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自殺の是非
価値の無い人間が生きることは社会にとって無益であるとすれば、 価値の無い人間が自ら命を絶つ行為は社会にとって有益ではないでしょうか。 価値とは何かという議論になりそうですが、 お金を基準とすれば、 1000万投資したのに600万しかリターンが無ければ、 400万の損失なのですから、その投資はしない方がマシ。 さらに、今後も多額の投資が必要なのにリターンがより少なければ、 その存在はこの世から無くなった方がマシということ。
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矛盾するのですが、半分賛成、半分反対ですね。 生きる事が自由でないのなら、死ぬ事くらいは自由であるべきです。生きる事が素晴らしい、聖書の言葉、仏教、村社会、多くの言葉や価値が現代社会では希薄になっています。神は近代化と共に死に、共同体も多く崩壊し、縋るところのない生き辛い世の中です。コミュニケーション力が大事だと猫も杓子も、それでいてコミュニケーション力のない人間を排他する風潮、日本人の美徳であったはずの「場の空気」さえ、それを持たぬ人間を「空気読めねぇ」と排他していますね。溢れる情報に価値観が揺らぎ、信じられるものは多く持っていません。生き辛い、以外のなにものでもない。 普段肉を食らい、兄弟愛を軽んじている人間が、死にたいときだけ仏教やバイブルを信じろ、って言っても無意味に思います。生きる事は素晴らしくありません。それは素晴らしい生き方ばかりを経験した人間の言葉で、今も程ほどの豊かさを持っている人間でしょう。人によると思いますが、私個人では到底信じる気にはなりません。だから死ぬ自由くらい持っていても良いと思うのです。 例えば私は数年前まで、ずっと死にたいと思っていました。 そしてある日、死ぬ事を受け入れました。気軽に散歩みたいに屋上に登ってみようかな、と。「あぁ、気が向いたときに死のう」と考えて、それからなぜだか生きる事が楽になりました。私の生きる自由は死ぬ自由に依存しているのです。死が傍にあるから、私は今日生きられるのです。 一方半分反対と言ったのは、理由が二つあります。 一つは多く他者判断に依存するからです。 利益不利益、損得、そのあたりは他者判断ですよね。もしくは他者判断を曲解する自己判断です。 まず利益不利益そのものこそ他者の利益不利益です。それを享受するのも、判断すのも他者ですよね。 そこが他者に依存してしまうなら、それは他殺です。 作業工程の最後だけ自分でするだけです。それは指示を出す組長と下っ端みたいなです。それって、意味の無い自殺に思いませんか? そしてもう一つ、私は自殺そのものに矛盾を感じざるを得ない点です。 自殺を望む人間は、殆ど全て、その価値がない人間だと思います。つまり死ぬ価値の無い人間、生きるべき人間。 逆にその価値があるのは、自らを過信し、過ちを認めず、他者を見下し、自殺者をあざ笑うような人間でしょう。自殺を考えない人間です。 自らの失敗を反省し、それでも右も左もどうしようもない、迷惑がかからないように死ぬ、他人のために死ぬ。そんな思考回路に行き着く人間は、自殺する価値のない人間です。即物的に経済的に他者に迷惑がかかっても、精神的に他者にとって価値のある人間かもしれません。私はむしろ自殺に至る経緯を踏もうと思った人間は、それだけで思考する個人として人としての価値が大きいと思います。 自殺を望むのであれば、自殺する価値を手に入れてください。他人を鑑みず傲慢に自己中心的に。そういう人間だけが、自殺を許される人間だと思います。死ぬ気なら、そういう人間にでもなってみるべきです。 逆説ばっかりで読みづらい文章になりましたが、私の日々考える全てです。肯定と否定と入り混じり、自分でも正直あまりまとまっていません。どこぞの他人が考える一つの価値観・思考形態として、参考にしていただければ幸いです。
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- octopoda8
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自ら命を絶てというのは、積極的に殺す(社会から排除する)事の責任から逃げているだけではないですか。 その論議は措くとしても、有益無益、有害無害の定義を明確にしなければそもそも考える事は出来ないでしょう。 経済を基準としても、その損失は誰かの利益になっただけで消え失せた訳ではありません。 この世と言いますが、それが損失と認識されるのは会社や国など限定された内部においてだけではないですか。 それならば、その職務あるいは会社自体から排除されますから、既にそれは行なわれていますね。 また、積極的な有害存在と考えた場合、たとえば職業的犯罪者(暴力団など)が自殺しろと言われてあっさり死んでくれるとは思えませんが。 罪に対して世界から排除されるという事ならば、死刑と言う制度が既に有ります。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ご自身で疑問を差しはさんでおられるように ★ 価値の無い人間が生きることは社会にとって無益であるとすれば、 ☆ という条件文がクセモノです。じっさいにそうであるかどうか? まづその条件文の検証をするのが先決だと考えられます。 つまり ★ 価値とは何かという議論になりそうですが・・・ ☆ と始めて おこなっておられるようにも見えますが ひとつには リターンの少ない(あるいはさらにぜんぶスッカラカンになってしまう)投資も 世の中にいくらでも見受けられます。 ひとつには 一回か二回の失敗(つまり価値の無さの判明)でただちに 《この世から無くなったほうがマシ》だという判断をくだすということですか? ということは 《損失を出す投資はしないほうがマシ》だという場合 どこまではゆるされるのかを決めることと そしてその取り決めが成ったとした場合 ただちにその決めたとおりにリターンのとぼしい場合をぜんぶこの世から削除してしまうというのか? これを考え決めることと このふたつが問題になるでしょう。 でも ★ 価値の無い人間が自ら命を絶つ行為は社会にとって有益ではないでしょうか。 ☆ というご見解だとしたら 上の疑問は 社会が取り決めるのではなく すべて本人や当事者がみづから退散することに決める――こういうわけになりましょうか。 なら いやだと本人が言えば そのご提案は おしまいです。誰にも自由意志があります。誰であってもこの人間の意志を踏みにじることは リターンの少ない投資などとはくらべものにならないほど人間性に悖ることですから。
お礼
そうですね。本人がYESというならば、社会にとっても本人にとってもハッピーなことだとは 思います。
- Mokuzo100nenn
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貴女の命題は真です。 一方、価値のある人間とはなにか、価値のある人間が居るのか?という命題を真剣に考えてみる必要がありますね。
お礼
> 価値のある人間とはなにか、価値のある人間が居るのか? ここはあまり考えたことなかったです。 しっかり考えてみます。
度々失礼します なるほど! 人それぞれ考え方があるので、質問者様が価値がない事もあるというならあるかもしれませんね 有害な方の自殺について う~ん、有害だと認識あるなら、無害になる様に努力したらいいと思いますが… 努力もしないで、逃げるなら自殺という結論になるんでしょうね でも自殺もかなりの有害ですので、なんの解決にもならないと思います 亡くなった後の事は知らないというなら、別ですが… 要は、周りに有害だから迷惑かかるから、周りのために消えた方がいいと思ってるんじゃなくて 周りに迷惑かけてるってのが自分自身耐えられないから、自分のために消えたいって事なんですね
お礼
> 周りに迷惑かけてるってのが自分自身耐えられないから、自分のために消えたいって事なんですね 正にその通りです。 これ以上世間に恥をさらすのは親先祖に申し訳が立たないです。
こんばんは★ 価値のない事なんかあるんですかね? 記載してある例ですが、 損した方にとっては無意味な取引きかもしれませんが、それで得する方もいるはずですし また損した方にとっても1つの失敗は次の成功に繋がると思うので、全然価値がないとは言い切れませんし 人間に対しても ある方には価値のない人間でも、ある方には大いに必要不可欠で価値のある人間かもしれませんし よって、 無価値だから自殺する というのは間違った考え方の様な気がします
お礼
ありがとうございました。 価値のないことはあると思います。 それどころか、誰かにとって有害な存在である可能性もあります。 こうゆう質問をすると、どうしても憐みを乞うような意見になってしまいますね。 すみませんでした。 純粋に、有害な存在が自殺することには意味があるかどうかについて聞きたかったです。
- kekokekorin
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自殺は周りの人たちを不幸にします。 私の母は病気で迷惑掛けたり苦しみたくない気持ちから自殺しました。 病気でも面倒を見てあげたかったし残り少ない時間なら一緒にいたかったです。 母の痛みをわかってあげられなかった後悔と悲しみで辛かったです。 人の命を有益・無益で考えないで下さい。
お礼
ありがとうございました。 不幸にするかどうかは、周りが決めることだと思います。 周りの人がその人の死を不幸と思えばそれは不幸だし、 周りの人が有益・無益で考える人ならば、それは合理的な判断として処理されると思います。
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お礼
確かに死刑という制度で合法的に人を世界から排除する方法はあります。 しかし、非合法として、死刑になって欲しいとその人が思われていた場合、 どうしてもあいつに死んでほしいなとか。 その人が死を選択することは、法にはかなっていなくとも、社会全体からみれば プラスなのだと思います。