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Exploring the Significance of Counterfactuals in History
- Contrary-to-fact conditional statements in history, known as 'iffy history,' can be a useful tool for assessing causality.
- However, caution must be exercised in handling counterfactuals to avoid distorting the meaning of history.
- Historical events are path dependent, meaning that once a certain path is taken, future outcomes become unequal in probability.
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事実に反する条件付きの命題は、原因が重要なのかどうかを探る方法を提供します、しかし、落し穴もまた、そのような「不確かな歴史」にはあるのです。上手く処理しないと、事実に反する条件付き命題が、破壊によって、歴史の意味、すなわち、一旦何かが起これば、他のことは、平等ではなくなるという事実を誤らせるかもしれないのです。時間は、非常に重要な側面です。我々は、歴史の出来事が「経路依存」であると言います; つまり、ひとたび、出来事が、特定の道筋に沿って始まると、すべての可能性のある未来が、平等に起こり得るというわけには行かなくなるのです。出来事の中には、他の出来事より起こる可能性が高くなるものがあるのです。 * conditional statement http://eow.alc.co.jp/search?q=conditional+statement * iffy http://eow.alc.co.jp/search?q=iffy * counterfactual http://eow.alc.co.jp/search?q=counterfactual * path-dependent http://eow.alc.co.jp/search?q=path+dependent
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iffy historyはNo.2さんの訳されたように、歴史におけるifでもよさそうに思います。 時間はさかのぼることができない。 path dependentについては、”枝分かれしてゆく道すじを辿るようなものである”、と言うのは、ひとたび歴史的事件があるひとつの方向に向かって動き出すと、その時点で、他の道すじに導かれる結末は、実現不可能となるからだ。 とすると、ちょっとわかりやすくなります。 全文訳に興味があるようでしたら、補足をどうぞ。
お礼
噛み砕いていただいて分かりやすかったです。ありがとうございます。
- bakansky
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述べられている内容は単純なものなのに、きちんと訳さなければならないとなると、ものすごくむつかしいですね。 「もしもこうであったならということを仮定すれば、発端となった要因が必然的に重要なものであったのかどうかということに検討を加える余地が生まれるわけだが、そこには 「歴史における if」 に付きものの陥穽が存在する。扱い方を誤れば、仮定を設定することで歴史の意味を無にしてしまいかねない。すなわち、ある出来事が現実に起こったのなら、他の可能性も同等に扱うことは出来ない。時の流れは不可逆的なものである。歴史的な出来事には 「不可避な必然性」 があるという言い方がされるが、それは何らかの歴史的な出来事がいったん発生した以上は、他にもこういう展開もあったかもしれないという可能性は、実際に生じた出来事と同等の蓋然性を持ち得ないということだ。生じた出来事は、生じるべくして生じたのである」 すごい日本語になってしまいましたが、内容を 「紹介」 するのではなくて、「訳す」 ということになると、あまり原文からかけ離れた文章にも出来ないので、時には原文よりも分かりにくいものになることがあります (そこが私のような素人とプロの違いかもしれません)。もちろん、仮に訳してみたものなので、人に読んでもらうものなら、さらに手を加えてより自然な日本語の文章になるようにする必要があるかもしれませんけれども。
お礼
「不可避な必然性」なるほどと思いました。 「歴史におけるif」でもわるくないと思いますが、やや柔らかい印象を受けました。 ありがとうございました。
お礼
全訳までしていただいてありがとうございます。参考になりました。