• ベストアンサー

吉田ドクトリンを特徴づける吉田茂の発言

戦後、吉田茂内閣は経済発展を最優先にして、アメリカの要求をすべてのまずに軽装備の警察予備隊(規模も小さめに)をつくり、日本の防衛の肩代わりや継続的な基地使用を認めた日米安保条約を結んだと思うのですが、吉田茂の、経済優先で国づくりをしていくという主旨の、発言(国会答弁でも回顧話でもかまいません)で、何か残っているものがあるのでしょうか。著名なものがベストですが、ご存じの方がいらっしゃったら、是非教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.2

「私ハ斯クノ如キコトヲ認ムルコトガ有害デアルト思フノデアリマス(拍手)近年ノ戦争ハ多ク国家防衛権ノ名ニ於テ行ハレタルコトハ顕著ナル事実デアリマス、故ニ正当防衛権ヲ認ムルコトガ偶々戦争ヲ誘発スル所以デアルト思フノデアリマス」     1946年6月29日、帝國議会衆議院議事速記録にある、総理大臣吉田茂の言葉である(古関彰一 『新憲法の誕生』 中公文庫 1995 による)。この第90回帝國議会では、米軍占領下の敗戦後日本における憲法改正という課題、すなわち大日本帝國憲法から日本国憲法への転換が議論されていた。 吉田茂首相が提示した新憲法草案が審議されていた中での発言だ。 もちろん、ここでの議論の対象は第9条の戦争放棄の規定の是非である。   この吉田の言葉を引き出したのは、共産党の野坂参三であった。 野坂は、戦争には侵略戦争と防衛的な戦争があり、 「コノ憲法草案ニ戦争一般放棄ト云フ形デナシニ、我々ハ之ヲ侵略戦争ノ放棄、斯ウスルノガモツト的確デハナイカ」 と主張していたのである。 吉田の言う「斯クノ如キコト」とは、共産党の野坂の表明した、侵略戦争と防衛的な戦争を区別すべきではないか、との主張なのである。     これは、かなり有名なやり取りである。 後藤致人著『内奏-天皇と政治の近現代』(中公新書 2010)に、 、吉田内閣の提示した帝国憲法改正案・新憲法草案(現在の日本国憲法である)に対する記名投票による採決では、  投票総数 429票        賛成(白票) 421票        反対(青票) 8票 という結果が示されたのだという。ここで興味深いのは、反対者8人の顔ぶれであろう。  共産党  柄沢とし子 志賀義雄 高倉輝 徳田球一 中西伊之助 野坂参三  無所属クラブ  細迫兼光  新政会  穂積七郎 現行の日本国憲法について、制定議会の審議時点では、反対者8人中の6人は共産党員であったわけだ。議会に議席を持っていた共産党の全議員が、現行の日本国憲法の草案に対し、反対を表明していたということなのである。   しかも、当時の共産党は、戦争には侵略戦争と自衛戦争の別があり、 憲法草案ニ戦争一般放棄ト云フ形デナシニ、我々ハ之ヲ侵略戦争ノ放棄、斯ウスルノガモツト的確 という主張を展開していたのである。賛成421票に対する反対票全8票中の6票を、その共産党議員が投じていたことが、『内奏』を読むことで、あらためて(私には)明らかになったわけだ。   野坂参三、志賀義雄等は、侵略戦争を否定するが、 自衛戦争や、そのために必要な軍備(日本人民軍\(^^;)の保有は 当然と、まったく現在の自民党と同じことをいっていたのである。 対して、憲法制定帝国議会の時点では、 吉田茂は自衛戦争すら否定し、後の保安隊自衛隊的な物すら否定している。

tatubei
質問者

お礼

有り難うございました。吉田茂はすでにこの時点で、日本の再軍備より、経済優先の考えを持っていたということでしょうか。知り合いによると、警察予備隊創設後、吉田茂は軍備増強の政策をとっていったようなので、もう少しここら辺を調べてみたいと思います。どうも有り難うございました。

その他の回答 (1)

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

たぶん無い http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E9%99%BD%E4%B9%8B%E5%8A%A9 永井陽之助が新冷戦期(1979年以降)に定義したものであるから。

関連するQ&A