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龍馬のいろは丸の積荷の納入先?
いろいろ調べても、大阪までしか出てきません。 海運業であれば当然本入先(発注元)の記録残っているはずですが?? 「積荷ライフル云々」の空虚なろ論争は存在しないと思います。
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長崎で仕入れた南京砂糖と米を大坂に運び、 そこで売りさばく積りであった。 (買い手を探す) 商人なら当然でしょう。 「後藤象二郎応接筆記」などより。
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- TooManyBugs
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回答No.1
いろいろ調べたのなら当時の海運業が単に物を移動させて運賃を収入にするのでないことはご承知のはず。 海商では寄港先で買い手を探すのは普通のことです。
補足
逆に江戸時代、寄港先で買い手探すのは相当に特殊な事です。 また、今ほど通商が自由ではありません。 何か資料残っているのでしょうか?? 先祖が代々瀬戸内で海運業もどきをしていました。 基本現在の運送業と大差ありません。 紀伊国屋文左衛門も江戸で新規の買い手を探した訳でもありません、受け取り業者あっての運送です。