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本居宣長
本居宣長さんの思想を現代の日本で教育したなら、あらゆる分野において、他国に遅れをとるように感じるのですが、どうなると思いますか? この国学と言う物がもたらした産物は、やはり幕末の明治維新だと思われます。当時の日本国民の目を支那から、日本に向けさせたことは、大いに意味のあるものと思います。 しかし、早急な近代化を必要としなければならないときに、やはり本居宣長さんの言う、ありのままを受け入れ、その現象に対する原因等を考えることはせず、ただありのままをそのまま受け入れ、それらを神のしわざと捉える。なんてことでは、近代化は無理だと思います。
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こんにちは。 次のくだりについて違った見方をしていますので つづります。 ★ ありのままを受け入れ、その現象に対する原因等を考えることはせず、ただありのままをそのまま受け入れ、それらを神のしわざと捉える。 ☆ 《もののあはれを知る》ということですが これは 《思考停止》ではなく 中断だと捉えます。 あるいはつまり 思考を問題にすることなく――ということは 思考をその今 していてもかまわない―― とにもかくにもその今あい対する自然や社会情況やあるいは相手もしくは自分の状態などなどに すなおに向き合うということだと考えます。 これは 判断中断という意味のエポケーとして あちらでは捉えられているものと見ます。 そこで純粋意識の状態になるなどとも言うようですが 要は 一般に自然なヒラメキが得られるほどに 人為的なハカラヒから自由になる ということではないでしょうか。 すなわち もしこのようだとすれば ★ ありのままを受け容れる ☆ とき 《もののあはれを知る》のは そのヒラメキとしての直感および直観を言っていると見られます。 ということは ★ その現象に対する原因等を考えること ☆ は そのインスピレーションを得たあとのことだと考えられます。 思考中断の状態であったところから 思考を再開するといったかたちです。 宣長は この《純粋意識》とも呼べるヒラメキから精神の庭において得たものは・つまりそれとしての《もののあはれ》は けっきょくとどのつまりとして 《古神道》だと判断しました。 古神道とは かれにあっては 取りも直さず 天皇制のことです。 これは 〔ヒラメキからあとの〕《思考》が 短絡的であり その社会制度としての内容から見ても ひとつの見解として出されたに過ぎない。こう捉えます。
お礼
わかりやすい回答、ありがとうございます。