- 締切済み
古文の木曾の最後についての質問です!
古文で木曾の最後について勉強していて、 義仲が粟津の松原に行くときさらば、と言うのですか、なぜさようなら、の意味では無いのでしょうか? 先生に聞くと感覚、と言われたのですが…明確な理由などないのでしょうか? よろしくお願いします
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
No2の方が「歴史物語におけるかっこ良さ」を詳しく説明されています。 ちょっと補足 平家物語は琵琶法師が行脚して語った というのをやったかと思います。 琵琶法師が公演(?)をしたのは、地方の有力者、つまり鎌倉時代で言えば御家人や、御家人相当の人間たちの家です。 その御家人に受けるように話がだんだんと変わってくる。 ミュージシャンが地方公演で、その土地のネタを歌詞に反映するようなもの。 この受けるかどうかというのは、御家人たちの美意識(何がかっこいいか)に依存します。 http://www6.plala.or.jp/HEIKE-RAISAN/zenshoudan/shohon.html そのために、異本がたくさんあります。 頼朝の武士団 ~将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉 とか、当時の武士の価値観からすると、質問者のような(あるいは現代人のような)ウェットな感覚はありません。
- kogotokaubewe
- ベストアンサー率56% (236/420)
> 歴史物語にかっこよさなど求めてはいけないでしょうが いえいえ、「木曽の最期」の話は武士としての「かっこよさ」を求めた話です。 正確に言えば「『かっこ悪さ』を避けた」話というべきでしょう。 まず、「鬼にも神にも会はうどいふ一人当千のつはもの」であり「五騎が内まで巴はうたざれけり」という「巴」が、 > おのれは、とうとう、女なれば、いづちへもゆけ。我は打死せんと思ふなり。 もし人手にかからば自害をせんずれば、木曾殿の最後のいくさに、女を具せられたりけり なんど、いはれん事もしかるべからず と義仲から言われて、最初は納得しませんでしたが、 > あまりにいはれ奉って、 という結果、 「武蔵国にきこえたる大力、御田の八郎師重」の首をねじ切ってから東国へ落ち延びていきます。 現代風に言えば、エレンから「俺が巨人との最後の戦いで、女を連れていたと思われるのはかっこ悪い」と言われたミカサが超大型巨人でも倒してから、去っていくようなものです。 別れに際して巴が言ったのは、「さようなら」ではありません。 「あっぱれ、よからうかたきがな。最後のいくさして見せ奉らん」 です。 いえ、実際には、巴は「さようなら」を言ったのかも知れません。 でも、『平家』の作者はそれを書き留めません。 この方が「かっこいい」から、巴の最後の言葉としてこちらを選んだのです。 その後、今井四郎は義仲に、 > 弓矢とりは年来日来いかなる高名候へども、最期の時不覚しつれば、ながき疵にて候なり。 と言い、さらに, > いふかひなき人の郎等にくみおとされさせ給ひて、うたれさせ給ひなば、『さばかり日本国にきこえさせ給ひつる木曾殿をば、それがしが郎等のうち奉ったる』なんど申さん事こそ口惜しう候へ。 と言います。 まあ、これもたとえて言えば、「リヴァイ兵長ほどの人が、対応しきれないほど多くの巨人に囲まれて、最後には、たかが3メートル級の巨人に食べられちゃったら、かっこ悪いよね。」みたいなものです。 「つまらない敵にやられるぐらいなら、その前に自害する方がましだ。」 これが当時の、武士の美学です。 おそらく現代人なら、名誉より命を優先して、無様でも生き延びようとするでしょう。 しかし、現代人の感覚のみで、古典を読んではいけません。 上に記したように、原文の内容をしっかりと押さえて読まなくてはいけません。 アニメ「進撃の巨人」第24回、「慈悲 ―ストヘス区急襲 (2)―」 どちらかが女型巨人に殺されるということが確実だという状況で、おとりになってエレンを逃がすために地下道を出て行こうとしたミカサとアルミン。 彼らは、エレンに「さようなら」を言いましたか? 本当に心が通い合っているならば、「さよなら」は必要ですか? 緊急の事態にあたって、言葉よりも(エレンのための)行動、二人はそちらを選んだのではないでしょうか。 新たな五十騎の敵が現れる中で、 > 君はあの松原へいらせ給へ。兼平は此敵ふせぎ候はん というのは、この時のミカサとアルミンの覚悟と一緒ですよね。 (自害させるためか、逃がすためかの違いはありますが それは、名誉と命のどちらを優先するかという 古今の価値観の違いです。 たとえば、卑怯な手を使ってでも逃げて、 後々まで卑怯者と蔑まれるか、それとも、潔く死ぬか。) この後も義仲は、まだ納得はせずに、一緒に戦って死のうと言うことを述べます。 それに対して今井四郎は、名ある武士である義仲になんとか恥をかかせまいとして上記の「弓矢取り」云々の反論をします。 その反論の最後の言葉は「ただあの松原へいらせ給へ」です。 それに対する義仲の返事が「さらば」です。 「(私と一緒に死にたいという)私情にとらわれてはいけません。立派な武士としての対面・面目をお保ちにな(って自害す)るべきです」という今井四郎の説得に対して、 「一緒に死にたいという気持ちは今も変わらない。でも、お前の言うのが正しい。お前の意見に従おう」というのが、義仲の「さらば」です。 この場面で、義仲が「分かった、お前の言うとおりだった」 という意味のことを言わずに、いきなり「さよなら」というのは 突然過ぎはしませんか。 以上が今まで多くの『平家物語』の研究者が、 「さらば」を「さようなら」という別れの挨拶と解釈せずに、 「お前の言うことは分かった。それならば、私は自害しよう」 と解釈してきた理由だと思います。 このあたりを「感覚」の一言で片付けてしまう、 担当の先生も、どうかな、とは思いますが、 たしかに論理的には説明しづらいことだと思います。 長くなってしまいましたが、「感覚」の中身を 解説すれば、こういうことになるのではないでしょうか。
お礼
おそくなってすみません、ありがとうございますm(__)m エレンとミカサとアルミンの例、すごくよくわかりました!アニメちょうど見てるのでわーってなりました!! たしかにかっこいい、です!心はつながっている!ってかんじですね! すごく例をだすのがお上手ですね…違う国語の先生が言っていたんですが、例をうまく引き出せる人は会話力もあって国語の先生にむいてる、とか言っていました(笑)すごいなあって思います。 はじめて質問させてもらったのにあれだけ長文で丁寧に教えていただいてありがとうございましたm(__)m
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
さらば = 去らば と思っちゃうから間違う http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/89884/m0u/ http://kotobank.jp/word/%E7%84%B6%E3%82%8A 然り [動ラ変]《副詞「さ」に動詞「あり」の付いた「さあり」の音変化》そうである。そのとおりである。そのようである。「おい、―・り、―・りとうなづきて」〈源・玉鬘〉 http://www.hello-school.net/haroajapa010012.htm 順接
お礼
あわわわ…おそくなってすみません!!! 教えていただいてありがとうございます! いろいろ参考をのせていただいてありがとうございますm(__)m 文法って難しいですね…汗 ありがとうございました!
補足
すみません、思ったことを追加で書かせていただきます汗 自分の回答案がさようならの意、とかいたので屁理屈をこねているだけだと自覚はしているのですが… 義仲は長年一緒に育った乳母の子供の兼平に別れも告げずに自害してしまうのでしょうか…? また、一時権力をもっていた義仲が乳母の子とはいえ、そうか…と答えていって自害してしまうのは、なんというか…、情けなくないでしょうか? それならさらば!と別れを告げた方がかっこよくないですか…? 歴史物語にかっこよさなど求めてはいけないでしょうが…すみません、よろしくお願いしますm(__)m
お礼
おそくなってすみません、ありがとうございますm(__)m 琵琶法師がするってのはしっていましたが、こんなに種類があるなんてぜんぜん思っていませんでしたし、琵琶法師がかってに個人でその場で考えてる…みたいなことだと思っていました… これで中間でさらばの意味を答えよ、と言われてもさようならなんていいません! ありがとうございます!