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女性の髪形の変遷について
秋から「大奥」がまた放送されるようで、CMも流れていますが、少し気になるところがあります。 今回は二代将軍秀忠の時代辺りから描き始めるようですが、御台所お江与や春日局の髪型が江戸時代風の結い上げ頭になっている点です。 恐らく当時は服装も安土桃山風で髪型も結い上げた髪ではなく、そのままおろしたり背中でくくるのが普通だったと思います。また、どの時期から女性が髪を結い上げるようになったのかも気になりました。 また、平安時代から数百年にわたって髪を結う習慣はなかったのに、何故江戸時代に入ってから急に結うようになったのでしょうか。この習慣が庶民からおこったのか、公家、あるいは武家の女性からおこったものなのかも気になるところです。 公家の女性たちもお雛様のようにやはり結った髪形になっていますよね。
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何故江戸時代に入ってから髪を結うようになったのか、という部分だけ私見で書かせていただきます。 江戸時代に入るまえ、いわゆる平安、戦国時代というのは混乱期であったと思います。 民も武士も貴族も他人の動向を気にしたり戦をしたりして、その方面の技術(武術とか)を発展させてきました。 所が江戸時代に入ると戦が無くなり生活は安定してきます。芸能や身なりなど、文化方面が発展する機会が出来ました。 其の為江戸期に入ってから手間の掛かる髪の結い方が発明されていったのだと思われます。服装などもそうですね。江戸時代に入ると帯の結び方や種類など、様々な種類が増えて華やかになります。 というわけで江戸時代から髪を結うようになったのはそれだけ時代が安定してお洒落に没頭できるような世界になったというのが理由じゃないでしょうか。 もっと色んな理由が複雑に絡んで居るとは思いますが…。参考になれば幸いです。
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- smzsmz
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女性の髪結いは、奈良時代から平安時代初期にかけ仏教伝来中国の文化の輸入に伴い新しい髪型が入ってきました。 (ずじょういっけい)ともいう。髻(もとどり)を一つ作ったものを頭上一髻と言い、この髪型は初めは男子の髪型でした。 また、このもとどりを頭の上に二つ作ったもので銀杏返しを思わせる型や島田髷のようなものを頭上二髻といいました。
お礼
回答ありがとう御座いました。
- bari_saku
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安土桃山時代には、庶民の女性で結髪している人はいたと思います。 ↓出雲のお国 http://www.blk.mmtr.or.jp/~kusisho/contents/furusato%20katsudo2003/5-6nen%20kabuki2003/02kabuki%20rekishi.htm また秀忠の娘、千姫の結髪した肖像もあります。 ↓千姫 http://www.city.mitsukaido.ibaraki.jp/sights/history/010.htm でも秀忠の父、家康と同世代の市姫の肖像は、結髪していませんね。 ↓市姫 http://homepage1.nifty.com/saizou/oiti.htm ちなみに池田理代子さんの漫画「春日局 けふぞ火宅を」では、春日局が大奥で結髪を始めた、ということになってます。 ですので、少なくとも上流階級女性の結髪について、江戸時代初期はちょうど過渡期だったのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとう御座います。 ちょうど過渡期だったのですね。 映画の「春日局」を見たところ、最初は垂髪だった春日局が後半では結髪になっていました。
お礼
回答ありがとう御座います。 なるほど、確かに生活の安定ということは大きな理由でしょうね。単に戦がなくなったということもですが、庶民レベルに至るまで生活のレベルが向上したのも江戸時代からでしょう。 それまで貴族や武士主導だった文化が、庶民主導に移行したのもこの時代からですよね。