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家紋について
我が家の家紋は、わかっているなかでは、江戸以前(戦国)時代から使われていたもので、三階菱にちょっと加えたものです。 三階菱を調べると、甲斐源氏武田氏の一族である小笠原氏のものとなっていました。 ですが、わたしの先祖は農民で、父は豪農だったといい、祖父母は大地主だった と言っています。 地主であれど、農民は農民ではないですか? それと800年以上前にどこやらからやってきて、今の地に住み着いたそうです。 とある武家が使っている紋をアレンジしたものを、農民が使うことに罰則はなかったのでしょうか?
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- ichikawa2017
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>地主であれど、農民は農民ではないですか? 江戸時代には原則的に武士は土地を所有していませんでした。 土地から生まれるもの(作物)に対する徴税権を持っていただけです。 この点がヨーロッッパの貴族と根本的に違っていた点です。 日本の封建制度とヨーロッパの封建制度が違うと言われるのはこれが原因です。 農民というか百姓という身分の中に階層がありました。 本百姓:土地を所有している農民 水呑百姓:土地を持たずに借地で耕作をしていた農民 小作:本百姓に雇われて耕作をしていた農民 水呑というのは別称ではなく正式な呼称でした。 本百姓だけが年貢を負担していました。 本百姓だけが村役人に就任したり選ぶことができました。 ご先祖様が大地主で豪農だったというのは本百姓で多数の小作人を雇用したり水呑に耕作地を貸したりしておられたのでしょう。 >武家が使っている紋をアレンジしたものを、農民が使うことに罰則はなかったのでしょか? 家紋については特に規制はありませんでした。 精々徳川家の三つ葉葵を避けていただけです。 百姓や町人階級が公式には名字(苗字)が使えなかったことから家紋でお互いを識別していました。 屋号と呼ばれるものが使われることもありました。 現在醤油メーカーの社名や商標に見られるキッコウマン(亀甲萬)やヤマサがこれです。 家紋は公家の牛車を識別するための文様が発祥とされていますが武士の場合は旗印が発祥でした。 これが平和な江戸時代になって正装の裃や羽織にトレードマークのように使われるようになりました。 一般に家紋の継承は「家」=男性とされていますが西国とくに関西地方では女性が継承していました。 嫁ぎ先でも実家の母親から受け継いだ家紋を使っていました。 関東地方では女性は嫁ぎ先の「家」の家紋を使いますが関西では夫婦で家紋が違っていました。 参考 [母系紋] 女紋 -きものトータルケア 大宮華紋森本- - 染色補正森本 http://www.omiyakamon.co.jp/onna-mon/03-1.html
- fujic-1990
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> 武家が使っている紋をアレンジしたものを、農民が使うことに罰則は ありませんでしょう。 むしろ、子供の一部が帰農するときや、戦いに敗れた武士などが帰農するときに、由緒を汚すのを嫌って、姓や家紋をちょっと変えて使わせる(使う)ということは珍しくなかったと思います。 近所にも実例がありますんで。 それにNHKの「名前番組」で言っていましたが、東北へ行った「菊地」さんが、負けて「菊池」にした・・・ 逆だったかな・・・?。とにかく、元々は同族だそうです。 古河公方「足利」氏は、江戸時代、徳川をはばかって足利姓を遠慮して「喜連川」を名乗っていましたが、私の記憶(はっきりした記憶ではないのですが)によりますと、家紋は変わっていなかったと思います。 そんなふうに、それぞれの都合によって、姓を変えたり家紋を変えたりは、珍しくないものと思います。