>古文が得意になる気がしない
学校で少々教えられただけで「得意になる気がする」としたら、よほど言語感覚に優れた才能がある人か自信過剰家です。場数を踏まなければ上達しないのは、練習しなければうまくなれないスポーツや楽器演奏などと同じです。ただ英語のように、その気になれば24時間その言語環境に身を置けるものとは違い、古文は意識して読む(学習する)ほかありません。日本の古典と呼ばれるものの中には、今読んでも面白い作品が多数あります。学校の勉強や入試対策ではその面白さを楽しむことは難しいかもしれませんが、「古文の面白さ」に気付けるかどうかが大きな岐路になるように思います。
>古文も外国語を読んでいる感覚で読めばいい
これは結構重要なポイントです。英語などの外国語は得意な人も不得意な人も「日本語とは単語も文法も違う」ということを理解していますが、古文は「同じ日本語だから…」という安易な考えから「現代語で類推してしまう」落とし穴にはまりがちです。古文は単語の意味も文法も現代の日本語とは大きく違うということをまず理解する必要があります。
ただしここで複雑なのは、古文は現代の日本語のもととなっているものなので、「大きく違うが共通部分も多い」ということです。表面上の意味は一見大きく違っていても深層で古語と現代語に共通しているものが何かが分かれば、古文の理解のレベルを一段階上げられるだけでなく、歴史の理解や日常の言語生活にも役立ちます。