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続 価値の哲学 第二版
前回の質問の問題点を整理して再度質問させていただきます。 続価値の哲学としましたが、以前の価値の哲学とは視点が違いますので無視してください。 仮定 「生命(人間を含む)は、本質的に不足している。」 此処で不足しているとは、他に依存しなければ存在できないと言う意味です。 仮定は正しいでしょうか?(証明が必要ないほど真実に近いような気がしますが、問題は「不足」と言う表現にありそうです) 仮定が正しいと、仮定した場合、 1)不足を補う方法は? 2)なにが不足しているのか? 3)なぜ不足しているのか? 3)の疑問は、経済哲学の権利を超えて純粋哲学と言いますか、私の関心外ですからこの質問では無視しましょう。 2)の疑問は、価値(広義の価値)とは何かになりますが、なかなか難しいです。そこで、1)を先に解決して、2)を解決できないかと考えたのですが、浅知恵だったようです。 この疑問は、経験や感覚に関係ない、純粋に理論的な範囲で考えたいのですが、仮定に誤りがあるのか、方法に問題があるのか?私自身の性格に問題ありは無にしましょう。 ついでに、 4)なぜ不足を理解できるか?といった別の疑問が有りましたら教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
ご質問にお答えしたく思うのですが、ある事態Fに対してAという用語を使うか、Bという用語を使うかによって、その後の思考の展開に大きく影響を及ぼします。ここでは「不足」という言葉を用いることがそのような問題を引き起こすと思うのです。 この質問について言えば、生命(人間を含む)というものをどのようなものとして捉えるかという問題に対して「不足するもの」と捉えるのは不適切であると考えます。なぜなら「不足」という言葉を使用すればそれに対して「充足」であるとか「補填する」とかいう言葉が思い浮かびます(ご質問者はそちらにひきずられて質問をなさっているように思えます)。 しかし、私は生命というものを何らかの固定したものとして捉えるのではなく、一つの営みあるいは過程として捉えるべきであると思うのです。つまり、生命とはその環境から孤立したものではなく、生命は自らを取り巻く環境からエネルギーと物質を取り入れ、変形加工して自らの複製を作り出す営みであると定義したいです。こうした私の視点とご質問者の視点とがずれていることは判っていただけると思いますが、できる限りご質問者の思考過程に沿いつつお答えしようとするならば 1)不足を補う方法は? それが人間または動物であるならば「食物を食べる」という方法で補います。植物・細菌・ウィルスなどはそれぞれの方法で必要とされるものを補います。 2)なにが不足しているのか? 生命を維持するのに必要な化学物質とそれから生じるエネルギーです。 3)なぜ不足しているのか? 上の2)の答えを延長すれば不足しておりません。不足すればその固体の活動が止まるだけです。また、そうではなくご質問を「生命を不足するもの」と捉えその理由を問うのであれば答えは「その定義によって演繹されるから」となるでしょう。 4)なぜ不足を理解できるか? 動物であれば飢餓感からです。また、このことも生命の定義から演繹されます。 というのが私の答えになります(もちろん、この様な答えをご質問者であるfishbowl66さんは求めていないことを承知しています) さて、この質問は従前の質問「価値の哲学」とは視点が違うとのお話ですけれど敢えて経済的な価値に引き戻して考えて行けば 直接端的な価値:生命を維持するのに必要な物質=食物 次に生じる価値:食物を楽に得る為に必要な道具。あるいはそれが得られる環境。 間接的価値:道具を作る為の道具、食物を得やすくする為の集団と組織。 さらに間接的な価値:集団を動かす為の導因となる権力、価値交換手段としての貨幣。 というように何段階にも価値が設定されていくもの(これはもっと緻密かつ丁寧な階層設定がかのうでしょうし、本職の経済学者の仕事でしょう)と思います。 現代社会の問題点の一つはこのように何層にもわたる価値の階層を貨幣というもので一元化して考えることが普通になってしまっていることであり、ごく普通の社会生活においてはそれが思考の節約にもなって正しい方法ではありますが、このような原理的な問題を考えるときに一つの要因だけを取り上げることはその部分においては正しくとも全体としては誤りをもたらすものと私は考えます。 つまり、「生命とは本質的に不足している」と定義した時の射程は「生命を維持する物質=食物」という直接端的な価値の範囲までしか届かず、それ以降の段階の価値の問題と関連づけようとする(「奪うものか、与えるものか」と問うことなど)ならば、見当違いになってしまうと思われます。それが前回の質問(http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=821408)に対する皆様のお答えであると思いますがいかがでしょうか。
その他の回答 (2)
> さらにこの質問は、 >「不足」と言う経験的?な言葉を使用しながら、 > 経験的?な回答を否定する意味不明な > 質問になっています。 fishbowl66さんはほんとうに鏡像のようなお方ですね。(笑) 申し遅れましたが、 こちらこそ宜しくご指導お願いします。m(_ _)m 従来通りの楽しい第三版に期待しています。 (手前勝手な解釈でツッコミ入れるだけかもしれませんが(^^;)
お礼
>従来通りの楽しい第三版に期待しています。 このように、書かれると大変助かります。 もっとも、調子に乗って、同じ失敗を繰り返していては、皆様から見捨てられてしまいます(すでに見捨てられた方も沢山お見えのようです)。暫らく時間がかかりそうですが、この質問は、第三版と交代で締め切ることで、自分にむち打つことにします、お目障りですが、お許しください。 落書き #ゴミの山の中から、「三角神獣鏡」が見つかるかもしれません。 有難うございました。
> 1)不足を補う方法は? 創り出すというのはどうでしょう。 > 2)なにが不足しているのか? 発想力とかかな。 > 3)なぜ不足しているのか? 単純に考えると探求心が欠けているから ということになるのではないでしょうか。 > 4)なぜ不足を理解できるか? すいません。質問の意味がよくわかりません。(^^;
補足
前回よりかえって不出来になったこの質問を、どのように締め切るか、悩んでいました、このご回答を頂き、次の質問が整理できてからお礼かたがた締め切ろうと思っていましたが、捕捉要求だったことに昨日気が付きました。皆様にお詫びします。 さらにこの質問は、「不足」と言う経験的?な言葉を使用しながら、経験的?な回答を否定する意味不明な質問になっています。 全体として、全てが依存関係にある場合、最初の質問は、「人間」の依存関係に焦点をあてたのですが、今回、宇宙全体にするか地球の生命にするか、ひとまず安易に、生命にしてボロを出してしまったようです。 ここから本来の補足です。 4)なぜ不足を理解できるのか? 知らなければ、足りないと気が付かない場合もあるのではないのでは、そのような意味です。勿論、単細胞生命等には無用な疑問でした。
お礼
なるほど、声が出ませんね。 前回の「価値の哲学」は価値の主観性について確認したのですが、価値が個々人の内面に原因していては、「価値」とは何かと問うことが、方法的に間違っていたような気がしました。 そこで一番最初の出発点、例のデカルト的な疑いえない、確実な土台を「不足」に求めてみたのですが・・・それ以降ご回答者様の仰る価値の段階を出来れば貨幣までと・・・ しつこさだけが取り柄ですから、「エントロピー経済学」を参考にして、何とか次の質問を見つけ出したいと思います。 本当のお礼は次の質問と言うことで、有難うございました。
補足
>現代社会の問題点の一つはこのように何層にもわたる価値の階層を貨幣というもので一元化して考えることが普通になってしまっていることであり、ごく普通の社会生活においてはそれが思考の節約にもなって正しい方法ではありますが、このような原理的な問題を考えるときに一つの要因だけを取り上げることはその部分においては正しくとも全体としては誤りをもたらすものと私は考えます。 思考の節約は正しい方法ですか? 善悪と無関係な貨幣に一元化して、それで正しいのですか? 価値の「不足」は一つの要因ではなく全体を、つまり自然の法則に対する価値の法則として、言い換えれば、価値の法則が自然の法則と無関係ではない全体像を顕すものだと考えますが、如何でしょう。 良い質問は、なかなか難しいです。