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何かに心が捕らわれて事実を見失った事はありますか?

テーマにかいてある通りです。 あるものに執着し過ぎて実際とは違う事を思ってしまい、事実を見失った、という体験はありますか? 難しく考えなくて大丈夫です! お願いします!!!

質問者が選んだベストアンサー

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  • zakogun
  • ベストアンサー率56% (69/123)
回答No.1

現在25の男です。 過去、かなり病んでいた時期に彼女しか見えなくなった時期がありました。 それによって失ったものは大きかったと思ってます。 今だからこそ思いますが、「おれ、なにしてんの?笑」っていう具合ですね^^; よくあるパターンは、他人がこう言っているという「こう」を思いこみすぎることが多いのでは? それほど大したこと言ってないのに嫌われた!なんて思う方、いるじゃないですか。 職場とかですと、勝手に思い込んでいると思われてる方ですね。 こういう方は総じて自己アイデンティティが欠乏していると感じます。 他人というものに執着しすぎて、自分を見失っている。これが今の世の中一番多い現象ではないでしょうか。 私もその一人でしたので大きな口はたたけませんけどね^^;

その他の回答 (2)

回答No.3

こういう事は今の世界では沢山存在すると思います。簡単に結論から書くなら『頭の中の世界観』VS『真実の目の前の世界』が違ってしまう現象、つまり『妄想』として世の中を見てしまう現象という意味の事です。 こう云う事が生じてしまう事は、誰にでも起こりうる事ですので具体例を書いてからその抜け出し方を書いてみます。 一つは『自律神経失調症や過敏性腸症候群』などを代表とする、心が感じている事と、”身体”が感じている事に付いての違和感(漠然とした不安感)を抱く事です。真実の世界では『身体の機能も、脳の機能も』正常に機能している場合です。 一つは『神経症』と、昔言われていた症状群に入る内容です、是は、心が感じている事と、”行動を通じての自分”が感じている事に付いて違和感(漠然とした不安)を抱く事です。真実の世界では『身体の機能も、脳の機能も』正常に機能している場合です。 一つは『心を病む』と形容される事を特徴とする状態です。心が感じている事が、自分の”心”が感じている事と食い違っていると錯覚する現象です。真実の世界では『身体の機能も、脳の機能も』正常に機能している場合です。この場合もやはり『自分の心に違和感(漠然とした不安)』を抱く事です。 この違和感を何処にどういう風にして感じているのかで、どのように判断されるのかは違う様ですが、『キーワード』は『違和感、或いは漠然とした不安』と言う事になります。 今書いた三つの病名は全く違って見えていますが、同じ原因から発症しています。それは意識する事によって生じています。 こういう状態は『妄想を抱く事によって更なる妄想を大きく膨らませる事』が特徴ですがこの状態によって、今の日本は自殺が高止まりになっている実情があります、そう云った原因を、今の精神科医がその他の医師に比べた場合には、自殺率が7倍にもなっている事にその原因を探る事も出来ると考える事は、考えすぎでしょうか?又その原因をたどるなら、自殺率を極端に高くしている精神科医達を育てている精神医学の教育内容の貧弱さと書いたら叱られるでしょうか? 心を病む、或いは精神を病むという場合に、心の、精神の医療がありますが、その従事者の自殺率が、7倍にもなっている実情に日本の精神医療の貧弱さが垣間見られると言う意味です。 そういった精神科医達の自殺率の低下を促すために、一般の何の資格も無い、一個人が書かざるを得ないと思って書いています。 明治時代には資格よりも実績がものを言っていたようですが、全ての実績で日本の開花が成功して、全ての実績で、世界から日本が認められるようになったと見ています。 今の資格を優先する日本の実情は、教育委員会が実権を持つ事によって、教育界の責任者がいなくなって『資格』だけを重視してその内容が乏しくなっている今の日本人の『魂の教育』をないがしろにしてきた教育とあいまって、日本をだめにした二本柱とさえ感じています。 先生の資格と医師の資格という二本の柱が教育の原点と日本の魂の原点を失わせて来た!と書いたら叱られるでしょうか? この話は置いておいて、先に書いた三つの違う病名に付いてです。これはノイローゼと書いても良い事柄です。先に書いた『違和感』=『生き難い想い』=『漠然とした不安感』が何処から生じているのか?を説明して、その事によって生じている『意識地獄状態(妄想の世界(』からの解放の仕方を書いてみます。 始めに人間の心の構造です。それは脳の機能によって生じているメカニズムです。人間には二つの心があるからです。科学的な証拠をウイキペデアから紹介して置きます。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 『脳内の二つに分かれた機能が争い始める事』を意味します。どういう争いを演じるかの参考になるかも知れないですので、脳卒中の為に、自身の内部から『その機能』を実体験した脳科学者の動画を載せてみます。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。 この動画で語られている内容が『心に感情や考え』が、沸き上がるシステムの実情です。この感情や考えを沸きあがらせている者が『右脳に存在する人格』ですが、分りやすい表現をするなら『無意識界の主人公です。』 他の言葉で言い換えるなら『一念』です。この一念に対する『自我意識の念が=二念』です。本人が分ろうと、分からずにいたとしても、一念と二念は対話をしています。この対話が途切れた状態が『妄想を抱くきっかけとなっています。』 つまり『沸き上がる二念が、一念を否定する場合です。』精神薬はこの二念の情報を遮断する効果で出来ています。沸き上がる『一念』を否定すると言う意味ですが、即ち『自己否定している事』を意味します。 この自己否定感が、自分と、真実の目の前の現実を共に否定する事になります。いわゆる妄想が始まる原点です。この場合の否定する事柄が『ストレス』と呼んでいるものです、『受入れられないものや、事柄です。』この『嫌ってしまって、受入れたくないと思っている事柄』が、後に症状となって拡大されたものに変化する原点です。 先の動画に有るように、右脳からの情報を受け取ってから、”心”は『考えや感情』が湧き上がっています。右脳の働きは生命維持機能が全てです。現実の目の前の情報を『真実の情報として』脳梁を介して送っています。 此処に『あるものに執着し過ぎて実際とは違う事を思ってしまい、事実を見失った、という体験はありますか』と言う原因があります。 分りやすく表現するなら、誰の目の前にも真実の世界は広がっています、全ては平等に広がっています。ところが『個人の受け取り方は違っています。』この受け取り方の違いによって、妄想は始まっています。 同じ職場、同じ教室に於いてもその場、その時にストレスとするものが有る人と無い人がいます、この場合の違いは、ストレスとして感じている人は『自分の頭の中で、本当はストレスではないものを、ストレスに作り変えています。』 沸き上がる考えや感情を、受け付けたくないとして『否定している。』と言う意味です。その否定感を引きずってしまって、全てに対応しようとしています。 この意味は『全てに懐疑的になってしまって、全てに否定的感情を持って対応しようとしている。』と言う意味があります。自身の中の一念、つまり雑念を否定するように対応している事を意味します。 この繰り返しが『ノイローゼ=負の感情の悪循環』の始まり、と言う意味があります。 誰が何を云っても聞けなくなる状態の始まりです。本人でさえも『頭では理解しているものの、感情が付いてこなくなる現象です。』 ノイローゼの実態とは、頭の中の世界が、現実の世界の中の内、嫌な事や、受入れられない真実を『予期不安(過剰な防衛機制)』が働くために、現実を捻じ曲げてしまって、頭の中に、架空の現実を作ってしまう状態』と言う意味になります。 現実には無い事柄を真実として、認識してしまう現象です。従って『本人の思い込みは大変強いものになっています。』 この強い思い込みによって、『心を病む事』と『神経症』と『自律神経失調症や過敏性腸症候群等』の『自分の心が感じている違和感』或いは漠然とした不安感や生き難い想いが解消し難いものになっています。 貴方の書いた言葉『あるものに執着し過ぎて実際とは違う事を思ってしまい、事実を見失った、という体験はありますか?』と言う言葉は、大変分りやすく表現しています。 先に書いた三つの障害(病症群)を言い表すなら『心や身体や行動の違和感(受け取りたくないとする、或る嫌な感じ)を、心の中から追い出そうと執着してしまって、『自分の身体の機能と、脳の機能も正常』と言う事実を見失ってしまった。』と言う体験に当たります。 『ゲシュタルト崩壊』と言う言葉がありますが、この意味は『一つのものに、心を集中させようとする時、心は反って集中出来なくなると言う意味ですが、厳密に表現するなら、心は集中していない時にこそ、『集中している』と言う意味です。分り難いですのでもう一度違う表現で説明します。 ものを見る場合で説明するなら、只単に見ている時には見えていたものが、『見ようと意識した途端に』見ようする自分と『見ている自分』に『心が二つになってしまって』見えなくなってしまう現象、と言う意味です。 この意味は『人間の意識性』によって、出来たものが出来なくなる場合を予言しています。何も考えずに出来た事が、よく考えたり意識した時に出来なくなる場合です。 こう言った『意識性の壁に突き当たる事を、ゲシュタルト崩壊』と言っています。この時には『心は二つになっています。』その有様は動画の世界で想像して下さい。 人間は『意識する自分』と『無意識の時の自分』が交替制を取っています。この交替制が順調に行っている場合を『健常者』と言っています。 この交替制に軋みが入る時『違和感として感じています。』この違和感を具体的に表現すると『症状名』になります。字数制限になりました。  

noname#207103
noname#207103
回答No.2

自分を埋めてくれるものが欲しいそればっかり思ってました。 それで法律を違反しました。 それに友達も巻き込んで すごく傷つけました。 迷惑もかけましたし。泣かせました。 でもものすごく傷つけてしまったにもかかわらずずっとそばにいて助けてくれました。 自分にはこんなに自分のことを考えてくれる人がいるのに ずっとそばにいてくれる人がいるのに 何が寂しかったんだろうって思いました。 今は親友になって全然寂しくなくなりました。笑

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