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仏陀の弟子が修行の為にセックスしなかった理由?
手塚治虫の「仏陀」という漫画に出てきた仏陀の弟子になったカップルは「修行の為にセックスをしない」と誓ったという記憶があるのですが、お互いに愛情があったにもかかわらず、修行の為にセックスをしない方がいいと判断した理由は何だか判りまますか? 多分、特に性的な経験をしてなかったのに、修行の為にセックスをしない方がいいと断定した勘のようなものがすごいと思いました。 ただ、砂生記宜というスピリチュアリストが、著書の中で、「性欲を完全に否定する事は孤独感に苛まれる原因もなるので精神衛生上よくない」と述べてたのを覚えてるので、自分ではよく判りません。 「自分の創作意欲が萎えてしまったのは、独りになりきれていないからかもしれない」と思う分なお更、これからの生き方の問題として悩んでしまいます(ちなみに私は女性です)。 その他に思いつく「できればセックスをしない方がいいのか?」という疑問の根拠です。 ・今はどうか知りませんが、昔の聖職者はセックスをしない事が普通だったらしい。 ・ジャンヌダルクが認められる条件の一つも処女であることだったらしい。 ・プロテスタントが新約聖書の記述を根拠にし、イエスに兄がいたと解釈してる一方で、カトリックでは、イエスの母マリアの処女性にこだわりがあると、何かで読んだことがあります。 ・特に男性の処女崇拝は、個人差はあっても結構一般的。 予め、回答の為の時間と手間に感謝します。 では、よろしくお願いします。 *恋愛や哲学のカテにするか迷いましたが、心の問題全般という事で心理学にしましすが…?
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- scorpio
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ジャンヌダルクのレイプは、映画ではなく、ジャンヌダルクの映画をやっていた時に、ジャンヌダルクってどういう人だったのか、特集した番組でやっていたことですね。女性が男性の格好をするのは、悪魔の証拠だといわれ、女性の格好をしたら、レイプをされ、再び男性の格好をして、宗教裁判で悪い影響が出たとのこと。 多産信仰は別に悪いことではありませんよ。もちろん、昔は子供が死亡するケースが多かった。しかし、古代において多産は国力の増加ともとらえられていたのです。ローマでは、子供が多い方が相続税が安くなるなど、多産に力を入れていました。敵だった、ゲルマン民族は多産も多産で、やっつけてもやっつけても人数を回復しては攻め込んでくる。それでローマは苦労しましたが。 処女信仰にキリスト教が大きく関与していることは間違いありません。モーゼの十戒には、汝姦淫するなかれとあります。これは、中世において、セックスするなという教義に発展しました。しかし、元々の意味は、女性は弱いから欲望でもって乱暴してはいけない、程度の意味だったとする説が現在出てきています。
- lv4u
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No.4です ちょっと追加です。 >>「仏陀」の中で、性的な事に関して言及したことは、セックスの経験者として何か知ったからだと思いました。 仏陀は出家(というか現代風にいえば家出)するまえは、将来を期待された文武両道OKな釈迦族の王子であり、4人の妻をもち、子共も、もうけていました。 ですから、仏陀が性的なものは当然知っていたし、手塚さんも「やけっぱちのマリア」「アポロの歌」「ふしぎなメルモ」等、性教育を意図して書かれたと思える作品もあります。 だから、手塚さんが「仏陀」という作品で「修行の為にセックスをしない」としていたのは、悟る前の仏陀が、城の中で、4人の妻達の相手をしていては、妻達の嫉妬が勉強などの障害になっていたことと一致します。それは、仏陀が、王子の地位を捨て、妻と子を捨てて、城を出て修行の道に入る理由の一つでもあります。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
>>その点、苦行の為ならそういうのが身近にあっても良いような気がします。 別に苦行のためにSEXだけがダメってわけではないですよ。悟りへの修行のためには、煩悩を断つことが必要ですから、お酒もタバコもダメですね。 だから、ちょっと昔には、結婚している坊さんは、「あれは生臭さぼうずだ」なんて見下されたこともありました。 >>子育て自体が修行の邪魔というのもよく判りませんが…? 悟りをめざすために、日常の雑多なことから離れて、瞑想し精神統一などをやっているとき、赤ちゃんの鳴き声がしたら修行は、台無しになります。 夜泣きされれば、周囲の方達の睡眠の妨げになります。さらに、授乳などをやっていれば、周りの男性は当然気が散って、精神集中できないでしょう。 つまり、子育てをしている本人はよくても、いっしょに修行している仲間たちは大迷惑です。 映画館で映画を観ているとき、赤ちゃんが泣き叫んだり、子供が走り回ったりしたら周囲の観客の迷惑になるのと同じです。 >>「一皮むけば、肉と骨で、そんなに美しいものじゃない」って改めて悟らせるほど深いですか? 男のほうが性欲が強いです。さらに、女性にたいして幻想を抱き、理想化します。「(女優の)○○ちゃんははトイレにいかない。オナラしない。」なんて思う男性もわりといることでしょう。 まあ、逆に、憧れの○○さんの日常の様子(オナラしたところ等)をチラッと見ただけで「○○さんに幻滅した!」となることもあるようです。 ですから、皆が騒いでいた美女が朽ち果てて、肉の塊となり、骨になっていくところをみせるのは、大きな教育効果があったと思います。 >>男性の性欲が能動的な分、女性の方が決まりが多かったとしたら、やっぱり不公平な気がするかなぁ? 仏陀は、最初から決まりを作ったのではありません。教団内でトラブルが発生するごとに、それを防ぐ規則を作ったそうです。 その結果が、「比丘(男)の250戒」「比丘尼(女性)の348戒」ということになったということです。 つまりは、女性のほうがトラブル発生することが多かったということですね。 まあ、現代で考えてみても、若い男性が、上半身裸で歩いていても、トラブルになる可能性は低いでしょうが、若い女性がトップレスで歩いていたら、大騒ぎになるでしょう? (90歳のばあちゃんなら問題は小さいかもしれませんが・・・)
- scorpio
- ベストアンサー率26% (6/23)
セックスは不浄のものとされることがあるので、宗教によってはみだりに性欲を満たすことを禁じてあるものもあります。 ブッダという漫画に、その場面ありましたでしょうか?私の持っている文庫にはないようですが。 仏教も密教になると、セックスも解脱への道と教えますし、究極的に安心できる場所は、女性のお腹の中、胎蔵界なので、セックスを否定しているわけではありません。 ジャンヌダルクは処女ですが、イングランドにとらわれているときレイプされましたね。認められるとは、どういうことか、記述していただく必要があります。 聖母マリアは、バージンメアリー と書きます。処女マリアということです。これは古代ギリシア語で、「見よ、処女が子供を身ごもった」とあるところから、マリア=処女を神聖視することろから来ます。しかし、ヘブライ語の原典では、「見よ、乙女が子供を身ごもった」とあり、処女ではありません。 すなわち、処女=バージンメアリー=原罪を免れた人、という図式はインチキです。個人的には、キリストの弟子たちが、キリストを神聖視するために、わざと捻じ曲げたのではないかと推測しています。 ちなみに、キリスト教が頒布される前のローマ時代には、処女信仰は一般的ではありませんでした。再婚は普通でしたし、処女よりも多産が信仰を集めました。 一般的に処女とされている、女神アルテミスも、場所を中近東に移すと多産の女神になります。古代7不思議の一つ、アルテミス神殿があったところです。 ちなみに、カトリックは、聖書以外にも教義というのがあって、この教えはこう解釈するとか、勝手に後の時代の教会の聖職者が、教えをねつ造したりします。代表的なのは、天国と地獄以外に煉獄を作ったりしたことなど。
- lv4u
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難しく考える必要はないと思います。 「悟り」をめざすものにとって、恋愛とかセックスは邪魔になるからですよ。 ここへの相談でも、受験勉強に集中するから、研究室での研究に集中するから、就職活動をがんばりたいから、などの理由で、好きな人から「しばらく離れていたい」と言われたという質問を目にしますが、それと同様のことです。 ちなみに、仏陀教団は、初期の段階では、女性が入門することを許しませんでした。 入門を許すと、当然のこととして、恋愛する男女が生まれますし、三角関係なんてのも出てくるでしょう。また、子供が生まれると、所帯じみた雰囲気が出てきます。 「悟りを得たい!」と決意し、家族も財産も地位も名誉も捨てて、修行に専念するために出家したのに、その教団内に、恋愛問題、子育て問題が発生していたら、その人たちの修行の邪魔になります。 もちろん女性が教団内にいないとしても、托鉢のために町に出れば、当然のことですが女性に会うことになります。だから、仏陀は、美しい女性だとしても、一皮むけば、肉と骨であり、そんなに美しいものじゃあない、ということを分からせるため、美女が死んだときに、あえて埋葬せず、その死体が朽ちていく様子を弟子達に見せていたことがあるそうです。 また、女性の入門をしかたなく許可したけど、当然ながら男性と女性は別にしましたし、トラブル原因を減らすために、守るべき決まりの数は、男性より、女性のほうが多かったといいます。
補足
オーストラリアのバックパッカーズホステルに滞在した際、同室でセックスをしていたカップルが居ましたが、私は、性的な的になる事を避けるために、日本を離れた分、安心感がありましたよ。 スタディールームに入ってきたカップルが、私がそこを出ていかなかったことを理由に、(男性の方が)謝って出て行かれた時は、女性の方がふてくされてしまったし、「意識される方が迷惑だから勝手にやれよ!」って思いました。後になると、コンドームとかももってなさそうだったし、「邪魔してやった=良いことしたかもしれない」と思いますけどね。 後になってそういう事(同室のセックス)を思い出した日本人女性が、「もう嫌~!」とすごい悲鳴を上げたことが、私にはトラウマになってしまい、日本人こわいです。その点、苦行の為ならそういうのが身近にあっても良いような気がします。 子育て自体が修行の邪魔というのもよく判りませんが…? 特に、シンドラーのリストという映画でシンドラーによって救われたユダヤ人の子供の中の一人や、イエスや仏陀の子供時代みたいに、精神的に優れてれば、子供の方が純粋な分、悟りの助けになると思うし? 「一皮むけば、肉と骨で、そんなに美しいものじゃない」って改めて悟らせるほど深いですか? 現実の仏教団体の事は、どうか知りませんが、手塚治虫さんが、「仏陀」の中で、性的な事に関して言及したことは、セックスの経験者として何か知ったからだと思いました。 男性の方が、性欲が強いと言われてる分、決まりの数で、どちらが苦労したかというのは、私には判断できませんが、男性の性欲が能動的な分、女性の方が決まりが多かったとしたら、やっぱり不公平な気がするかなぁ?
- kanakyu-
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わたしもそのマンガは読みましたが、とくにそのような記述はありません・・ バージョン違いでしょうか。 カップルには子供がいます。 なにごとも極端に走らず、禁欲も快楽も、 バランスがとれていることが最高なのではないかと私は思いました。 そしてそのバランスの取れたポイントというのは、人によって違うのだと思います。 性愛そのものを悪と見なすわけではなく、 その裏にある動機や心理を問題にしているのでは。 性愛の心理は、極端や病的な方向に、突っ走りがちだと思います。 また、現代社会の恋愛観が、宗教的/精神的な価値観と合わないので、 消極的選択として、独身を選んでいる可能性もあると思います。
補足
即答ありがとうございます。 文庫本の10巻目(「非難する群れ」の章)に、アナンダ(男性)がリータに、「出家して苦行のみだから結婚なんてとんでもない話だけど、心は結ばれてる」と言ってます。この二人には子供はいなくて、この場面の直後、仏陀を裏切ってリータと結ばれるようアナンダを挑発しようとした悪魔が、リータを殺してしまいました。 kankyuさんがおっしゃった、現代社会の恋愛観が、宗教的/精神的価値観と合わないとはどういう意味か、特に、各々の恋人同士/夫婦間のお互いへの想い方次第では済まない事なら、ご説明頂きたいのですが…? Kankyuさんは、精神的な事に詳しいようですが、私は、創造的なエネルギーとのつながりに喪失感を感じてます。 学生の頃、長い間、女性のヌードモデルを、成績の為、美化してまで描いた事も大きな原因のような気がします。 その上、時代は違っても、性的な関係になると、例えば、男性がが彫刻家なら、女性は、その男性の才能に見合った作品のような感じがします。その分、関心が持てなくて当然というか…?
補足
「その場面」に関しては、最初の回答者への補足に入力したのでそちらをご覧ください。 「ジャンヌダルクが認められた」とは、ハリウッド映画で、彼女が、シスターに、処女かどうか調べられた場面があったからです。だから、「救世主として認められる=処女が条件の一つである」という事には、変わりないと思いますけど?イングランドにとらわれてレイプされたという経緯については、知らなかったのですが、その映画を観ればわかりますか? 処女信仰が無かった時代って、おおらかだったのか、いい加減だったのか? 多産の信仰って、子供が死ぬ確率が高かった事も原因だとしたら、褒められるような信仰には、思えませんが?