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アインシュタインは本当に相対論者ですか?
彼の相対論を読むと、「静止系」とか「運動系」という言葉が ふんだんに出てきます。 それっておかしくないですか? 「自分は止まって相手が動いている」では、天動説の蒸し返しの ように思うのですが・・・
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okitarou123さん、ご説明ありがとうございました。 No.6の補足に 「貴方の机の上の、パソコンや、テレビは静止していますか?」 と書いて、さらにその後さらに補足欄でlazydog1さんに対して 「貴方とパソコンの距離が大きくなるほど、速度差が大きくなりますよ。」 と書いた件、okitarou123さんの口から直接、地球は自転してるから非慣性系だと(つまりガリレイ変換で移行することができない系の例だと)補足説明してもらえて良かったと思います。 lazydog1さんはokitarou123さんが何を言っているかわからないまま疲れてフリーズしてしまうし、okitarou123さんも何も説明しないままなので、あのまま閉じてしまうのかと思いました。 もしあのまま閉じたら、okitarou123さんは相対性理論を認めていない人というだけでなく、ニュートン力学も理解していない人という評価が付いてしまいますからね。 もしそんなことになったら、相対性理論を認めていないというだけで、ただでさえまともな回答がつきにくいのに、本当に誰にも相手にされなくなってしまうことでしょう… 今回は私からokitarou123さんを半ばおどして補足説明を促してしまいましたが、説明をしてもらえてよかったと思います。 ちゃんと説明してもらえたので 「okitarou123さん、勉強して下さい。但し相対性理論ではなく、ニュートン力学の方をです。」 のセリフは私の口から言わないで済んだつもりなのですが、もし気分を害されたのであれば謝ります。ごめんなさい。 ただ今回私が判らなかったのは、なぜokitarou123さんは慣性系の話をしている最中に、前後の脈絡も無く非慣性系の話をし始めたのかです。 そこまでちゃんと補足説明をしていただけませんか? 途中から非慣性系の話に強制的に話題を切り替えたところまではわかったのですが、なぜそうしたのかが判らなかったのです。
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#7です。 >このように、相対速度を生じたとき、観測者のほうが動いている、そういう観点を常に持つことが肝心なのです。 >アインシュタインのように「観測者が止まって剛体が動いている」一辺倒では天動説なのです。 >剛体が止まって観測者のほうが動いている場合も同様に想定し、論理を展開するのが真の相対論です。 >いや、もっと言うと、相対速度の半分が相手が動いて残りの半分は自分が動いている、 >いやいや、3割相手が動いて、残りの7割が自分の方が動いている、そう仮定しても、その全てを満たすのが真の相対論です。 「相対速度の半分が相手が動いて残りの半分は(最初の)自分が動いている」と運動を記述する第2の観測者にとって、自分は自分に対して静止してないのだろうか?。その自分を基準にして、相手が半分,(最初の)自分が半分動いてると言ってないのだろうか?。これは「観測者が止まって剛体が動いている」一辺倒で、天動説でないのだろうか?。 第2の観測者など不要だと言っても駄目です。「相対速度の半分が相手が動いて残りの半分は(最初の)自分が動いている」という運動記述をした瞬間に、そのような立場にある第2の観測者を、論理的に導入した事になる。これはガリレイ変換の要請です。「3割相手が動いて、残りの7割が自分の方が動いている」も同様。 あなたの論理に従えば、あなたの言ってる事は全部、天動説になる。
- coriander
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今回okitarou123さんがNo.6の補足欄で何の脈絡もなく 「貴方の机の上の、パソコンや、テレビは静止していますか?」 と聞いてきたのは「ナゾナゾ」ですよね? 自分の中に答えがあるのに問いかけをする。しかも、自分だけが知っている文脈を相手には隠して問いかけをする。 そういう問いは「ナゾナゾ」ですよね? 例えば、 質問者「1+1は?」 回答者「2です。」 質問者「ハズレー。田んぼの田ですー!」 のようなやり取りのことです。 いずれにせよ質問サイトでして良いことではありません。 質問サイトは自分がわからないことを人に教えてもらうサイトですからね。 okitarou123さんが今回何の脈絡もなく 「貴方の机の上の、パソコンや、テレビは静止していますか?」 と聞いてきたのは「ナゾナゾ」で、正解は 「地球は自転してるから非慣性系ですー」 だったいうことなのでしょう。 bosonさんにとってはokitarou123さんが途中から非慣性系の話に強制的に話題を切り替えたことに気がついていたせいで、むしろ「ナゾナゾ」だということに気が付かなかったのかもしれませんが… bosonさん、 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14109562854 http://megalodon.jp/2013-0703-2154-38/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14109562854 を見て下さい。 okitarou123さんが別ハンhehehenowahahaで、bosonさんが釣れたって大喜びで書き込んでいますよ。 okitarou123さんの質問は全てが「釣り」なんですよね…
- s_hyama
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ローレンツ変換と屈折率の関係を調べていたら、こんなんでました。 質量の起源と特殊相対性理論の反証 http://www.bans.jp/report/The_origin_of_mass_C_jpn.pdf
- 中村 拓男(@tknakamuri)
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ANO4 です。論文は全部ちゃんと読みましょう。 「静止系」とか「運動系」とかの区別が無意味だということを 「示す」のがこの論文の役割ですよね。 絶対静止系でしか成り立たないとされていたマックスウェルの方程式が ローレンツ変換を用いれば「運動系」でも成り立つことを示すのが この論文の趣旨。当時物理学者が抱えていた厄介なアノマリーの解決です。 ではでは。
- s_hyama
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だから、線形速度つかっておいて、時空変換は成り立たないっていってるじゃん 光速が特別なのは、固有の時計と連動していることだよ
- s_hyama
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おいおい、ガリレイ変換では時間が共有されていて、そのローレンツ変換されたものが時計だよ これをアインシュタインは宇宙のそれぞれに時計を置いたという表現をする
- s_hyama
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ひゃまのイメージ画像つきましたw よろちくび 「宇宙に慣性系は存在しない」「強いて言えば、 http://textream.yahoo.co.jp/message/1835555/a43a4l0jbeea5ma5afa4ga4ba4ja4a4jaamfda5ha5taoa4ka4j
ガリレイの相対性原理とガリレイ変換はご存知で、しかも認めるのでしたね。 自分が自分に対して止まっている事、それを「相対静止」と言います。自分は止まって相手が動いているように見える事、それを「相対運動」と言います。ガリレイはそう言ってませんか?。 アインシュタインが論文を書いた時、ガリレイの相対性原理と変換は普及して300年も経っていたので、ことさら「相対」を付ける必要を感じなかっただけでしょう。 もちろん理論の帰結として絶対静止や絶対運動を導くようなら駄目だが、そうはなっていない。逆に絶対静止や絶対運動はないと強調されている。また当時考えられていたエーテルは、絶対静止や絶対運動の基準になり得るものだったから、エーテルもないと結論される。その結論への前振りとして、「静止系」や「運動系」という用語を皮肉っぽく選んだ可能性はあるが、それらの論文中での定義は、「相対静止」や「相対運動」と同じです。 最初は半分冗談かと思って探りを入れていたが、本気の心意気も少し感じるので迷う。しかし、 >「自分は止まって相手が動いている」では、天動説の蒸し返しのように思うのですが・・・ などの考えについてはお手軽で安易すぎる。自分自身に対する絶対静止性を認めなければ、天動説は成立しない。ガリレイの地動説の論点もそこにあって、彼は地球も動き得る物体である事を、彼なりに論証してみせた。 ところで量子論に目は向かないのかな?。量子論は相対論を半分時代遅れにしてしまった程に威力のある、非常識な事を言ってますよ(^^)。どう感じるのか、ちょっと知りたい(^^;)。
補足
>最初は半分冗談かと思って探りを入れていたが、本気の心意気も少し感じるので迷う。しかし、 相対論を批判したとたん、「お前はアホか」的な回答を寄せる者の多い中、 貴方の回答は、温かみに満ちています。 したがって、貴方とは、あまり議論をエスカレートさせたくありません。 他の方への返信で、私の思いを推し量ってください。 >ところで量子論に目は向かないのかな?。 もちろん、量子論には興味があります。 ですが、事の正否を確かめるすべを全く持っていません。 確認できない以上、「へーそうなんだ」的な感想しか持ちえません。 というより、相対論の嘘さえ見抜けない人たちでごった返している 現代物理の世界は、むしろ量子論と言えどもマユツバの ような気さえしています。 もっと言うなら、理論物理なんてものは意味がないとも・・ 研究の世界に入りたくとも、相当の資金が要りそうですし、 貧乏人にとって、確認できる実験と言えば、ガリレオや ニュートンのりんごの話くらいです。 そういえば、湯川秀樹さんの身なりを見ていると、相当な お金持ちのように見えますし、他の著名な方もそう見えます。 物理学者となるには貧乏人の小せがれじゃ無理の時代になった のかなと、ひがみ根性丸出しです。
>「自分は止まって相手が動いている」 超基本ですが? 慣性系の観測者は自分が静止だとして周囲を記述する。当たり前です。アインシュタイン以前に、ガリレイ、ニュートンもそうしている。 ただし、相手にすれば動いているのはこちらになる。そういう見方もできることが必要。そのために、ニュートン力学ではガリレイ変換、相対論ではローレンツ変換を使う。 それがおかしかったら、相対論はもちろん、ニュートン力学も成り立ちませんよ? ニュートン力学が成り立たないのでは、ほとんど全ての物理学はアウトです。 相対論はそんなことをするための理論ではないです。既存の物理学をもっと正確・精密に書き直すためのもの。多少は勉強しないと分からないかもしれませんが。
補足
>超基本ですが? 慣性系の観測者は自分が静止だとして周囲を記述する。当たり前です。 いいえ、それでは物理学から道を外れます。 慣性系=静止系ではありません。 「相対速度がゼロなら静止している」では、天動説と あまり大差ありません。 太陽は静止しているのでしょうか? 「太陽は静止している」も、天動説の一種です。 静止しているなどと呼べるものは、何一つありません。 貴方の机の上の、パソコンや、テレビは静止していますか? 静止していると言う言葉を用いることは極力避けなければなりません。 それが物理の、超基本です。 「動いている剛体および、時計の変換公式」などという言葉は、 物理学の基本から外れてしまいます。 あくまでも「相対速度うんぬん」と表現しなけばなりません。 「観測者が静止系」などと言ってはならないのです。 観測者のほうが動いていることも念頭に置かなければならないからです。 もっと言うと、相対速度の半分づつ、お互いが動いている とさえ、念頭におく必要があります。 こういう考えがガリレオの相対論の真実です。 ガリレオの相対論を否定することは即、物理の否定です。
- s_hyama
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そうね、相対で計算したら求めやすいケースがあるだけで 静止していても移動していてもエネルギーは光の速さで変化しているだけで 基準は取りやすい形でいいよ 何を言ってるかというと、運動の仕方は個々に違うけど エネルギーはそれぞれに時計を持ってるの 一般相関論より
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補足
悲慣性系の話をしだした? 私が何を言おうとしているか、どうもよく理解されていないようです。 もういちど、私の質問をよく読んでください。 私の言いたいことは、あなた方の尊敬する?アインシュタイン自らの 思想の根本が、「天動説」にあることを示したかったし、 それを貴方の口から証明できたと言うことです。 何度も言いますが、自分が止まって相手が動いていると、 安易に考えるから、「天動説」から抜け出せなかったのです。 自分のほうが動いているかも、と常に用心して考えること、 それがアリストテレス学派に陥らない第一歩なのです。 それがガリレオの思想、つまりガリレオの相対論の根本なのです。 いまでこそ、地動説は小学生にも理解されていますが (本当に理解しているかどうかは、疑わしいですが) ガリレオが何度言っても「地球のほうが動いている」ことを 理解できなかったその根本の話をしています。 貴方が橋の上から水の流れをじいっと見つめているとします。 すると、自分のほうが動いているように錯覚?します。 でも、錯覚でも何でもありません。 自分のほうが動いているとしても、物理的に間違いではないのです。 また、信号待ちしていて、周りの車がいっせいに少しずつ動き出すと、 と自分が後ろに下がっている気がして、思わずブレーキを 強く踏んでしまうことが良くあります。 このように、相対速度を生じたとき、観測者のほうが動いている、 そういう観点を常に持つことが肝心なのです。 アインシュタインのように「観測者が止まって剛体が動いている」一辺倒では 天動説なのです。 剛体が止まって観測者のほうが動いている場合も同様に想定し、 論理を展開するのが真の相対論です。 いや、もっと言うと、相対速度の半分が相手が動いて 残りの半分は自分が動いている、 いやいや、3割相手が動いて、残りの7割が自分の方が動いている、 そう仮定しても、その全てを満たすのが真の相対論です。 観測者が止まって、光源が動いていると仮定すると、「光速不変」は 受け入れやすくなります。 音の場合と同じ現象ですから。 ですが、光源が止まって観測者のほうが動いていると想定すると 「光速不変」は受け入れがたくなります。