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「狂気」について。
「狂気」について思うことを教えてください。 私は 「大勢を占める行動規範から大きく逸脱し、概ね破滅に至る行動」だと思っています。
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集団の狂気は、また、別なものだと思いますが、個人の中の狂気は、私、だれもが隠し持っているものだと思っていました。 それで、辛くて、苦しくて、もう、だめだ~、と絶望に至ったとき、死を選ぶか、狂気を選ぶかの選択があり、生きてゆくには、狂気に身をゆだねるのが、自己を守るひとつの方法なのではないか、と。 それで、絶望に至らないようにするにはどうしたらよいか、というと、それは、異常に高いセルフ・エスティーム。。。日本語の自尊心とはちょっと違う、”自分は周りの人とはまったく違った存在なのだ。それでいいのだ”という自覚(真の個人主義)によって、狂気に至らず、一般人として生きてゆくことができるのだと思っていました。 ”狂気”が他人事として捉えられるのは、大変幸福なことだと考えます。
- からあげ ミームン(@marc2bolanti)
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今晩は。パソコンの、ウィンドウズを閉じようとしたら無数のウィンドウが出続けやがった。 計算式のどっかで級数が発散するのか? 発狂してる! PC「だって熱かったんだよー」、おのれはアメリカ最南部ブラック・デルタブルースかよ!熱いから?暴れて発散する?。「太陽が眩しかったからさ。」カミュの異邦人か!? せっかく書いた回等文が、行変えしたら全てどっかに行っちゃた??何度泣かされもう止めようと思ったか!、、今はGoogleドライブのDocumentに下書きしてから貼り付けてます。ここの文書作成は書いた言葉は直ぐにクラウドに保存されるので、もう安心です。ホ 金融工学はブラック=ショールズ確率変動方程式でしたか? それではリーマンFinancialパニック予想も出来ませんでした。 悪名高いヘッジファンドのGソロスでさえ、そんな式だけで市場は動いてない、と反省してました。 全て理性の狂気。 現象を数値化するには現実の何かを切り捨ててモデル化するわけで、、それを還元主義;Reductionizmと言いますね。 現象学的還元に直接晒されてる分裂病者も私達も、その還元主義に抗なわなければイケマセン。 デリダの解り辛い戦略も、そのせいでしょう。 薄~い狂気が蔓延してます、特にAdvance国(先進とは言い難い)で。 社会の統合機能が失調してます、役所や企業で。 そっちの方が危険です! 「現場の事は、把握してません。」JR北海道。 福知山線;お客様の利便性考え本数増やして、敢えて過密にしてお客様を殺してしまいました。 検察は犯罪集団。柔道界は暴力団。心の教育には柔剣道を!どっかの国に似てきたよ。 昼の地域天気予報では、既に雨降ってるのに「晴れですぅ」、んhkには気象庁が出向してます。 緊急地震速報;震度2.必要ですかぁ。 竜巻なのに竜巻ではない。 マニュアルどおり、大過無し! コンプーターにおまかせ。 自分の裁量で予報するのが仕事の醍醐味なはずなのに自ら放棄してる、怒られると思ってるんでしょう。 理性の狂気は怖いですよ。 段々腹たってきたでしょう?・・既にメルトダウンしてるのに「海水注入したら炉が壊れます!」東電は狂ってるのが解らんか? これら官僚性を書いたのがカフカなのでした。 イラク戦争は最大の失政だったと述懐したブッシュii 統合本部HeadQuaterの失調です。 誰か言ってた<東郷元帥は出張中です>では困る。 反省されたって、死んだ何千人の米兵や殺された何万のイラク市民はどうなんのよ! 狂ってる、、日本の我々の代表も手を貸したのでした。 という事で、そんな会社社会の薄い狂気の方が、実害ははるかに甚大です! どれだけ殺されてるのでしょう? 比べて狂人の重大犯罪など微々たるもんです。 ・・マニュアルどうりの受付の対応、あれは人間ですかね? ATMのアナウンス音声より恐いです。 人は自分で考え発話しなくてはいけません。 苦情や齟齬や対立は、コミュニケーションの必要条件です。それを予め回避して却って非人間。これも資本市場の要請;マーケチングの想像に過ぎない、お客の反応を過度に先取りしてるから。 この過度な先取りが、統合失調の特徴的兆候です。カラマーゾフの登場人物のように、。現象学です。 単純で保障されたコミュニケなど無い。人はWバインドを生きている、そうでした、それが本来でした。 相手の反応は判らない、でも思惑超えてるからこそ人生は面白い、と取れるかどうかですね。
お礼
おお~。 中上 健次ばりのイメージの炸裂ですね(笑) まぁ、フロムが「自由からの逃走」で言いたかったのはそこらなんじゃないですか。 尼崎の鬼ババァと一緒に8人殺した連中も「逆らえなかったから」と言って 無罪主張してますしね。 きっと自分で考えられないんでしょう。 大体、あたしゃ、何かの目標があって入った人は別ですが 単に安定を求めて大きな組織に入る人なんかハナっから信用してません。 そして、そういう人は上が怖くて仕方無いから何でも言うことを聞くんですよね。 そんで、下には偉そうにするんです。 独裁者がのし上がって行く典型的な図式でしょう。 但し、上司とのケンカ率70%ぐらいの私の生き方は人には勧められませんけどね(笑) ではまた(笑)
- からあげ ミームン(@marc2bolanti)
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こんにちは。私も幼い頃、狂気の状態が度々訪れ苦しみましたが、 正常な時間が大部分なので何とか切り抜け、小学校に入って社会性を身に付け、スポーツや音楽が次第に精神を安定させる絶大な力を発揮してくれた気がします。 その経験で言うと、家族の閉域が私にはダメだったようです。親戚の家や学校では大騒ぎで生を謳歌できました、外弁慶です。だから関係性の病でもあったのでしょう。 <分裂病者(当時の名)は言わば、現象学的還元を身を持って生きてる。>と、柄谷行人が「探求」で書いてたけど、それは<形式化の問題、決定不能性>と関係してますね。 意味の病。 それが、化学物質だけでは治癒しない要因です。セロトニンやドーパミン分泌異常に対し効果は大きいけれど、、薬漬けだけではダメで、認知行動療法も併用しない医院は問題となってます。 昔は洋の東西問わず、個人や民間が自力で対処してきた知恵が有り、社会の知恵で遣り繰りしてきた。蕪村の「岩倉の狂女」の句が有りましたね。 だからフーコーやドゥルーズが猛威を振るう精神分析を敵視して戦いました。 統合失調は出現率100人に一人、鬱病は潜在的な人含めてもっとでしょう。 誰もがいつなるか分りませんので理解ある接し方した方が良いです。 自称で「キチ・・」なら構わないけど、このOKWaveでも侮蔑語として飛び交ってますね。 体験者としては多少腹立ちますがそれよりも、侮蔑的に「・・ガイ」と言った時点でその人の心が狂ってる、頭脳が変、魂がどんどん腐っていく方が心配です。いつ自分も発症するか分らないのに、。 情けは人の為ではない、という事でしょう。 明治近代より前の先人の知恵があまりに蔑しろにされてます。だからニーチェは系譜学、フーコーは知の考古学をわざわざ打ち立てたのでしょう。
お礼
どうもです(笑) そんなに早い時期に「狂気」に苦しまれましたか。 私は高校の頃に読んだフロイトの 「自我は無意識の衝動と両親の命令である超自我、そして現実からの要求に 常にさらされている。だから、生きているだけで困難なのだ」云々に少し救われました。 柄谷行人の引用部分は私も印象に残りました。 後、学会からは無視されたみたいですが ベイトソンの 「母親が子供に対して、口では愛していると言いながら、近づくと避ける」と言うような いわゆる「ダブル・バインド」が分裂病の引き金になると言うようなことも かなり、良い線を突いていたように思いました。 いずれにせよ、家族の影響は甚大ですよね。 私の親友も幼い頃に血をダラダラ流すような大怪我をして帰ったのに それを見て動揺した母親が流産して 「お前のせいで子供が死んだ」と言われました。 彼が、その後、母親を殺したいと思ったことや 鬱病になった遠因ではないかと思っています。 ことほど左様に、人間はもろい部分があるのでしょうね。 ですから、仰るように、「深淵を覗く者が深淵からも見られているように」 人を罵倒して窮地に追い込む者は、自らにもその運命が待ち受けていることを 覚悟するべきだと思います。 ではまた(笑)
- kanto-i
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何らかを破壊する行動を極端に起こす人に対して、行動の根源としてあげられるもの。 多くは、正しさから責めることを計上し続けて至る行動だと思います。 まれに、教育不足からおきることもあるようです。 タリバンも、どこかの内戦もアメリカでさえ 正しさを計上し続けて狂気を持ち戦争します。 家族内でも計上を続ければ、相手の命を奪いかねません。 極端になる前に、計上を止める手段をとれれば狂気に至りません。 何故かあまり流行りませんが。
お礼
そうですね。 「狂気」と言えば「破壊衝動」が付きもののようですね。 現在、シリアではアルカイダがたばこを吸った者の指を切り落としているそうですが それが正しいと信じて疑わないのでしょうね。 宗教が背景にある場合は多少理解出来る気がすることもありますが 酔っ払いが肩が当たったと言って傘の先で相手の鼻の穴を刺して殺した事件もありましたが あれも、最初は自分が正しいと思ってたんでしょうね。 昔、どこから見ても普通より頭が悪いと思うおばちゃんが 「長い間、自分が1番頭が良いと思っていた」と言ってましたが 人間、何とでも思えるのが怖ろしいです。 恐らく、人間の脳の、冷静に分析する機能や制御する機能に欠陥があるのでしょうね。 最近、日本でも良く見られる、偏狭なナショナリストにも同様な感想を持ちます。 ご回答ありがとうございました。
- hokekyou333
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私は、子供の頃ですが、大人のいじめによる恐怖症から、実際に2度ほど気が狂った体験がありますので、そういう人間からの視点で書いてみます。 「狂気」という言葉の意味内容は、必ずしも実際に神経がおかしくなっていった最果てに通常の人間の意識状態を失うという私が実際体験した気のふれた状態のことのみを意味していなのだろうと私は常々考えるようになっています。 その時の状態というのは記憶力自体は失っていないため、むしろ今ですらある程度鮮明に憶えているほど、ありありと映像として残っていますが、その強烈な記憶ゆえ、長い間心理学者などが語る変人と狂気の論理があまりにもその狂気の実態とは離れた論理だったため、心理学者の論はそれなりの意味はあってもすくなくとも狂気に関しては空論にすぎないとすら思っていたのです。 ところが、いくつかの宗教に触れ、集団催眠状態自体はそれが解ければもとにもどる何かでしかないと思っていた所、これが曲者、頭のいい人たちまで完璧なまでに盲目的になっている姿をたくさん目撃して、考えが少し変わってきました。 自分の悪と行為を悪と感じることの無いいわゆる札付きと友達となったこともありますが、これもほぼ完ぺきに人を凶器でおどすことを悪いと思えていない点では、そちらの言われる定義にあてはまるところの「狂気」に陥っている状態でしょう。 しかし、そんな札付きですら、何の朱に染まらず、仲間となることさへない人間でも、そこに何の差別や色眼鏡の心も無いことが解るとたったそれだけで、そこに「友」という存在を見るのです。 ほんとうは損な人間でも普通の「友」が欲しいのです。 同じ悪仲間でも心許せる友は結局いない状態の中、あっ友達がいた!!というふうに心の奥が気が付く時、彼らは、まるで恋人を見つけたかのように私と飲んだり、くつろいだりすることを求めだしたのです。 十人近い極悪人の全部例外なしでした。 長い長い因果の果て、彼らの心理は曲がったのです。 ですが、それは実際の気がふれる体験から見れば、同じ人間の脳のままの、長いその因果がゆえの変化、もし私がその頃同時に深い教育力を持っていたのなら、私は彼らを、むしろ普通の人間よりも社会に役立つ人間に逆転できるだろうと思えています。 人にない経験をした分だけ、気が付けば大きな心の人間になれるということです。 しかし、体験上の狂気の状態は、まさに通常の感覚をまったく失った状態であり、例えば、一度目は電車の中で人の足をボンボン踏んづけて走り回っていたのですが、その一部始終を憶えているところのその記憶の映像には、今でもほとんどの人が見て見ぬふりをしている姿が映っていて、ひとりだけ年配の女性が私の目を覗きこみ、笑いかけようとして、微笑みかけようとして顔がひきつっているというリアルな映像までいまだに残っているのです。 二度目葉、長くなりますゆえ今回は省略しますが、それは動物のおびえた状態の意識と似た意識になっているような感じのものです。 動物にも記憶力はあるわけで、それが記憶映像に残っている部分です。 ですので、そこから猿の脳から人間の脳に進化した時の違いが私には解るようになったのです。 まさに貴重な体験ですよね。 人間が誕生した時点では、主に感性を「見つめる」脳として、物事を見つめる脳が、それまで本能に支配されていた意識を越えてその原型のようなものが生まれたのだと考えることが出来ます。 これが物事を上から客観視して、分類分析し、それをもとに反省し、より良いもの、より良い行動を創造してきたのが分明の進化とも言えるわけですが、またこの脳の活発化が言葉を生み、言葉がさらに論理脳を育てそこから哲学なども生まれてきたとも言えるかと思うのですが、 それ自体はいいことであっても、最初の本能から離れた時の、しばられた仲間関係から離れた「友」のぬくもりの発見、孤独の逆の安らぎとかその中から見える星や緑の美しさの衝撃など、さらにその原型が森の中で進化し定着して、豊かな素朴な心を宿していた時の感性のせかいを、むしろ言葉や論理脳の発展は阻害し始め、それが人の心の部分、感性の部分、を低下させ、人の心と人の心との間に自我という殻を生み、分裂や孤独をどんどん大きくしていったと思われるところなのです。 80万年前からの人類史をこんな簡単にかけるところではないわけですが、言いたいことは解っていただけるのではないでしょうか? そうするとそのような人類史の中では、真逆に「狂気」について、こんな思索展開も可能になるところかと思うのですがどうでしょうか? 本当に正常な人間とは何か?ここから逆算する思考でもあるのですが、 感性脳も論理脳も健康で正常な人間が、世の中を人より見とおして行動できる故、時には人大勢の人の理解しがたい言動に走る場合もあるのでは、ということです。 その場合は、まさに心理学者がよく語る「変人=キチガイ」という論理は、真っ赤な嘘っぱち^^ということになります。 よし「キチガイ」であったとしても、そんな判定はそのキチガイを大勢の人に権威の色眼鏡をかけてみるように促してしまう点、人間的に間違っているとおもいますが、 これが大勢の人の考えとは違った意見を語る人にまで当てはめてしまう時には、まさに諸刃の剣そのもの、大勢の人から攻撃されてすらすこしも、その健康さと優れた脳を曲げない出いられ、神経もみだれないでいられる、最高に健康な人を、大勢の人である「私達」は「キチガイ」扱いしかねない、論理だということもなってしまうのです。 ここからも、まさに、「狂気」を判断するためには、その反対の本当に健康で正常な心とはどのような心か、と言うことが解っていないとそうした判断に正確性を求められないということにもなるかと思うのですが、 つまり、いつも新鮮で謙虚で落ち着いていておだやかで、愛情深く、相手の心相手のニーズに論理脳もいつも感心や注意を払い、完璧であることは求めずに、であっていつも上を目指している、感性ゆたかな人の心や状態やそうなる方法や、そうでない人をそういう人間に育てる教育方法論などを知っていることが、そうでない狂気の世界とどう対処し行けるのかの判断の場であるということでもあるのですが、どう思われますか。 私の場合ここからも、 世界をほんとうに幸せな社会にしたいと思う時には、社会法だけでは弱いということも考えが進んでしまいます。 ほんとうの心の健康を得たり認識するためにも、心の法である仏法、その中の王法である法華経を知ることが、どうしても大事になってくるのだというふうにです。 またまた結論は、ホケキョウ333らしい回答となってしまいましたが^^、 でもこれどこかの法華経を語る団体を支持しているとかのお話ではないのです。だったらルール違反ですしね^^。 法華経は結局その真実のぶんだけ奥が深い教えということになるわけですが、でもそれがどれだけ素晴らしいかということの認識にいたるまでの哲学なら可能なようにできています。 そこまでは思索し、考え抜くことが私達文明人の論理脳にとっても可能なのです。 そこを、あらゆる宗派、あらゆる信徒団体が「難解何入」ということだけで、そこまでの哲学、思索、考えることすら放棄してしまっているのですから、私は今の団体行動をどれも支持しません。 ですから冗談では無くて、私は隠れ法華経徒を支持している^^とさへ言える人間なのです。 いえ、いつの日かかならず、そういう法華経徒のみが、世界を平和にしているでしょう。(預言者より^^) 人間の脳は、動物の脳では無い、それが見えるものには、その未来も見えるのある^^。 狂気は、この人類からは、その時いっさい消えてなくなるでしょう^^。 しかし、今の今は、そのための闘いの狂気を私は愛する^^。 以上法華経さんさんさんの、つねづね「狂気」について思うところを書かせていただきました。 (書きたい事が書き切れなかったためもあり文がみだれています。ごりょうしょうください)
お礼
とても貴重なお話ありがとうございます。 私も「正気」と「狂気」の究極の区別は不可能ではないかと思っています。 感性脳と論理脳のお話で、フロイトの「自我」「超自我」「無意識」を思い出しました。 最近の脳の研究で、正確な部位は忘れましたが 例えば、ワニ等に見られる「攻撃本能」は脳髄に宿っていて 哺乳類に見られる「母性本能」等は「大脳」に由来し 人間らしい「知性」は「前頭葉」に見られるみたいな話が フロイトの心の分類に当てはまっているように思いました。 そういう見方をすれば「狂気」は脳機能の不全なのかもしれません。 実際、「統合失調症」では脳に穴が開いているそうですし 薬によって治ると、また塞がるそうです。 また、「法華経」のお話は恐らく真実を突いているのだろうと思います。 私も「臨済録」や、ウィリアム・ジェイムズの「宗教的経験の諸相」を読んだ時に 似た感慨を持ちました。 そして、仏教の請願である 「衆生の最後の一人まで救うことを誓う」という言葉はとても崇高なものであると思います。 心の狭い私にはとても出来ませんが(笑) そして、人類が全て「ブッダ」のようになれば、それこそ、世界は平和そのものであると思います。 人類が絶滅する前に、そうなることを強く願います。 ご回答ありがとうございました。
- amenhotep2000
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alterd1953さん おはようございます。 この問題については、フーコーの「狂気の歴史」を読んで思索中です。 この本を読んで考えることがあるので回答します。 西洋のチェスと日本の将棋についてです。 チェスは取った駒を二度と使えない。つまり使い捨ての思想。 日本が誇る将棋は取った駒をもう一度使える。駒の命を無駄にしない。 このあたりに日本のサムライの情を私は感じます。 橋の隅を歩く、生活保護だの障害だの人々が、橋の真ん中を堂々と歩ける、世の中を阿部総理に考えていただきたいです。 ポク・ポク・ポク チーン 「閃いた!」 橋は真ん中を歩こう! 一休さんより(笑)
お礼
どうもです(笑) フーコー:「知のアルケオロジー」ですね。 一度だけ入門書を読みましたがさっぱりでした(笑) 監獄の話とか面白そうでしたので期待してます。 武士ってのは権力側ですので、あまり良いイメージは持ってませんでしたが 「武士道精神」は本当にあったみたいですね。 第一次世界大戦でのドイツ人捕虜を日本の元武士の将校が 徳島の収容所で徹底的に人道的に扱った話を聞いて感心しました。 因みに、その収容所で日本初のベートーヴェンの「第九」が演奏されたそうです。 後、元々、外資系のドライな経営方針の影響もあったみたいですが バブルがはじけてから、日本もグッと殺伐として来たようですね。 陰湿ないじめが増えて来たのも連動してるんじゃないでしょうか。 私なんか別に贅沢な生活はしたくないですけど 贅沢な暮しを望む人達が結構いるんでしょうね。 「自分さえ良い暮らしが出来れば人のことなんか知ったことか」って言う人間が 多かったら良い世の中になるはずもないですね。 まぁ、中国、韓国等の台頭で日本の国際競争力が低下したのが 1番の原因かもしれませんが。 東北の震災の時に、寄付した人が85%ぐらいだったのが せめてもの救いでした。 ただ、どうも、日本はアメリカの後を追っているみたいですから 格差はもっと拡がって行くでしょうね。 ですから、高度成長期の一体感は、もう二度と蘇らないんじゃないかと思います。 私に残された希望は家族と少数の友人達、及び、自分の教養を深めることのみです。 ではまた(笑)
- 31192525
- ベストアンサー率19% (709/3566)
alterd1953さん、こんにちは。 「いいか、信仰と狂信は紙一重だ」 (中略) 「純粋さの中で何があなたをそんなに恐れさせるのですか?」 「性急な点だ」 (ともにウンベルト・エーコ 「薔薇の名前」より) 『性急な純粋』 ではないかと。。。 余談ですがモーツァルトは性格破綻者、ベートーヴェンは偏執狂的、シューベルトやシューマンの晩年は狂気に満ちたものでした。シューマンがのちの夫人になる彼女から「あなたって子供っぽいのね」と言われて書いたのが組曲「子供の情景」だそうです。ボクちゃんコドモでちゅ~。 http://www.youtube.com/watch?v=A_dZj25p6ik「おねだり」 http://www.youtube.com/watch?v=at3nkai9c4U「トロイメライ 夢」
お礼
う~ん。 素晴らしい。 さすが31192525さんです。 『性急な純粋』。 ほぼ完璧なお答えじゃないでしょうか。 ニーチェも相当子供っぽい感じがしますし ヴィトゲンシュタインは夜中にラッセルの部屋に押し掛けて 「追い出したら自殺する」と言ったらしいですからね。 実は私自身も相当子供っぽいと思います(笑) ご回答ありがとうございました。
- sokk
- ベストアンサー率25% (1/4)
時代背景や状況によって「狂気」の定義は変わるものではありますが、 「大勢を占める行動規範から大きく逸脱し、概ね破滅に至る行動」 と、言っても間違いでは無いと思います。 「大勢を占める行動規範」の集団の中では、マイノリティな行動をする人に対して「狂気」というレッテルを貼られることもあります。 「狂気」かどうかは、個人や集団の価値観や信念が大きく左右するものではないでしょうか。
お礼
>「狂気」かどうかは、個人や集団の価値観や信念が大きく左右するものではないでしょうか。 仰る通りだと思います。 ただ、私はマイノリティに対して単純に「狂気」のレッテルを貼る大勢の集団の外に立てる個人の出現が 唯一の「正気」への道ではないかと思っています。 ご回答ありがとうございました。
何を「狂気」とするのか定義しだいです。 >大勢を占める行動規範から大きく逸脱し、概ね破滅に至る行動 これだけですと、ナチスのホロコーストは正気ということになります。 軍事クーデターは全て狂気となります。 神風特攻隊は米兵にとっては神を恐れぬ狂気の所業です。 アメリカのビルに突っ込んだ連中は彼らの世界では英雄です。 天才ときちがいは紙一重です。過去に狂人扱いされた天才はいくらでもいます。
お礼
ナチスに関しては当時やその後の世界情勢に較べての狂気だと思いますが 確かに「大勢の」と言う定義では曖昧過ぎますね。 天才と狂人にしても仰る通りですが、その為に「概ね」と付けたつもりです。 まぁ、それにしても業績においての結果論であり なんらかの業績が出るまでの判定は難しいですね。 ご回答ありがとうございました。
- k_mutou
- ベストアンサー率12% (101/783)
【皆が胸の内に潜めているが、何らかの形で前向きに転換しているモノ】が“狂気”だと思います。 日常で、皆が上手く“狂気”をコントロールしているから今の犯罪発生率で抑えられているのだと思います。
お礼
フロイトが言う 血が好きな人が外科医になったり どろんこ遊びが好きな人が陶芸家になったりする 「昇華」の考えに近いですね。 大体、フロイトは 「文化は性欲を使って出来た」と言ってましたね。 そして、「抽象画」や「フリー・ジャズ」等の アヴァンギャルドな芸術等には「狂気」も感じます。 おそらく、人間は社会を形成する為に 自己完結的であったり、倒錯的、あるいは凶暴な衝動を抑えたり 再利用したのでしょうね。 そして、当然、多少の齟齬が常にあり 何かのきっかけで全面的に表に現れた時が「狂気」と呼ばれるのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。
- 1
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お礼
なるほど。 「絶望」から逃れる手段としての「狂気」ですね。 それは誰の心にも宿っているでしょうね。 最近、日本で、ばあさんが元ヤクザだと言う親戚を使って 他人の家に入り込み、やがて恐怖によって支配し 身内同士の暴力によって8人を死に追いやったと言う事件がありましたが 一旦、警察に捕まってから、もう出られないと分かると、あっさり自殺しました。 あれは正しく「狂気」による犯行としか思えませんでした。 セルフ・エスティームの意味は正確には分かりませんが 確かに、自分の中に、なにか一つでも確信を持てるものがあれば 何とか生きて行けるのではないかと思います。 かくいう私も、腕前はともかく、芸術に対する「審美眼」については それこそ、全世界を敵に回せる程の自信を持っていますので すこぶる、健康に生きられています。 ひょっとすると「狂気」かもしれませんが(笑) ご回答ありがとうございました。
補足
そろそろ締め切らせて頂きます。 テーマがテーマだけに、とても深いご回答を頂けました。 やはり「狂気」が人間の根源に通じているのは明らかなように思いました。 皆様、ご回答ありがとうございました。