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利益も感情も排した行動原理

利益も感情も排した行動原理こそが、最も利益も感情も充足させると思います。 なぜなら、そこに発見があるからです。 利益を考えないことが利益になる驚き、不倶戴天の敵が協力者になる驚き 結局、不利益は不利益としかみなさないから、敵は敵としかみなさないから、不利益、敵のままになる。 「予言の自己成就」=たとえ根拠のない予言(=噂や思い込み)であっても、人々がその予言を信じて行動することによって、結果として予言通りの現実がつくられるという現象のこと とはこのことである。 こうなると、利益も感情も客人であり、せっせと働かすことはせずもてなすのみである。 どうでしょう?

みんなの回答

回答No.2

> 利益を考えないことが利益になる驚き、不倶戴天の敵が協力者になる驚き > 結局、不利益は不利益としかみなさないから、敵は敵としかみなさないから、不利益、敵のままになる。 そうなることもあったっていう程度じゃないの? そうならないことの方が多いと思うけど、どう? あと、そう理解した後では、そうしようとすることは、そうすることにはならないと思うけど、どう?

回答No.1

利他的な精神的充足を追及する事が、結果的に 相互扶助による組織の最大効率を可能にし、 その意志の充足において最大充足を可能にする にしても、それは「利益や感情」を排する事ではない。 基準軸が異なるだけで、精神的充足のためには 肉体的な健全性も必要であり、物質的にも適宜 充たされねばならない。 また、いかなる深い認識性に基づいた充足感も、 その起源にあるののは生物進化の結果得られた 遺伝的な本能~感情であり、認識とはそれに抗す るものではなく長期的に最大限に充たすために、 コントロールして発揮するものなのだ。

MOG777
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 利他的であることと自分のイメージとしての利他的であることには差異があります。 真に利他的であるためには、まず価値判断を超え子供が初めて接するように 世界と戯れることが必要ではないでしょうか?

MOG777
質問者

補足

利益も感情も相対的なものであり、もちろん利他も。 社会や他者などの関係のおいてでしか生まれない。 だから、自己判断に立脚した善は悪に転化し 自己判断に立脚した強さは弱さに転化する。

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