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この世の人間について

源氏物語には、様々な女性との恋の話がかかれていますぇ。 そのなかで登場する人間には ちゃんとした家系の人間と 遊び目(大事な本妻から産まれていない人)、 後宮の女中、奴隷のような人がいますが、 現代でも、それらのように、 この世に必要されている人と 必要されていないどうでもいい人が いるのでしょか?もしあるとしたら、 現在では、それは、 一部のエリートと労働者と言うことに なるのでしょうか? そうなると、人の「命」は平等ですが、 その命の価値がある人と 殺されようが、こき使われようが、構わない人がいるのでしょうか? 今の社会に即した回答をお待ちしております。

みんなの回答

回答No.2

“殺されようが、こき使われようが、構わない人”などいないでしょう。 しかし、そのようになってしまう場合はあると思います。 例えばイラクでテロ攻撃の巻き添えになってしまった人々や、アフリカで餓死した人々は、結果としてある国にとっては“殺されようが、こき使われようが、構わない人”になってしまっています。 でも、その人々にも家族や友人はいるはずです。それら周囲の人にとっては、決して“殺されようが、こき使われようが、構わない人”ではありません。 また、さしたる自己主張もなく大勢の中に埋没しているのも似た状況かもしれません。誰がやっても同じような結果になる仕事とか、マニアルどおりにやればいい作業に従事しているのなら、いつ他人と挿げ替えられてもかまわない訳です。ある意味“殺されようが、こき使われようが、構わない人”と同じ事になるのではないでしょうか。 私見ですが、人間は“オンリーワン”になるべきだと思っています。 何も“東大出のエリートになる”事ではありません。家族から“大切な人”と思われること、仕事なら“第一人者”と目される事、地域社会で“困ったらあの人に相談”と頼られる事、等々色々有ると思います。 大勢に埋没しない人は“殺されようが、こき使われようが、構わない人”では無いと考えます。

chrismas
質問者

お礼

大勢に埋没しない人は “殺されようが、こき使われようが、構わない人” では無いと言う ご意見を興味深く拝見させて頂きました。 人間の社会を、若干、単純に考えすぎましたかな.....? ご回答にお礼を述べたいと思います。

noname#256814
noname#256814
回答No.1

誰の物語でしょう? えらい高いところから見ていますよ。 命、平等ではありません。価値もです。 よく、~円あれば~人の子供が助かります。とか言われます。つまりわずかなお金で助かる命が今消えています。ということです。 価値なんて見る角度で変わります。知ってる人の命とアフリカやアジアの飢餓で苦しむ見ず知らずの人。死んで悲しいのは?悲しい方が価値が高いともいえます。 生まれつき体に障害を持っている人。公園で寝泊りしている人。難病で余命宣告されてる人・・・ chrismasさんが言うエリート社会人とこき使われる人。 これを仕方がない事。で結論するもしないも人それぞれ。 おかしいと思うならそれも正解。 仕方が無い事と今ある幸せに満足するのも正解。 回答:私は実際に行動するか別にして、考える事が正解だと思います。

chrismas
質問者

お礼

私の頭脳で, これ程難しい「考える事」ができるのかなぁ......? まぁ、ご参考にさせて、もらいます。

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