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江戸時代の国学者は狂ってません?
本居宣長などが『日本古典にはもののあはれがあり、中国の儒学や仏教にはそれがない』と言ってますが、日本古典は全て中国の漢文ばかりですし、中国の文化をそのまま遣唐使が輸入したのでパクリだと思います。 要は日本古典は中国古典の真似事としか僕には思えてなりません。 当時の国学者は変わり者なのでしょうか?
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>日本古典は中国古典の真似事としか僕には思えてなりません。 そう考える人もいるでしょうけれど、現実は違います。日本の古典と言われる中でも初期の作品に表記には漢字だけが使われていますが、必ずしも正則の漢文だけではありません。万葉集や古事記などでは漢字を表音的に使用して日本語を表記しようと苦心しています。そもそも中国の古典を真似するのなら漢詩を作れば良いので(実際に作られてもいますが)、日本語の文芸である和歌集が作られた事自体、「単なる中国文化の真似事ではない」ことを示しています。 内藤湖南という昔の学者が、中国の文化が日本に与えた影響について「豆腐を作る際のにがり」のようなものという、独自の比喩で説明しています。豆乳だけでは豆腐になれないが、にがりが加えられることによって「豆腐になる力」が発揮されるというのです。中国文化が日本に与えた影響の大きさは言うまでもありませんが、にがりを加えられたことで豆腐が豆の味を失ってしまうか、そんなことはありません。 なお本居宣長の主張の中核は、源氏物語などの文学作品の価値を儒教や仏教の物差しではかってはならず、物語の本質は「もののあはれ」の描写にあるということです。『日本古典にはもののあはれがあり、中国の儒学や仏教にはそれがない』と言ってしまうと、逆に儒学や仏教を文学(物語)の物差しで判断していると受け取られてしまいますが、それは違うでしょう。 なお本居宣長と同時代に生きた文人で「雨月物語」の作者として知られる上田秋成は、「どこの国でも、その国のたましひが国の臭気なり」という鋭い指摘をしています。その国の人が「これこそ我が国の素晴らしさ」と誇るものが、外国人など異なる価値観からは「独特の癖や欠点」に見えてしまうかも知れないという意味です。国学者の「日本が一番」という極端に独善的な主張を批判したものですが、これは中国にも当てはまるでしょう。
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- nihonsumire
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大和言葉+漢語を上手く取り入れたと言えるんじゃないでしょうか。本居宣長は、国学を広めるために大見えを切ったと思うのです。個人的には、源氏物語は「うつろひ」だと思うのですが… 歴史に名を遺す人は、皆ある意味で狂気が宿ってますよね。
- NeilNico
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江戸時代には、多くの国学者が活躍し、日本の文化や伝統を研究し、教育に貢献しました。彼らの多くは、儒学や神道などの学問に熱心であり、彼らの研究や教育の成果は、現代の日本文化や社会にも影響を与えています。 ただし、江戸時代には、一部の国学者が精神的な問題を抱えていた可能性があります。江戸時代は、社会的な制約が厳しく、精神的な病気やストレスの原因となる要因が多かったため、一部の国学者が狂気に陥った可能性はあります。 しかし、彼らが狂っていたという証拠はありません。むしろ、彼らの多くは、教育や文化の分野で重要な役割を果たし、日本の文化や伝統を守り、発展させるために尽力していました。