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性衝動と破壊性
人間や動物の性衝動っていうのは、破壊性を内包しています。 蟷螂が受精の後、メスがオスを食ってしまったりとか、哺乳動物でもありますね、交尾の後相手を殺したりとか、人間ではSM趣味とか、その行き着く先が快楽殺人とか、いろいろ「破壊」とセットにして考えざるを得ないもんがあります。 私の場合ですが、結構戦争ものの話しやら、軍事記録の記述やら、自衛隊演習のビデオやら好きなんですね。これは何でかと言うと、性的な性衝動と連動していると考えるべきだと思っています。また、人間の趣向性のかなりの部分に、性欲の代償行為的な破壊欲求に基づく行動があると考えます。 これは一体どういう理由でそういう風になったのでしょうか? 私なりに考えますと、有性生殖とは、相手と交わり、遺伝子の交配がある行為ですから、多かれ少なかれ、相手の肉体と自身の肉体が融和状態あるいは励起状態というのか、ともかくも自足的な状況とは違うものが必要とされ、それが「破壊的」と言うことに結びつく。挿入行為だって一種の破壊的作業ですよね。で、こういう傾向が生物的必要性からあるのだが、それがどういう生物史的な流れを通って定着したのか?わかりそうでわからないところがあります。生物は、他の生殖様式を選ぶことができなかったのだろうか?とか。 そういう諸々の「」性欲と「破壊」について伺いたいので、お願いします。
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フロイトが言い始めたことだと思いますが、性衝動は退行的な、死の衝動を伴って起こるという仮説ですね。 これはサディズムや暴力的な性の行動一般とはとりあえず無関係なもので、オーガズムを目指す時の無重力的な退行的心理の様な、自殺衝動に近い人間の意識の動きのことを言っているのだと思います。 有性生殖でないもっと下等な生物においても、プラトン的な分離以前の未分化の状態へ戻りたいという衝動に駆り立てられる現象が見られるということです。 生殖そのものは全く逆の、生命力に満ちた再生の行動ですから、これは生殖とはまた違うものでしょうね。 渋沢龍彦氏はこれを生物に普遍の愛の原理に根ざすものだ喝破しておられます。 ご参考まで。
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「色欲」と「破壊」を関連付ける人間は、確かにいると思います。 言葉の制限が有るので、漠然的な表現に成ります。 まず、色欲妄想の先に、何が見えるのか。 衝動による実行か、抑制が働くのかが有る。 次に、衝動の実行で、何を期待するのか。 一方的な満足か、お互いの利害得失の差異は、どう成るかの相性の問題です。 一方的な満足の場合、更なる欲望が渦巻くから、その時、何に「最果て」を求めるかが問題です。 自己処理で済むのか、他に求めるかです。 最後に、最果てが、破壊という自制心の効かない状態に成るか。 「強姦」魂を殺める行為です。 その上が、人という肉体を殺める行為だと思います。 関連付けは、こんな感じですね。 私の持論です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 精神的な作用が行き詰ったところに純粋な破壊性があると言うことですね。なかなか納得できるお考えだと思いました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 オーガスムを目指すのが退行的というのがどうもわかりませんが、死の衝動というのは実感できますね。生殖⇔死という対極がセットになっているのはきわめて自然な気もしますね。