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ナウシカは何故シュワの墓所を破壊したのですか?
要は押しつけがましい昔のヤツに、なんかムカついた破壊衝動ってことでいいんですよね?
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- shift-2007
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何年かぶりにこの本を開きました。 同じく7巻200ページにこんなセリフがあります。 「あわれなヒドラおまえだっていきものなのに 浄化の神として造られたために生きるとは何か知ることもなくもっとも醜いものになってしまった」 『生きるとは何か』ナウシカが問うていることはここだと私は感じました。
- shift-2007
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ナウシカの行動は世界の意思だと思います。 この世界の存在理由を否定することはこの世界が許さないということですかね。 人間は結果ばかりを問題にするけれど、世界はプロセスを問題にしているんじゃないかと。 人間は戦争がない平和な世界という結果を求めるけれど、世界はそれに至るまでのプロセスが重要だと考えているんじゃないでしょうか。 だから人間がどんなに愚かな行為を行おうと、それを克服していくプロセスに意味があると思っているんじゃないでしょうか。 旧人類を排除して怒りや欲望を抑えた人類を作ることは世界にとって意味がないと思われます。 人類も世界の一部なのですから変化のない固定化された存在に人類が成ることを世界は望まなかったのでしょう。 世界そのものが変化を求めているとも言えるのかもしれません。
お礼
7巻200ページによると、ナウシカは 「苦しみや悲劇やおろかさは、清浄な世界でもなくなりはしない、それは人間の一部だから……」 と思っていました。 苦しみや悲劇やおろかさがなくなりはしないということは、旧人類のヒドラが言っていることは夢物語で、新人にも完璧はあり得ないということではないでしょうか。 苦しみや悲劇やおろかさがあるということは、新人の世界でも変化は強いられるということでしょう。ナウシカはそういう認識だった。 ではナウシカが拒んだものは何だったのか? それは自然を造り替えて思い通りにしようとする意識そのものだったのではないでしょうか。自然は神であり、魂であり、人間の手でコントロールすることの出来ないものです。その魂が宿る肉体を勝手にいじり回す、人間の傲慢さに対する怒りだったのではないかと思います。 ありがとうございました。
- alwen25
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>つまり、ナウシカは滅ぼされるかどうかということも含めて、 「この星が決めること」 を望んだのであって、人間が科学によっていじり回すことを嫌ったのでしょう。 だから、ナウシカは凄いのです。個人的には、現実の人類もこれくらいの考えかたをすべきだと思います。旧人類が本気で、復活を望んでいるなら卵をシュワの墓所に全て置いておくなどということは、浅はかだったと言えます。ナウシカがやらなくても自然災害によって全滅することもありえたのです。実際に旧人類の復活が「この星の決めたこと」であったらシュワの墓所以外にも卵はあったということになるでしょう。(こればかりは、ナウシカの続編が書かれないと確かめようがありません)
お礼
『風の谷のナウシカ』への感動は、自分が生き残ることよりも、自然という神に従うことに、善を見出すことなのかもしれません。 そこに俗っぽさを超えた真善美があるのではないでしょうか。 ありがとうございました。
- alwen25
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>腐海も蟲も何もかもを愛でたということは、自分に近いか関係が薄いかは問題にならないのではないでしょうか。 腐海や蟲との共生は可能ですが、清浄な環境を要求する旧人類とだけは共生が不可能だからではないでしょうか。自然の成り行きに任せるというのは、ナウシカの「それは、この星が決めること」という言葉に良く表されてると思います。
お礼
清浄な環境は既に腐海の極まった所で発生し、広がりつつあったのであって、旧人類と共生しようとしまいと、いずれその環境は訪れてしまうことは承知の上だったと思います。 つまり、ナウシカは滅ぼされるかどうかということも含めて、 「この星が決めること」 を望んだのであって、人間が科学によっていじり回すことを嫌ったのでしょう。 ところで、今までの世界は、例え全てを人間のバイオテクノロジーで作り上げたのだとしても、それは 「この星が決めたこと」 だったのでしょう。 シュワの墓所とは、人間が科学で自然をいじり回そうとする意識そのものの象徴だったのでしょう。 ありがとうございました。
ナウシカ達は、自分達の力だけで生きたかったのだし、また、生きて行こうという自信があったからだと思います。設計された生命として生きて行くのは御免だったのではないでしょうか。
お礼
例え清浄な地で滅ぼされる運命だったとしてもシュワの墓所を破壊したということは、ナウシカは自然に滅ぼされても良いが、人間などに運命を左右されたくはなかった。 そういうことでしょうね。 ありがとうございました。
- alwen25
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>自分たちの身を守ると言うことがナウシカにとっての善なのでしょうか? 善かどうかは分かりませんが、ナウシカの立場に立ってみれば当然だと思います。 ナウシカの時代の人類は、汚染に耐えられる(汚染がないと生きられない)ように 遺伝子操作をされている段階で、もはや旧人類とは別の生物なのです。 逆にナウシカの一族(当時の人類、トルメキア、土鬼なども含む)を全滅させて、 自分とほとんど関係のない旧人類を復活させるほうがはるかに不自然だと思います。 また、この話は個人的には優生学(今でもあるのかは知りませんが)に対する良い警鐘だと 思っています。(人類を人工的に作り変えたら、そちらの生物に今の人類が滅ぼされる)
お礼
普通の人なら自分たちが生きる術を盲目的に求めるものでしょう。自分に近いから、親戚だからということを取捨選択の判断基準にしたでしょう。 しかし、ナウシカというキャラは自分の立場を顧みず、善と感じることを探し求めていたのではないかと思います。腐海も蟲も何もかもを愛でたということは、自分に近いか関係が薄いかは問題にならないのではないでしょうか。 もし自分たちが滅ぼされることが善であるならば、それに従ったでしょう。しかし、ナウシカはそう感じなかった、自分たちがそのままで居ることが善だと感じた。それはなぜか。 それが自然だからです。 自然の成り行きに任せること、その意識自体が大事で、自然の成り行きに逆らおうとする意識自体が悪であると、ナウシカは感じたのではないでしょうか。 世界が全て人間の手によってもたらされたバイオテクノロジーであったとしても、その生物に宿る魂は自然の神の手に委ねるしかない、だからもたらされた結果であるところの腐海などは愛した。 しかし、その自然を自らの手でこねくり回そうとする意識は否定した。 もし、新人の卵にはまだ魂が宿っていないのだとしたら、それを破壊するのはナウシカにとって矛盾ではないと思います。 もっとも、新人の卵にはまだ魂が宿ってなかったことを知っていたのかは疑問ですが。 ありがとうございました。
- NemurinekoNya
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こんばんはです。 いいサイトを見つけましたので、 参考までにご紹介します。 http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/nausika.html わたしと同じことを考える人がいるようですね。 わたしは、ナウシカ6を読んでいないので、ナウシカがどのようなことをシュワの墓所と話したのかは知りませんけれども、 このホームページに書いたあるような難しいことを、 本当にナウシカは言ったのかしら(ハテナ)。 ナウシカと宮崎駿を買い被りすぎなのではなかろうかと。。。 わたしには、ナウシカという作品は、宮崎駿の《近・現代を支配する理性に対する疑い》の表明程度にしか受け止めることができないのですけれど。。。 二度の世界大戦、ベトナム戦争など、理性の支配する現代、科学技術は、悲惨な結果を招いているので。。。 最後に、 わたしならば、シュワの墓所にある卵とやらとの共存の道を模索し、その道を選択しますかね。
お礼
自然が好きで、人間が科学で何とかしてやろうという考えが嫌いだ、という単純明快な意識は、漫画でも映画でも終始変わらなかったと思いますよ。 結果は自然の摂理、道理通りに進行します。それが人間の営みであったとしても。 しかし、人間の意識には自由意思が許されているため、自然に従って生きるか科学で何とかしてやろうか、という判断は人間に許されています。 神の分霊は虫一匹、木の葉一枚にすら宿っています。その肉体を神に従い受け容れて行くのか、人間が科学でいじりまわしてやろうかという考えは人間自身の自己責任に委ねられています。 しかし、結果は神の手のひらの上通りにしか進行しません。だからナウシカは既に存在するものを愛した。 自然を愛し、自然を否定しようとする意識を破壊することは、ナウシカにとって極自然だったのかもしれません。 しかし、新人の卵も結果ではないのか、という疑問は残りますね。 ありがとうございました。
- NemurinekoNya
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NO4の付け足しです。 NO4の回答に対する質問、ご意見などがございましたら、 NO4もしくはこの回答のお礼欄に 気楽に書いてください。 答えられる範囲で、お答えいたします。 ではでは。
お礼
哲学議論と将棋は似ていますね。言葉の議論での勝敗に何の意味があるでしょうか。勝ったから真理があるのではない、勝敗など不毛なものだ、真理とは議論の過程の中でそれぞれの人が感じ取って行けば良い、私はそういうスタンスです。 私には残念ながら高い学はありませんので、かつての哲学カテにはとてもついて行けませんでした。しかし、最近難解な言葉が減ったのはどういう訳かが知りたいものです。 ありがとうございました。
- NemurinekoNya
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弱ったな。 わたし、最初にナウシカのすべてを読んでいないよ、と前置きした上で、書いたのですが。。。 質問者さんのNO1のお礼の口ぶりから、腐海は人間が作ったのかなと思ったりもしたのですが、 推測は交えない方がいいなと思い、知っている範囲で書きました。 わたしが読んだのは、ドルクでしたっけ、皇弟を兄が殺し、クシャナと結婚がどうたらこうたらという場面までです。 であったとしても、 NO3の前半に書いた内容は必ずしも破綻していないはずですよ。 腐海誕生に人間の科学技術が深く関わっていたとしても、その科学技術は自然法則にのとっているのであって、その自然法則を人間が作ったわけではない。 人間がどんなにあがいても、自然法則を変えることはできないんです。 人間が作ったつもりでいる腐海すらやはり自然の取り入る一形態、一つの可能性であって、やはり自然なのです。 そこまで考えて書いていますよ。 (1)自然法則にしたがっているのだから、それすらも自然である (2)自然界には元々なかったのだから、それは自然とは呼べない わたしは、(1)の立場。 質問者さんは、たぶん、(2)の立場。 なので、自然の解釈が違っていると思うのです。 そして、 わたしの立場からすると、 腐海を自然でない、ということ自体が、もうすでに傲慢のように目に映ってならない。 宮崎作品、大嫌いです。 わたしがナウシカを読んでいたのは、クシャナが好きだったから。 無駄かもしれないけれど、人類のために、人類の未来のために、みずからの手を血に染めながら、そして、その自覚を深く持ち、その責任をみずから負う、クシャナの姿に人間の姿を見たから読んでいただけ。 ナウシカなんか大嫌いですよ。 一時的な衝動から、父親を殺したトルメキアの兵を多数殺してみせる。 そして、「わたしは何てことをしたのだろう」と泣いてみせる。 はっきりいってバカですよ。 救いようのないくらいの大馬鹿野郎ですよ。 生命の尊厳をまったく理解していない。 そういうことです。 こういう考えもあるのだということで、まぁ、勘弁してください(ペコリ)。 まぁ、ネコのいうことですから、軽く聞き流してください。
お礼
人間の科学の進捗状況も自然の一環だと思います。私はただ『風の谷のナウシカ』のあらすじを述べただけです。本当は人間がクローンなどのバイオテクノロジーで恣意的に生物の肉体を生み出したとしても、その魂をも支配することは出来ないということは、人間の恣意でさえも、自然という意識体の手のひらの上から抜け出せないのだと思います。人間の恣意も自然の一環だと思います。 クシャナもナウシカも人間の愛憎の表裏を表す一端、それぞれの形だったのではないでしょうか。 愛は憎しみと一体だと思います。愛が無ければ憎しみはない、憎しむということは愛するということではないでしょうか。愛が無いということは無関心ということです。 人間というものは元々バカなものだ、それは愛のせいではないでしょうか。その発現を高度にして行くことが、人間に課せられた課題なのではないでしょうか。 愛の現れ方が、ナウシカは無垢でクシャナは大人だった、それだけの違いなのではないでしょうか。ナウシカもクシャナもその意味で同じキャラだった。 もっとも、著者が同じなら全てのキャラはその著者の精神性の別の側面である、と言うことも出来ると思いますが。 この著者は無宗教、無信仰であるにも関わらず、どこか本質の理解に勘があるように思われて仕方がありません。また、そうでもなければここまで売れなかったでしょう。 ありがとうございました。
- NemurinekoNya
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腐海は自然ですよ。 腐海は、人間に汚された自然を浄化するために生まれた、自然のシステム、自然の働きなのですから。 確かに、深い誕生には人間は関わっています。しかし、腐海に人間はタッチしていません。人工の要素はまったくありません。その要素は、腐海によって拒絶されます。 しかし、 腐海のもたらす恩恵を受けて、ナウシカの世界の人々は生かされている。。。 と考えられたら如何がですか? ナウシカ、映画や漫画の中で、上述の内容のようなことを言っていたと思いますが。。。 ☆反科学技術文明の思想ということなら、ナウシカを腐海好きにするでしょうか。「自然に帰れ」ということだったら、例えウソであっても、シュワの墓所が言うことに従って犠牲になるのが、ナウシカの態度ではないでしょうか。 ◇最後までナウシカを読んでいないので、ナウシカの発する言葉はわかりません。 ところで、クシャナ殿下、最後はどうなったのですか? わたし、クシャナ殿下の大ファンだったので、ナウシカの発した言葉以上に、クシャナ殿下の行く末が気にかかっています(笑)。
お礼
腐海生態系は旧世界の文明人によって作られたバイオテクノロジーの浄化システムです。全ての生命が作り変えられました。腐海ではないと思われていた部分もです。 しかし、人間が科学技術によってもたらした生命であっても、その生命に宿る魂まではコントロールすることが出来なかった。その生命に宿る魂は、個にして全、全にして個。その肉体に最も適切な魂が、適切な自然法則に従って宿るのです。 ナウシカが愛したのはその魂の方だったのであって、人間によって設計された肉体か、自然のままの肉体かは問わなかったのではないでしょうか。 ナウシカが腹を立てたのは、肉体を勝手にいじる人間の傲慢それ自体だったのではないでしょうか。結局、ナウシカにとって、何が生き残ろうと、それはどっちでも良かった。ナウシカは人間の傲慢そのものにとどめを刺したかった、その象徴としてシュワの墓所を破壊した。違いますか? クシャナはナムリスと結婚しますね。 ありがとうございました。
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お礼
生きることは変化することなのではないでしょうか。苦しみや悲劇やおろかさがあるということは、それを乗り越えなければならないということです。そのプロセスで変化は強いられるということです。だから、プロセスは重要なのでしょう。 同137ページには、「個にして全、全にして個」という言葉も登場します。 この著者は一体どこからこういった真理を得たのでしょうか。連載は1982年からのようですが、腐海の精神は初期の頃からすでに設定してあったと思われます。本人は特に信仰しているものは無いはずなのに。もはや本人が審神者だったと言えるのかもしれません。 または、こっそり秘密の情報に基づいていたのかもしれませんが。 ありがとうございました。