのようです。 大河ドラマではこのような設定ですね。
お礼
ご回答下さり ありがとうございます m(__)m 。
お礼
ご回答下さり ありがとうございます m(__)m 私も,ご回答者様のご意見に近い考えなのですが,Web上の情報を拝見しますと,『井伊直平一代記』という資料などに,『井伊直平氏の娘が 築山殿(築山御前)‥‥』という記述があるようですが,井伊直平氏は,八十五歳まで生きたようですが,これも,年代的に,怪しいですし,井伊直政氏の,急激な出世や,昇進などを説明する為の,こじつけや,理由付けに,井伊直政氏の,小姓時代の徳川家康氏の寵童イメージや,説,築山殿(関口瀬名姫)との関係,縁者説(徳川家康氏が,井伊氏の縁者の,築山殿や,息子の岡崎信康氏を,殺害・処分したことへの,罪滅ぼしなどで,井伊直政氏(幼名;虎松)を,引き立てた説)などなどが,巷で,流布しているようで,大河ドラマ『おんな城主直虎』でも,井伊直平氏の娘が,今川義元氏の愛妾となり,後に,今川氏の分家筋の,関口氏に嫁いだ設定です..確かに,井伊氏は,古代や,南北朝時代などまで,遠江国の,有力な豪族などとして,活躍していたようですが,戦国時代の,今川氏と斯波氏との戦いでは,斯波氏側に荷担した井伊氏は,井伊谷城の支城に籠るも,落城し,それ以降,井伊氏は,没落したとかですし(渋川井伊氏?),確かに,井伊直平氏には,娘が居ましたが,名前も,よくわかりませんし,どうなんでしょうね‥‥ちょっと,築山殿と,井伊氏の関係性や,縁者説は,眉唾物のように思います..井伊直政氏の場合は,肖像画を拝見しても,かなり,イケメンで,眉目秀麗,聡明な感じの武将にも,思えますし,寵童説が出るのも,もっともかもしれませんが,やはり,幼少期に,小野但馬守からの追撃を避ける為,お寺に預けられ,勉学などに励んでいた,高い教養などが,徳川家康氏の目に留まったのかもしれませんし,豊臣秀吉氏にも,気に入られ,出世しており,やはり,井伊直政氏自身の魅力が,彼の出世などに,繋がったのだと思われます..関ヶ原の戦いの後は,奇しくも,豊臣秀吉氏の小姓だった,石田三成氏の旧領,近江に,領地を,得ていますしね‥‥