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日本史の通史の立役者はだれですか。

 日本史に詳しい方、教えてください。私たちが、学校で学ぶ日本史の通史というのは、いつ頃この姿の形が整ったのでしょうか。どうも、明治以前の人たちが、平安、鎌倉、室町といった順序で歴史を認識していたように思えません。思うに、本居宣長とか水戸光圀あたりなのでしょうか。この辺の事情に詳しい方教えてください。

みんなの回答

  • TANUHACHI
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回答No.2

 コメントありがとうございました。質問の内容に即して今一度調べてみましたので、追記の形で回答させていただきます。  御質問の趣旨として (1)所謂「国学的視点」に基づく近世の歴史意識 (2)それに対する「近代歴史学」からの問題提起 ということでよろしいでしょうか?。 (1)に関しては御指摘いただいたとおり『大日本史』の存在はあります。この書物は考証学の見地からは優れたモノとされている一方、その視点として尊皇攘夷の立場からの「大義名分論」と国粋主義を色濃く反映していることから水戸学のシンボル的な存在でもあります。 その背景として、江戸時代中期に著された新井白石の『古史通』への批判があります。『古史通』は日本書紀の神代巻に関して中国の史書との比較の下に合理的(現在で使われている意味とは異なりますが)解釈を行い「神とは人也」との視点を立てています。これに対するある意味「反証」の形で編纂されたモノが『大日本史』です。 (2)の問題はこれに関する「近代国家」形成からの要求の現実的な動きとして展開されています。 明治維新が思想・文化までを包含する全社会体制・秩序の大転換をもたらす変革であることから、旧幕藩体制公認の価値体系である儒教的原理および名分論とその土台である歴史観は基本的に否定され、それに代わる新たな価値観の提示が求められました。  明治維新は王政復古の一方で文明開化を志向するネジレ現象を根底に抱えてこの両者をどの様に辻褄合わせをするか、との問題も同時に発生することから国家の歴史をどの様に書くかが一つの焦点となります。  ここでの流れを大別すると以下の4つに区分することができます。 (A)儒教的流れの焼き直し的志向 (B)儒教+考証学の志向 (C)国学-神道系の志向 (D)文明史的志向 です。 (A)は天皇と臣民の関係を構築する意味合いから「教育勅語」に結実していきます。 (C)は4者の中で最も過激な傾向を採り、神道の国教化運動をはじめ廃仏毀釈そして神話に国家のアイデンティティとしての拠り所を求めるなど復古調の動きを採っていきます。 これらに対し(B)(D)は現在の文献史学に通じる側面を有しています。  国家にとっての歴史編纂事業の意味は統治の軌跡とその根拠としての正当性を記すモノとしての位置付けから明治政府は1869年に旧和学講談所に「史料編纂国史校正局」を開設、翌年には太政官制により大学校に国史編纂局が設置されます。しかしながらこの国史編纂局はまもなく閉鎖され1870年には太政官に記録編纂掛が置かれ史料蒐集に着手したことが知られています。この後1875年に記録編纂掛に置かれていた歴史課は修史局に改組され、国家による歴史編纂事業がスタートしたとされています。  近代日本の歴史的歩み及び昨今の世情を見てもお分かりかと存じますが、その中で歴史がどの様に扱われてきたかを知ることは同時に教育に対する国家のスタンスにその一面が色濃く反映されています。とてもデリケートな部分が多分に含まれていますので個人的な見解を述べることは控えさせていただきますが、この辺りの事をお知りになりたいのであれば以下の書物を参考とされては如何でしょうか?。 『20世紀日本の歴史学』永原慶二著 吉川弘文館 『歴史としての戦後史学』網野善彦著 日本エディタースクール出版部 学部と修士課程で歴史学を専攻しながら不勉強かつ舌足らずなご説明しかできずに申し訳ありません。不明を恥じ入るばかりです。

noname#176297
質問者

お礼

ありがとうございます。お礼が遅れて大変申し訳ありません。 私の質問そのものは、単純なものなのですが、 答えようとすると、意外に奥深く、国家観、歴史観とつながっている ものなのですね。 大変丁寧に教えていただき恐縮です。 ただ、もともとの私の単純な疑問、 例えば安土桃山とか平安とかという具体的な時代区分と名称が いつ最初に提示され、あるいはいつ定着したのかというのは わからないのでしょうか。

  • TANUHACHI
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回答No.1

 通史というスタイルでの記述ですが、幾つもの史料があるので限定的なお答えにはつながらないと思われますが、歴史の変遷という点でいうならば古いところでは奈良平安時代の「六国史」(=日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・文徳実録・三代実録)平安から鎌倉時代の「四鏡」(=大鏡・今鏡・水鏡・増鏡)を始め、鎌倉時代の「愚管抄」に「どのように歴史が移り変わってきたか」が1つの歴史観として綴られています。他にも北畠親房の「神皇正統記」や新井白石の「読史余論」にみられる「九変五変説」、幕末の伊達千広の「大勢三転考」などがあります。  それぞれにキーワードがあって、例えば「愚管抄」では歴史の移り変わりが「道理」という言葉で語られています。

noname#176297
質問者

お礼

返事が遅れて申し訳ありません。結構難しい問題 なのですね。ただ、私が察するところ、明治時代 の教科書の編集というのも大きなファクターなのかとも 思えますが、結局は確定できないのですね。 ともかくありがとうございました。