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行動で感情をコントロールするには?
興味深い記事を見かけました。 「行動で感情をコントロールしよう」(日経新聞系のサイト) http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080513/156359/ 行動が負の感情をコントロールする鍵となり、前向きになると言うものです。このように「行動が感情を左右させる」ということは心理学では普通のことなのでしょうか? そのメカニズムとは? あいにく上の記事では、詳しいことが分かりません。もし新書あたりで詳細に解説しているお勧めの本などありましたら、ご紹介のほど宜しくお願いします。
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ご質問の事柄は情動の抹消起源説、いわゆるジェームス=ランゲ説と呼ばれるものではないでしょうか。 この理論は人間は悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ、というように環境に対する身体的な反応こそが情動体験を引き起こす原因であり、生理的(末梢の)変化によって感情が生じるとする説で、情動が身体の変化と関連しているという考え方に影響を与えたとされています。 19世紀後半から20世紀初頭におこった機能主義心理学の流れで提唱されたと学びました。 私は認知心理学の専攻でないうえ、まだ学生のためメカニズムなど詳しくは知りませんが以下のページに詳しいようです。 初投稿でした。ご参考になれば幸いです。
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- Diogenesis
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誰がどのような根拠に基づいて記事を書いたのかが判然としないため断定はできませんが, 学習理論に基づく行動療法ないし行動修正的アプローチのような気がします。 不適応行動の多くは不適切な学習の結果であるという観点に立ち, 適応的行動を再学習させることで問題を解決しようというのが行動療法の基本的考え方です。 たとえば トイレのドアも閉められないような重症の閉所恐怖の人を ドア全開の状態で家のトイレに座らせてリラックスさせる。 次にドアが80°開いた状態でリラックスさせる。 それができたら60°開いた状態でリラックスさせる。 それができたら40°・・・という具合に, 最終的にドアが完全に閉められてもリラックスしていられるように学習させるのが 行動療法の一種,系統的脱感作法(=順序立てて少しずつ鈍感にさせる技法)です。 家のトイレでドアを閉めることができたなら, 次は職場のトイレ,公共トイレ・・・と範囲を広げていきます。 これは恐怖喚起刺激に対して 恐怖反応(交感神経系賦活状態)と両立しない 拮抗反応(副交感神経系賦活状態)を条件づけて置き換えていく試みです。 リンク先の記述はこれに似ていますね。 行動療法にはこのほかにも多様な技法がありますが, ものの見方や考え方の癖の改善を目標とする認知療法や合理情動療法と合流し, 近年は認知行動療法という名称で発展を遂げています。 #1さんの挙げておられる情動のジェームズ=ランゲ説も関係ありますが, これ自体は歴史的な学説であって,今もそのままの形で信奉している研究者はいません。 挙げるならむしろシャクター&シンガーによる情動の2要因理論でしょう。 人は自己の情動を十分に内部弁別できておらず, 「内部状態の変化」+「自己の行動やそれが生じる文脈の参照」によって 情動の適切なレイベリングが可能になるというのがその主張です。 感情体験は刺激に対して発生した身体反応を説明するために皮質が作るストーリーであるという アントニオ・ダマシオの仮説も基本的に同じ路線のものです。
お礼
興味深いご回答、ありがとうございます。 認知行動療法。初めて知りました。ポイントは「認知」ということですね。 ただ疑問なのは、落ち込んでいるときに微笑むというのは、精神疾患を快癒、あるいは改善させるという方法論とは異なるのではないか? ということです。いかがでしょうか? むしろ最後の節、「情動の適切なレイベリングが可能になる」というのが、僕の知りたいことと合致いたします。ここのところを詳しく知りたいところです。 しかし、「副交感神経系賦活状態」とか「交感神経系賦活状態」って、心理学で普通に使われているタームなのでしょうか? 漢文かと思っちゃいました。
- horahuki-dondon
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自己開示セミナー経験者です。 感情が行動を制約するのか、その逆かどうかは知りませんが、 脳が全てをコントロールしている事は間違いないと思います。 ワークショップ(検索してみてください)などは、心理学を応用しさらに進化させたプログラムであるように言われています。 余談になりますが、性格が変わる変わらないかよく議論されていますが、 無理をしてでもやり続ける事により、最初の違和感が苦痛でなくなれば、それはすでに自然体であると言う事です。 気づけば性格は変わっている事になります。 すなわち、性格は変える気になれば変えられるのです。 あなたのリンク先にもこう書かれています >最初のうちは「無理をしている」という違和感があるかもしれないが、徐々に感情が行動に寄り添い、最終的には明るい自分を取り戻すことができる。
お礼
回答ありがとうございます。 「脳全能主義」は、僕はちょっと疑問符が付くのです。いろんな方が・・・高名な学者さえ・・・そういっていますけど。脳死問題が未だに問題なのは、脳の不機能がすなわち死なのか、という議論ですよね? それは誰にも分かりません。一度脳を損傷し、再び回復した人間の証言を待つしかありませんが、それはおそらく不可能でしょう。 性格は変わるか? これも難しい問題ですが、表層的なレベルでは可能だと思います。しかし、何かしらの根源的なレベルでの性格は、変わらない気もします。それも分かりません。変わったと思えば変わったのでしょうし、そうじゃないといえばそうではない。これも実証は難しいですよね。 いずれにせよ、良い方向へと歩もうとしたときに、もともとの苦痛が苦痛でなくなったことを経験された方の意見として、参考とさせていただきます。
お礼
初投稿と言うことで、ありがとうございます。 なかなか興味深い記事でした。僕は「認知心理学」というものを知らなかったのですが、乱暴に言えば、情動はその原初の認知の形態によって決定付けられるもの(だろう)という主張なのですね。行動が認知・認識を初期的な状態で決定するなら、例えば笑顔を意識的に作れば、微笑という身体的動作が快の自然な所作であることを逆に人工的に制御できる、ということでしょうか。だとすれば、このことは「根性論」を一種、「科学的」に(あくまでも「科学上」ではないですが)説明することが出来ますね。いわゆる「気合い」を入れれば元気が出てくる、という迷信めいた例のあれです。 僕は心理学に全く疎いのですが、では精神医学とは違うのですね。いまその違いが分かった気がします。精神疾患を「脳の病理学」から見れば、精神状態と逆の行動を行うことがストレッサーになりうるわけですよね。あるいは深刻な事態を招くかもしれない。メンタルヘルスと言いますが、安易に心理学や精神医学を齧ることは慎もうと思いました。