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ジャマナカといった指導医はその後
ips細胞の山中先生も整形外科医時代にオーベンからジャマナカ扱いとのことでしたが、若くしてノーベル賞を取った今、ジャマナカ扱いをしていた指導医のその後がどうなっているのか気になるのは私だけでしょうか。なんかエピソードがあれば。
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noname#235638
回答No.1
http://www.med.osaka-cu.ac.jp/information/20121008-press.pdf みたいなコメントをだされていますね。 どちらも(2人とも)教授になったのでは、ないのかな?
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- htms42
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回答No.3
私としては 臨床(外科)に見切りをつけて基礎に移ろうとしたときによく行き先があったなあという感想のほうが強いです。大学のポストなどそう簡単にあるものではありません。 臨床の現場でどうしようもないというのは後でノーベル賞を取るかどうかとは関係のないことです。縫合手術の傷口が開いてしまったなんてことが起こったらノーベル賞なんて言い訳にはなりません。患者があってのことです。ノーベル賞をとった先生の手術だから後で傷口が開いても我慢するなんてことは起こらないでしょう。 新しい職に移るには推薦状が必要です。他の分野であれば発揮できる高い能力があると見抜いていなければ基礎に移る推薦状など書かないでしょう。私は基礎に移ることを勧めて推薦状を書いた先生も偉かったのではないかと考えています。
- BASKETMM
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回答No.2
野球では野茂投手、イチロー外野手を二軍に落とした監督がいましたね。多分、土井監督。 才能を見つけたのはどちらのケースも、仰木監督であったような記憶があります。