- 締切済み
細輪に菊の葉に菊 の由来
実家の家紋が「細輪に菊の葉に菊」という家紋だそうです。 何時代から家があるのかは知りませが当代で26代目らしく結構古くからあるようです。 この家紋をつけている武家や公家があれば教えていただきたいです。 また、どのような由来かもわかれば教えていただきたいです。 一応、苗字は澁谷(シブタニ)です。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- chomicat
- ベストアンサー率55% (586/1047)
菊紋の一つですね。 但し菊の紋は私の知っている限りでは165種あります。 その内菊の葉に関する紋は10数個。 菊紋を使っていた有名どころでは「楠正成」 ただこの菊紋は 天皇家から許可が出た家 公家、宮家、或いは皇室ゆかりの寺院、(例えば三井寺など)神社。 戦国時代以前の武家、地方豪族。 などに限られています。 明治になって家紋は一般に自由に作って使えるようになりましたが菊紋を一般人が使う事は禁止されていました。(隠れて使っている人もあったでしょうけれど告げ口で捕縛されたでしょう) 何故なら天皇家の紋が「十六八重表菊花紋」だからです。 明治の頃に自由につけた家紋を「仕入れ紋」と云い、庶民(平民の身分:壬申戸籍法に寄る所の)は例えば難波の商人なら秀吉に習って五三桐などをつけた人が多かった様です。(加賀前田家に習って梅鉢なども多かった) 若し貴方の家系が古く(少なくとも10代以上続いている等)一族の墓石にその紋が刻んであるとすれば宮家、或いは地方豪族、武家の出かもしれません。 公家の広幡・水無瀬・七条・桜井家などが用い、武家なら足利尊氏が後醍醐天皇から恩賞として菊紋を下賜されたとの事。 代表的なのは設楽氏(三河大伴や菅原道真系統)が「三つ盛菊」、楠木・和田氏(桓武平氏系の北条家あたり)が「菊水」、逸見氏( 甲斐源氏系)が「籬架(マセ)菊」、大芋氏(丹波)が「二つ雁に菊水」、妹尾氏(藤原鎌足の家系)が「輪違いに菊」、宇津木・中村氏(小野篁家系と大和の中臣の家系)が「亀甲の内に菊」、若槻氏(八幡太郎義家の系統)が「菊」、横越氏(多分越後の豪族)が「丸の内に合せ割菊」、大河戸氏(藤原家郷系統)が「並び菊」とかなりの武家が用いています。 代表的な「細丸菊の葉」は細丸の中に五葉の立ち菊がある紋ですがお尋ねの葉にまた菊花が有ると云うのは存じ上げません。 紋は自由に作りかえられますので、使用禁止されていた戦前以降(終戦以降)に作られたものかもしれませんし。もっと古くから一族で御使いになっていたのなら江戸時代以前(中心は戦国時代)まで遡れるかも知れません。 家紋は普通父方の紋は墓石に(武家なら梵字で真宗などなら家紋)刻まれているのが普通です。 又、母方の紋は羽織に染め抜くのが正当です。 母方の紋はその娘が嫁ぐ時に設える羽織の紋として婚姻で苗字が変わっても代々女系に継いで行かれるものです。 その辺りもきちんと検証なさらないと、目にしたところだけで判断は出来ません。 また菩提寺の過去帳ではどうなっていますか? 或いは御住まいの鎮守社に古文書はありませんか? 苗字と家紋から古い家柄であれば相当遡れますので家紋云々よりも苗字とあわせお調べになっては如何でしょうか? なを、日本の家紋は35万以上と云われていますし、10万種くらいは織屋や染屋、呉服屋などが持っている家紋帳で調べられます。 ご苗字が渋谷? 今も大和市・藤沢市・綾瀬市あたりに御住まいですか? 系統としては「相模国高座郡渋谷荘」を本願とする苗字で分派は薩摩渋谷として鹿児島にあります。 元は桓武平氏秩父氏から分派していますし、本統の藤原、橘氏なら家紋は揚羽蝶か鱗紋ですから、ご苗字から察するに今の神奈川県高座郡の相模川と境川にはさまれた平野部の御出自でしょうか?
- PopoAmin
- ベストアンサー率50% (70/138)
「細輪に菊の葉に菊」ってあまり聞かない家紋なので どういうものか探して見たんですが見当たりません。 他の人も、その家紋自体が分らないんだと思います。 その家紋の正しい名称は「細輪に菊の葉に菊」で合っていますか?
お礼
そうなのですか? あっています。
お礼
ご返信ありがとうございます。 質問を載せたあと祖母に電話して聞いてみたのですが どうやら祖母が生まれる前から当家は「細輪に菊の葉に菊」だったそうです。 また、実家の塀や門、倉にもこの家紋がありました。実家もそうそう新築ではないので 結構前からあったと思います。 菩提寺にまで行ったことはありあませんが実家の仏間に過去帳もあるそうです。 また、澁谷という苗字はやはりおっしゃる通り元々の苗字ではないようです。 ご丁寧に返信ありがとうございました。