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第二次山県有朋内閣について

この内閣では、文官任用令の改正と軍部大臣現役武官制を定めて、政党が官僚に及ぼす力を弱めようとしたようですが、 これはつまり政府の官僚から政党員を排除し、自分たちの決議案を衆議院で受託しやすくさせるためということで良いのでしょうか。 また、政党を排除してまで行いたい政策とは何なのでしょうか。 地租の増徴ですか? 簡単に説明していただけると、助かります。 よろしくお願いします。

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  • ithi
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回答No.1

bocaboca さん、こんばんわ。 山県有朋は明治維新の時から欧米列強の国力とりわけ軍事力を知っており、対して日本の国力の貧弱さを知っていました。そこから日露戦争以後、ますます対外協調主義を取っていくことになります。対して政党はナショナリスティックな人たちが多く、この点で対立していました。維新以来の自分の苦労や元老である自分の意見からすると政党の党人たちの意見はとても急進的で危なっかしいと思っていたのでしょう。変な考えから無駄な戦争を起こされてはたまらないと… だから、政党員が官僚に進出するのを防ぐために特別任用以外の勅任官を文官高等試験の奏任官より任用すると試験任用を拡大し、自由任用を制限したり。軍部大臣現役武官制を定めて政党に協力する予備役陸海軍大将や中将を軍部大臣任用から排除しました。 つまり、政党が官僚に及ぼす力や政党内閣の形成をできるだけ制限したのです。 しかし、大正時代に入ると桂・寺内達が政党に迎合するのに対して政党と対立している山県自身の築いた官僚派閥による政治は時代に遅れなっていきます。 山県有朋 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%B8%A3%E6%9C%89%E6%9C%8B

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