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刑法における責任能力の根本思想
刑法において、心神喪失の被告に対して減刑か無罪が言い渡されることがありますよね。 哲学と刑法の関わりを勉強しているのですが、この責任能力の問題と関連して、 ・法は誰の為にあるのか 何のためにあるのか ・法における人のアイデンティティとは何か(例えば薬物によって心神喪失になった人が殺人を犯して無罪を言い渡されるなら、私達は何を行為するかではなく何を思うか/何を意図するかで定義付けられることになると思います) この辺りについて、現行の刑法が採用している思想、その思想を定義した哲学者、またそれが呈示された著作など、知っていたら教えてください!
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"刑法において、心神喪失の被告に対して減刑か無罪が言い渡されることがありますよね" ↑ 心神喪失なら無罪ですね。 減刑はありません。 減刑されるのは心神耗弱です。 ・法は誰の為にあるのか 何のためにあるのか ↑ 刑法のこと、と理解してよろしいですか? 刑法なら、犯罪を侵した者を罰することにより 特別予防と一般予防を図り、もって社会の秩序を 維持する為にあります。 特別予防、というのは犯人が再び、犯罪を侵さない ようにすることです。 一般予防というのは、犯罪予備軍を威嚇して そいつらに犯罪を侵すことを諦めさせることです。 ・法における人のアイデンティティとは何か ↑ 質問の意図というか意味がよく解りません。 それで 「刑法における責任能力の根本思想 」 について回答しやす。 犯罪を侵した場合、どうして犯罪者を処罰できるのか、 と言えば、彼は、犯罪を侵す、侵さない選択肢があった 訳です。 それなのに、あえて犯罪を侵す道を選んだ。 そこに彼を非難できる根拠がある。 だから処罰できるのだ、ということです。 これが通説で「非難可能性説」といいます。 もう一つ、どうして処罰できるのかと言えば、そんな奴が 社会にいては困るからだ、という説もありますが、 これは少数説です。 これを「社会防衛説」といいます。 それで通説に従った説明をします。 通説によれば、選択が出来たのにやった、ということが処罰の 根拠ですから、 選択できなかった場合は処罰出来ないことになります。 選択できなかった場合というのは、いくつかのモノが考え られますが、責任能力もその一つです。 事理を認識したが、精神に疾患があって、犯罪を侵さずに済ます ことが出来なかった、という場合には、その人を非難できず 処罰も出来ないことになります。 心神喪失がその例です。 ”この辺りについて、現行の刑法が採用している思想、その思想を定義した哲学者、 またそれが呈示された著作など、知っていたら教えてください!” ↑ この程度のことは、刑法の教科書には皆、書いてあります。 ”薬物によって心神喪失になった人が殺人を犯して無罪を言い渡される” ↑ これについて、少し説明します。 薬物によって心神喪失になり人を殺した場合。 薬物を服用すれば、そういう状態になることを知って やった場合は、殺人罪になります。 これの理論構成は専門的になりますので省略しますが 刑法理論では「原因において自由な行為」の理論 と言われているもので、刑法を勉強した人なら 皆知っています。 尚、そういう状態になることについて、過失があれば過失犯 になる訳です。 過失も無い場合に、晴れて無罪になります。
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- kurinal
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こんばんは。 >「薬物によって心神喪失になった人が殺人を犯して無罪を言い渡される」 そうした「結果(例では「殺人を犯す」かもしれない)」を予見しながら、 それでも「薬物によって心神喪失になった」という場合、 その責任は問える(無罪とはならない)、というのが現行の刑法と思います。 犯罪者というのは、民事責任の上に刑事責任まで負うので、はありますが、 教育刑的な発想から「更生」を、ということもあるでしょう。
- ukiyotonbo
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>・法は誰の為にあるのか 何のためにあるのか あなたの為にあります。あなたの権利を守るためです。 >・法における人のアイデンティティとは何か まず、法人を除きますが、生きている人である限り、その状態がどうあれ権利の主体です。刑事責任の主体も人となり、どう判断して何の行為を行ったのかが問われます。 人というのは公理にあたるもので、定義は生物学的に人であることです。「何を思うか/何を意図するか」は、人に存在するものであって、これによって人が定義されるということではありません。
- hekiyu
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#3です。 高校生でしたか。 ”いま高校に在籍していて「刑法の教科書」というのがどのあたりのもの を指すのかよくわかりません。” ↑ ゴメンナサイね。大学の法学部の教科書です。 ”そこまで詳しい内容はいらないのですが、分かりやすくさわりを教えてくれる ようなお薦めの教科書はないでしょうか。” ↑ う~ん、申し訳ないがそういう教科書は 見たことがありません。 法律とは、というのは結構難しく、 法学部を卒業した人でも、よく理解していない 人が多いです。 私の友人で、法学部卒てのが何人かおりますが、 皆ダメですね。 それに法理論てのは、かなり難しいです。 それこそ、かなり腰を入れて勉強しないと 理解できないです。 司法試験の受験生あたりでも、理解して いないひとがけっこういます。 尚、刑法の基本を、応報とするか、教育とするか 日本のみならず、欧米でも争われてきましたが 応報が基本とされています。 これを古典主義といいます。 教育とする説を近代主義といいます。 違いですが、古典主義では、いかに社会に都合が 悪くても、悪いことをしない限り刑法は適用されない ということになります。 これに対し、近代主義では、悪いことをしなくても、 社会に都合が悪ければ、刑法を適用してよい、 ということになります。 それで、現代では、古典主義を中心にしつつも 近代主義を取り入れた刑法になっています。
- 雪中庵(@psytex)
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日本の刑罰は、報復ではなく矯正のためである事は知られています。 その最たるものが、未成年の犯罪に対する対応です。 一人前の社会的判断の未熟な段階での犯罪は、当人の罪というより 保護者の問題であり、即刑務所の前に、鑑別所や少年院といった 保護処分=矯正を中心とした処遇が優先されるのである。 この「社会的判断の未熟」が、未成年であれ疾病であれ同じ事で、 正しい判断力のない人間に罰を下しても、それによって矯正されないと 考えられる。 もちろん放任すれば再犯する恐れがあるので、心の病気なら入院、 病気でなければ保護観察下において、長期的に矯正を図るのである。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 くわしく知らないので 知りたい・はっきり確認したいと思って投稿します。 心神喪失と見なされるということは 通常の意志行為の能力を そのとき 持たないと判定されることではないのですか? つまり その行為が 犯罪として有罪か無罪かと判断されるという問題ではなく そうではなく有罪無罪となりうる犯罪行為じたいをおこなう能力も心の状態をも持たないと決定されることではないのですか? つまりは つうじょうの人間の社会生活をおこなう人間の状態にはいないと見なされたことを意味しませんか? つまりその行為をおこなっているとき その人は 人間ではないと見なされた・つまりは動物と同じだと見なされたことなのではないですか? 犬や猫に有罪判決をくだしても 仕方がありません。 したがって人間に復帰するまでときを俟つという結論になると。 哲学カテにおける議論が そのような人間以前の思考能力と意志(対話能力)との状態にある人も あんがいいますよね。
法は誰の為にあるのか 何のためにあるのか 法は万人のためにあり、万人は法の下に平等自由です。 心神喪失等で無罪となった場合、 「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(通称・医療観察法) により、処遇が決められます。 他害、自害の恐れがある場合は、処置入院させ治療にあたり、 そこまでの恐れが無いだろうと判断された場合は、保護観察官等により通院治療と観察(監視)が行われます。 他害した人が心神喪失として無罪とされても、即座に無罪放免とういうことではなく、あくまでも、刑事責任を問わずに治療に当たるというのがその趣旨です。 ただ、無罪と成った訳ですから、プライバシーの問題から実際のところはわかりません。 参考までに(精神障害のある人の人権 関東弁護士会連合会編 明石書店など参考著作も載っています) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E8%A6%B3%E5%AF%9F%E6%B3%95
お礼
法を犯したことを罰するというよりは、更正させることを優先するということでしょうか。 どうもありがとうございました。教えてくださった本読んでみます。
補足
詳しい解説どうもありがとうございます。 言い訳になるかわかりませんが、いま高校に在籍していて「刑法の教科書」というのがどのあたりのものを指すのかよくわかりません。 司法試験を受けるわけでもないので、そこまで詳しい内容はいらないのですが、分かりやすくさわりを教えてくれるようなお薦めの教科書はないでしょうか。