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アインシュタインがエーテルを否定したって本当ですか
彼の著作物を読めば読むほど 私には、むしろ丸ごと肯定しているようにしか 読み取れません。 皆さんのそれぞれの解釈をお聞かせください。 議論はとても良いことです。 このことは揺るぎのない真実です。 また、真実は多数決でもありません。 議論すれば必ず真実にたどり着けると言う保証は 勿論ありません。 ですが、少しでも真実にたどり着こうとするなら、 やはり議論するしかないようです。 それも、根気よく。 尻切れトンボはいけません。
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>(表が見づらい部分もありますので、すみません) とのことですので下記に貼り直しました。 パノフスキー、フィリップス著 「電磁気学」下巻 http://www.amazon.co.jp/dp/4842703024 第15章 特殊相対論の実験上の基礎 p.321 15.2表↓ http://photozou.jp/photo/show/2989440/174612701 > 貴方が知っている光速不変を証明した実験とは何なのか教えていただきたく思います。 リッツの放射理論を否定できるという意味での「光速不変を証明した実験」としては上記の表で言うところの「De Sitterによる二重星の分光学」の実験がオススメです。 オススメですと書いたのはokitarou123さんご自身に実験なり観察をして貰いたいのです。 幸いこの実験は可視光での望遠鏡観察により個人でできるレベルのものです。 分光器が必要ですが、今時ですと望遠鏡に取り付ける分光器も個人で買えるようなものが売られています。 ddtddtddtさんがNo.35で > >貴方は、「光速不変を証明した実験」をご存知なのですか? > > これは3つの意味に取れます。(a)光速度は不変にしか測れなかった事を持って、証明した事にはならない。(b)光速度を不変にしか測れなかった実験には、不備がある。(c)そもそも、(a)や(b)の実験の風評は捏造だ。 > > たぶん(a)だと思うので、(a)についてです。 と書かれていますが、私はokitarou123さんは(b)または(c)と考えているのだと思っています。 だとすれば、もうddtddtddtさんご自身に実験なり観察をしてもらうしか手立てはありません。 http://www-utap.phys.s.u-tokyo.ac.jp/obscosm/resume/Rinkou2005/shirata_gravity.pdf p.17 ・連星系を使った観測 に 「また彼(ド・ジッター)は、β-Aurigae(ぎょしゃ座)の観測から、k の上限を 0.002 と決めた。その後、1914 年にZurhellen が k < 10^-6、1977 年に Brecher が k < 10^-9 という制限を得ている。」 とありますが、BrecherはX線星を使っていますので個人が買える機材では無理です。 ド・ジッターにならってβ-Aurigaeの観察をしてみて下さい。 繰り返しになりますが ド・ジッター効果については↓が直感的に判りやすいです。 http://en.wikipedia.org/wiki/De_Sitter_double_star_experiment リッツの放射理論が正しければ、連星系から地球に向けて発出される光は、連星の接線速度成分vが地球に向いている時は(c+v)で発出され、連星の接線速度成分vが地球と連星を結ぶ直線にたいして垂直である時はcで地球に向けて発出され、連星の接線速度成分vが地球と反対方向を向いている時は(c-v)で地球に向けて発出されます。 連星と地球は非常に離れているため、光の飛行時間は非常に長くなります。 なので光速cに比べれば連星の接線速度成分vは非常に小さいのですが、光の飛行中の長い年月の間に、cで発出された光に対して、後から発出された(c+v)の光が追いついてしまいます。 このようなことが起これば光の波長はドップラー効果で予想される以上に圧縮されて青くなります。 また逆に連星の接線速度成分vが地球と反対方向を向いている時(c-v)で地球に向けて発出はcで発出された光に対してどんどん遅れをとるためにドップラー効果で予想される以上に引き伸ばされて赤くなります。 以上がド・ジッター効果です。 このようにリッツの放射理論が正しければ、ド・ジッター効果によって遠くに有る連星系からの光はドップラー効果で予想される以上の光の波長変動が観察されるはずです。 (もしくはその観測された波長変動をドップラー効果によるもであると解釈すると連星の軌道は長楕円軌道になるはずです。) http://en.wikipedia.org/wiki/De_Sitter_double_star_experiment にあるアニメでは赤の●と●の間隔が波長だと考えてください。 ただ、アニメでは地球と連星が離れすぎて(c+v)の速度の光がcの速度の光を追い越してしまっていますので注意して下さい。 ガリレオも自分で作った望遠鏡を使って木星の衛星の発見や金星の満ち欠けの発見をして地動説を確信しました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%A4#.E5.A4.A9.E6.96.87.E5.AD.A6 okitarou123さんもがんばってください。 以上、年度初めで多忙のため、簡潔にかつ部分的に回答させて頂きました。 もしすべての質問に対して回答が必要でしたら、7月ぐらいまで開けておいて下さい。
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- boson
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やっと帰宅できました。 過労死する前に伺っておきたいのですが… ガリレオが 「そんな分かりきった実験、やるまでもない」 と答えたのだとすると、ガリレオは「マストの上から物を落とす実験」を行ったら、ガリレオの理論に従う実験結果(船が静かに動いているか、止まっているかにかかわらず、真下に落ちる。)を得ると予想したのでしょう。 okitarou123さんも 「そんな実験、やるまでもない」 と書いたわけですが、okitarou123さんは、okitarou123さんがド・ジッターと同じ実験をしたらk=1の実験結果を得ると予想しているのでしょうか? それともド・ジッターと同じくk=0の実験結果を得ると予想しているのでしょうか? あと、ガリレオが 「いや、そんな分かりきった実験、やるまでもない」 答えたという裁判記録についてokitarou123さんが読んだ文献を教えて下さい。 通勤電車の中で読んでみたいと思います。 回答すべき内容が溜まっているようですが、本日のところは取り急ぎ補足要求のみで失礼します。申し訳有りません。
補足
>やっと帰宅できました。 >過労死する前に伺っておきたいのですが… そんな思いをしてまで、参加していただき、心苦しいしだいです。 >回答すべき内容が溜まっているようですが、本日のところは取り急ぎ補足要求のみで失礼します。申し訳有りません。 いいえ、こちらこそ感謝に耐えません。 ですが、この質問をいつまでも晒しておく訳にも行きませんので どこかで閉めさせていただきます。 もちろん、似たような質問をすぐに立ち上げますので、ご安心ください。 以下の問い合わせを、お忙しい中拝見されるか分かりませんが、一応返信しておきます。 その回答は、もしこの質問が閉じられているときは、新しい私の質問のほうに 寄せていただきたく思います。 >okitarou123さんも 「そんな実験、やるまでもない」 と書いたわけですが、okitarou123さんは、okitarou123さんがド・ジッターと同じ実験をしたらk=1の実験結果を得ると予想しているのでしょうか? それともド・ジッターと同じくk=0の実験結果を得ると予想しているのでしょうか? もちろんk=1です。 その理由は、光速不変では理屈が合わないからです。 エーテルの風でもない限り、光や電波が押し戻されるはずもないからです。 そう断言できるからです。 繰り返しますが、ブレッチャーがc’=c+kvとおいた時点で 彼の物理力を疑ってしまっています。 彼の実験は最初から結果を、光速不変に持ち込もうととしている様子が伺えるからです。 貴方が示してくれたNo36の回答の”星取表”でも同じ印象です。
- hg3
- ベストアンサー率42% (382/896)
>貴方の回答は、書店に並べられている解説書の丸ごとコピーです。 ええその通りです。 >ここで、その繰り返しをされてはたまりません。 どうやら、私の回答の内容については、既にご存知のようですね。 しかし、それはあなたの言っている、「光速不変=光がエーテルがあるかのような動きをする」という解釈とは明らかに違います。 それをあなたは同じだと主張しているので、それを(私の回答=一般的に言われている光速不変のこと)を知らないのかと思い、説明しました。 再三の繰り返しになるので、嫌気がさすかもしれませんが、どう考えても、一般的に言われている光速不変の解釈で、「真上に放たれた光は、その相対速度分、後ろに吹き飛ばされているかのような現象を起こす」ことにはなりません。一般的に言われている光速不変の解釈でも、真上に放たれた光は真上に進みます。あなたの考えている通りです。ですから、「そこが間違っているから、相対性理論は間違っている」というあなたの主張は受け入れることができないのです。 >私がそんな回答を望んでいるわけではないことさえ理解されていないようですね。 あなたが望もうと望むまいと、あなたの主張する、「光速不変=光がエーテルがあるかのような動きをする」と一般的に言われている光速不変は全く異なることは明らかです。にもかかわらず、なぜあなたは、「光速不変=光がエーテルがあるかのような動きをする」を主張し続けているかが分かりません。あなたが相対性理論を否定したいがために、無理やり解釈を捻じ曲げているようにすら感じます。 ですが、そこはあなたの望む回答ではないということ。 これでは、議論は進みません。残念です。 しかし、あなたの期待するNo.36の回答者さんとの議論でも、上記の光速不変の解釈の違いが問題となる場面が出てくるでしょう。 私が何を回答しても聞き入れてもらえないようですので、これ以上はやめておきますが、再度、復習された方が良いと思いますよ。
- hg3
- ベストアンサー率42% (382/896)
>言っている意味がイマイチ良く分かりません。 >観測者から見て、c-vになると言うことですか? 電車の中の観測者(Aとします。)と電車の外の観測者(Bとします。)この両者の区別を明確にしないといけません。 ここが、非常に重要なポイントです。 電車の外の観測者Bから見て、光はcで進みます。その時、電車の中の観測者Aから光はどう見えるかとうことです。 答えは、やはりcで進む。Aから見ても、光はc-v(v=電車の速さ)にはならないということです。 つまりAが観測しても、Bが観測しても光速はc。 これをニュートン力学で考えると、おかしいことにはお気づきですね。 ニュートン力学の常識で考えると、電車の外の観測者Bから見て光がcで進むなら、電車の中の観測者Aからは、光はc-vで進んでいるように見えなければなりません。 逆に、Aから見て光がcで進んでいるなら、Bから見れば、光はc+vで進んでいないといけません。 ところが、どちらが観測しても光はcで進む。これが光速不変の正しい意味です。 光速不変をこのように理解すれば、決して、「光がエーテルがあるかのような動きをする」には当てはまらないと思いますが、納得していただけますでしょうか。 この先は、繰り返しになりますが、再度説明します。 上述の光速不変はあくまでも仮定です。実際にそういう現象が起こるかどうかは問題ではありません。 光速不変を仮定したらどうなるか、その結論(のひとつ)が「時間や空間が伸び縮みする」です。 これが特殊相対性理論です。 そしてその特殊相対性理論は、様々な検証実験の結果をうまく説明できます。 (No36の回答の”星取表”の通り。)
補足
貴方の回答は、書店に並べられている解説書の丸ごとコピーです。 ここで、その繰り返しをされてはたまりません。 私がそんな回答を望んでいるわけではないことさえ理解されていないようですね。 >そしてその特殊相対性理論は、様々な検証実験の結果をうまく説明できます。 >(No36の回答の”星取表”の通り。) この星取表と言うのは、 回答:No.36 ▼ boson さん パノフスキー、フィリップス著 「電磁気学」下巻 http://www.amazon.co.jp/dp/4842703024 第15章 特殊相対論の実験上の基礎 p.321 15.2表↓ http://photozou.jp/photo/show/2989440/174612701 のことですね。 この表を見て私は、実はニンマリしています。 それは、即座に相対論信者による、意図的な表であると判断出来るからです。 ですが、その件については、この表を提示してくれた方と直接やり取りしたいと 考えています。 その方が話が早いからです。 ただ、その方は年度始めで大変忙しいそうなので、待ち状態になっていますが。
- buturikyou
- ベストアンサー率31% (22/69)
特殊相対性理論の折りには否定したエーテルですが、相対性原理ほどのことにもなるとアインシュタインとて人の子ゆえに、一般相対性理論啓蒙の際にはエーテルを復活させた説明を行っていたようです・・。そこから「相対性原理をも満足させるエーテル=メタエーテル」(略称メーテル)に進んだ張本人が南部陽一郎その人だという話は寡聞にして私も知りませんが、漫画(銀河鉄道999)からはそのような印象を受けますね? 歴史的な経緯は若輩者の私などには計り知り得ませんが、スリーナインがそのまま「サンキュー」なんてことジョーシキだったそーですから、純朴な戦後世代たる我々もしてやられたものですよ、わっはっはっ・・。
- hg3
- ベストアンサー率42% (382/896)
>「エーテルの風が吹いているかのような現象」と書いています。 >書いてあるはずのものを飛ばし読みをしたということは、言っている意味が >分からないからと私には判断されます。 そうですね。あなたのコメントをうっかり誤解していました。お詫びいたします。 しかし、あなたが、光速不変を「エーテルの風が吹いているかのような現象」ととらえているのなら、 改めて、そこを間違いであると指摘させていただきます。 そしてもう1点、あなたも私のコメントを誤解しております。 >エーテルがあるのならまだしも、エーテルが存在しないのにも関わらず >エーテルがあるのと同様な動きを光がしますか? >と言う問いかけです。 >それに対して貴方の答えは「その通り!」 ではありません。光速不変によって、光がエーテルがあるのと同様な動きをするとは考えていませんし、そう説明したつもりも有りません。 そう誤解を与えるような表現だったなら、そこは、私の本意ではないので、訂正いたします。 あなたの主張では、光速不変によって真上に照射した光が相対速度分後ろに吹き飛ばされる説明しております。では、光を進行方向に照射した場合はどうですか?あなたの理屈に従って考えると、相対速度分、光が遅くなるということになりますね。ですが、そんなことあるはずがないとうのがあなたの主張ですよね。私もあなたと同様、そうなるとは思っていません。 何度も繰り返して、恐縮ですが、この参照の電車の図を見てください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E6%80%A7%E7%90%86%E8%AB%96 この図で、電車の中の観測者(仮にAとしましょう。)が、電車の進行方向に放たれた光を見れば、光はAに対して速さc遠ざかって行くことになります。ここはあなたもそう考えていますね。だから、「エーテルの風が吹いているかのような現象」は起きないということですよね。そこまでは、私も全く同じ考えです。 では、電車の外の観測者(仮にBとしましょう。)が電車の進行方向に放たれた光を見た場合はどうでしょうか。こちらも光はBから速さcで遠ざかって行くことになるのです。従って、Bが見た場合、光はAからは(c-電車の速度)の速さで遠ざかって行くように見えるのです。ここに対しては、あなたの説明が不足しているように思われます。 光源が動いていようがいまいが、観測者が動いていようがいまいが、光速は常に観測者から見てc、つまり一定。これが光速不変の原理です。 >時間や空間が歪む説は、光速不変が確認されてから進められる論法です。 多少、語弊がありますが、そう理解していても間違いではないでしょう。 しかし、 >光がエーテルがあるかのような動きをするという結論、つまり、光速不変 これが違います。 「光速不変」と、「光がエーテルがあるかのような動きをする」は全くの別物です。 再度、じっくり説明を読んで頂きたいと思います。
補足
>相対速度分、光が遅くなるということになりますね。 言っている意味がイマイチ良く分かりません。 観測者から見て、c-vになると言うことですか?
#39です。 >正しい、間違っているという結論は最後の最後に持ってくるくるものなのです。 話し方の問題なので、スルーします。 >アインシュタインが言っているから正しいにはなりませんよ。 それはそうです。力(例えば重力)や電磁力(電磁場)が何故伝わるかという問題は、ガリレイ以来ずっと棚上げされてきた物理の歴史を知ってるので、「電磁場の伝達機構は今もってわからない」と言っています。どのように伝わるのかは、わかってますが。 ちなみにアインシュタインはサンプルの一人です。こういう話なので、有名どころというだけです。例えば、「どのように伝わるのかしか、わかっていない」と(少なくとも重力について)はっきり言ってのけた、ファインマンなどがいます。 >そんな観測者を登場させてなんになりますか? >今議論で決着をつけなければならないのは、相対速度を持った観測者から見た話ですよ。 それ以前の話と思えます。#38さんに対する応答を見ても、そう思います。何に対する相対速度であるかは問いませんが、観測者に対する光速度不変を認める限り、観測者が何かに対する相対速度を持とうと持つまいと、観測者と光の相対速度は常に0です。光が吹き流れるという結論を、もし観測者に対する光速度不変から引き出したら、それこそ両方の原理に違反します。 その点は、光源に対するものであっても、観測者に対する光速度不変であっても一致するのでは?、と言っただけです。にも関わらず、観測者に対する方だけにおいて光の吹き流れが起きると、あなたは言っているように見える。決着をつけるというのは大仰ですが、とっかかりとしては、まずここからだと思いますが。光源と観測者がいっしょに動く簡単なケースから。 >その観測者から、真上に放たれた光が後ろに流されるかどうかと言う話ですよ。 >そして、相対速度分が流される、そういう現象が光速不変の原理と称するものなのですよ。 >そんな現象を誰が確認したと言うのですか? >光が後ろに流されると言う現象をですよ!? こういう現象は、観測者に対する光速度不変からは結論できませんし、「光を真上に照射しても真っ直ぐにしか進まなかったという結論を得た実験は、きっと現実にやられているでしょう」と、#39で書きました。この前もそうでしたが、私をエーテル信者と、誤解されましたよね?。 >そんな現象がありえると思えるその心理、その物理力を問うているのです。 物理力云々を言う前に、先入観を持たないで皆さんの書き込みを、もっとちゃんと読んだ方が良いと思いますよ。 「電磁場の伝達機構は今もってわからない」は、自分にとっては既定の事実なので、それもあって#39の冒頭に書きました。#39の結論は、光源に対して光速度不変なら、MM実験では結果すら出せなかったのじゃないか?、です。今回の結論も同じです。 そこをどう考えるのかを、聞きたいのです。 >言っている意味が分からなければ、申し訳ありませんが、回答をご遠慮ください。 わかってるつもりです。
補足
>わかってるつもりです。 そうですか・・・ 分かって居るのならもう少し、議論がかみ合うはずなのですが・・・ 私には貴方の言っていることがさっぱり分かりません。 ですから、残念ですが、やはりスルーさせてください。
#35です。 >さて、光速不変とはどういう現象を言うのでしょうか? >明らかに、光源側にエーテルの風が吹いている、あるいは吹いているかの >ような現象です。 >つまり、相対速度分が、押し戻され、そのため光速が加減されない現象の >ことです。 >すると、真上に放たれた光は、その相対速度分、後ろに吹き飛ばされているかの >ような現象を起こすことになります。 それと、 >光源に対して光速度不変。 ですか。これを知りたかったんですよ。あなたの態度に納得がいきました。これらの組み合わせは想像し難かったけれど、こういう前提であれば確かに、アインシュタインはエーテルを否定しなかったという考えになっても、おかしくはない。 ・あるいはあなたは正しいのかも知れない。 ・電磁場の伝達機構は、アインシュタインも正直に認めたように、今もってわからないのだから。 以下は、観測者に対して光速度不変を妥当と思い、例えばMM実験などには不備が無く捏造でもなく、光速度の変化は実験精度内で0であったのが事実であろう、と思っている者の発言です。 ます観測者に対する光速度不変を認めると、光源こそが(それといっしょに動いている観測者こそが)第一の観測者です。光を真上に放てば、観測者に対する光速度不変の原理により、光は真上にしか進まない事になります。 観測者に対する光速度不変の原理からは、光が吹き流れるという結論は出せません。しかしその確認は必要です。でも職業的な物理学者というのは、およそやれる事は何でもやろうとします。調べれば、光を真上に照射しても真っ直ぐにしか進まなかったという結論を得た実験は、非常な高確率でありそうな気がします。これが第一点。 次に上記にも関連しますが、MM実験のような原理に直結する類の実験は、既に嫌になる程の追試を受けているのが普通です。明日にでもMM追試があったっておかしくはありません。量子現象の長距離相関を実証したアスペの実験のように。そして時代が下るほど、実験精度は信じられないほどに上がって行きます。 だから信じるんですよ。MM実験の機構を自分で調べ、その論法に納得した上で、オリジナルなMM実験でも光速度変化は0であったのは本当だろうと。これが第二点。 第三点は、オリジナルなMM実験そのものについて。 もし光源に対して光速度不変なら、天空の星々からは、ばらばらな速度で光波が地球にとどくはずです。ところが、オリジナルなMM実験の実験装置ですら、あれは干渉計ですから(光波測距儀:俗称レーダーと原理は全く同じで)、非常に感度の良いものです。少なくとも我々には作れないでしょうが、あんなに簡単な工夫では、その雑音は防げなかったはずです。彼らは、宇宙全体に対して一定速度で進む光波に対する、地球の相対速度だけを目標にしてたんですよ。 そのような測定機器を用いて、しかも天空の星々からばらばらな速度で光波が地球にとどいていたら、MM実験には雑音が多すぎて、実験結果そのものを出せなかったと思われます。マイケルソンやモーリーは、そのような雑音を見逃すはずがない。このような状況には実績があって、宇宙背景輻射を発見したのは、一介のラジオ技術者の2人でした、 マイケルソンとモーリーは時代を割り引いても、一介のラジオ技術者どころではありません。それでもマイケルソンとモーリーは、光速の変化を測定できなかったと報告した。だから雑音はなく、宇宙全体に対して一定速度で進む光波に対する、地球の相対速度は測定できなかった、という報告を信じます。もしくは、随伴エーテルか?です。でもそれはエーテル論内部で、既に否定されていました。 どう思われますか?。 あなたは今の常識と、かけ離れた事を言っているので、こういう話に逐一耳を貸さないと、誰もまともに取り合わないと思います。尻切れトンボにならないで。 あなたは、こんな事は明らかだと言うが、それで実際わからなくなります。あなたの真意が。 それは意外なのかも知れませんが。
補足
>・あるいはあなたは正しいのかも知れない。 正しい、間違っているという結論は最後の最後に持ってくるくるものなのです。 >・電磁場の伝達機構は、アインシュタインも正直に認めたように、今もってわからないのだから。 アインシュタインが言っているから正しいにはなりませんよ。 >ます観測者に対する光速度不変を認めると、光源こそが(それといっしょに動いている観測者こそが)第一の観測者です そんな観測者を登場させてなんになりますか? 今議論で決着をつけなければならないのは、相対速度を持った観測者から見た話ですよ。 その観測者から、真上に放たれた光が後ろに流されるかどうかと言う話ですよ。 そして、相対速度分が流される、そういう現象が光速不変の原理と称するものなのですよ。 そんな現象を誰が確認したと言うのですか? 光が後ろに流されると言う現象をですよ!? そんな現象がありえると思えるその心理、その物理力を問うているのです。 言っている意味が分からなければ、申し訳ありませんが、回答をご遠慮ください。
- hg3
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>さて、光速不変とはどういう現象を言うのでしょうか? >明らかに、光源側にエーテルの風が吹いている、あるいは吹いているかの >ような現象です。 >つまり、相対速度分が、押し戻され、そのため光速が加減されない現象の >ことです。 >すると、真上に放たれた光は、その相対速度分、後ろに吹き飛ばされているかの >ような現象を起こすことになります。 何度も回答してますが、そこが違うのですよ。 >本当にそんな現象が確認されたとは、私に信じられません。 その通りです。そんな現象が確認されたとは私も思ってませんし、 あなたの主張するような理屈の光速度不変は、あなたのおっしゃる通り あり得ないでしょう。そこは間違ってません。 間違っているのは、光速不変をエーテルの風が吹いているために起こる現象ととらえているところです。 相対性理論の光速度不変はそういう事ではないのです。 もう一度、この参照の電車の図を見てください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E6%80%A7%E7%90%86%E8%AB%96 3で電車の中の人が光速を測るとc。ところが4で同じ光を電車の外で測ってもcとなる。 これが相対性理論における光速不変の原理です。 そしてそれは、あくまでも原理即ち仮定です。そうなると仮定したらどうなるかというのが相対性理論です。 その結論が、時間や空間が伸び縮みするということ。そして、その理屈で、「エーテルの風」が無い(検出されない)ことが矛盾なく説明ができるということです。 それ以降の様々な検証結果については、前の回答にある通りです。 かなり説明を省いて簡単な言葉で書きましたので、厳密でない表現があるかもしれませんが、そこはご容赦ください。
補足
>間違っているのは、光速不変をエーテルの風が吹いているために起こる現象ととらえているところです。 私の書いたものをもう一度お読みください。 「エーテルの風が吹いているかのような現象」と書いています。 書いてあるはずのものを飛ばし読みをしたということは、言っている意味が 分からないからと私には判断されます。 エーテルがあるのならまだしも、エーテルが存在しないのにも関わらず エーテルがあるのと同様な動きを光がしますか? と言う問いかけです。 それに対して貴方の答えは「その通り!」 「光はエーテルがなくっても時間と空間が歪むからそういう動きをする」でしょう? それでは論理が逆になります。 時間や空間が歪む説は、光がエーテルがあるかのような動きをするという結論、 つまり、光速不変が確認されてから進められる論法です。 それが確認された事実を持って話が進みます。 ですが、その前段でストップをかけているのが私の説です。 言っている意味まだ分かりませんか? 言っている意味が分からずに回答されても私にはどうすることもできません。 回答が繰り返しになるなら、スルーさせていただきますのでご容赦ください。
- boson
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すみません。回答No.36を訂正します。 誤:だとすれば、もうddtddtddtさんご自身に実験なり観察をしてもらうしか手立てはありません。 ↓ 正:だとすれば、もうokitarou123さんご自身に実験なり観察をしてもらうしか手立てはありません。
補足
上記について、もちろんタイプミスと捕らえていましたので、 ご安心ください。 追伸 回答No.36で以下の件について返信するのを忘れていましたので ここに書きます。 >私はokitarou123さんは(b)または(c)と考えているのだと思っています。 その通りです。 その根拠は、やはり光速不変は、エーテル論同様、荒唐無稽な 話だと思うからです。 ガリレオの話をここで持ち出すのも何なんですが、例の裁判で 「マストの上から物を落としたら、船が静かに動いているか、 止まっているかにかかわらず、増したに落ちる。 よって、地球が動いているかどうかは、落下によっては判断できない」 と、彼が証言したのを受けて、アリストテレス学派の反論は 「その実験を貴方は実際に船に乗りやってみたのですか?」 ガリレオは、「いや、そんな分かりきった実験、やるまでもない」と答えた所、 反対尋問側は、「裁判長! 彼はこういう人間なのです。 人には実験が大事と言っておきながらこういう有様なのです」 と、やりあったとか。 この話、私もガリレオ同様に「そんな実験、やるまでもない」です。
#31です。 >信じてみましょうか。 >が気に入りました。どうも相対論はそこに帰着するように思われます。 それはそうですね。光速度不変と聞いて「そんな馬鹿な!」と思った後、でもそんな面白そうな話はないよなぁ~と、実際に特殊相対性理論の啓蒙書を読みました。光速度不変という宇宙の秘密のメカニズムを説明してくれる理論なんだと、ワクワクしながら(^^;)。ところが光速度不変は原理だった(当時は、原理の意味も定かではありませんでしたが(^^;))。とにかくひどく幻滅したのを覚えてます(^^;)。今にして思えば、秘密のメカニズムを説明してくれるのは、ローレンツの理論の方だった。 (とりえず)信じてますが原理ですからね。信じるかどうかに、それは帰着しますよ。 >貴方は、「光速不変を証明した実験」をご存知なのですか? これは3つの意味に取れます。(a)光速度は不変にしか測れなかった事を持って、証明した事にはならない。(b)光速度を不変にしか測れなかった実験には、不備がある。(c)そもそも、(a)や(b)の実験の風評は捏造だ。 たぶん(a)だと思うので、(a)についてです。 一般に実験で、何かを証明する事はできません。それはいつも状況証拠です。何回か言ったように、特に、何かが無い事の実験は不可能です。出来るのはただ、「それがあったら何が起きるか?」を、出来るだけたくさん試す事だけです。それら全てにNoが返ってきた時、「無いだろう」になります(それでも、だろうです)。#34さんの星取り表は、そのような意味にも取れます。言いたい事は、実験結果は常に反証にしか使えない、です。 そういう理由から、ある仮定が妥当だろうと判断される理由は、実験だけではないです。全ての実験をパスする事は当然ですが、手前味噌のURLの中で述べたように、他の理論との整合性や生産性も重要な試金石です。生産性とは、その方が都合良いという事でなく、仮定のアイデアの基となった理論とは直接関係ない理論においても、その仮定を応用する事で実験を全部パスするような、本質的進歩が可能になるという意味です。 従って、「光速不変を証明した実験」はありません。 ところで例のURLの中では、面倒臭くて「局所時(相対論の固有時に相当するもの)」の説明は省きましたが、当時局所時の物理的解釈はままならなかったというのが、本当のところです。#33さんの仰るように、ニュートン力学を逸脱するものだったからです。ローレンツは苦し紛れに、局所時は数学的便利ツールだと言って済ませてるくらいです。 そうではありますが、局所時の導入はアインシュタイン以前です。19世紀末には、光速度を不変にしか測れないメカニズムは解決済みだったと、言って言えない事はありません。局所時を認めたローレンツの電子論は、光速度を不変にしか測れない事を、理論的に保証するものだったからです。ここから、アインシュタインはローレンツの業績をパクった、というような意見も出て来ると思われます そうではありますがまた一つ、エーテルには奇妙な性質が付け加わり、他のとても現実とは思えない特徴も沢山あって(通常物質の属性をどんどん剥ぎ取られ)、力学的特徴のみが残ります。それも宇宙全体の慣性基準座標系だという、言ってみれば仮想的な(数学的な)力学的特徴のみです。 ここに至って19世紀末の物理学者達も#33さんの言う通り、エーテルをいつでも捨てられる準備が整いました。止めの一撃さえあれば。ヘルツには、電磁現象(光学現象)とは、エーテルとは無関係にマックスウェル方程式そのものだ、という雰囲気が確かに濃厚です。 止めは特殊相対性理論になったはずなのですが、そうはならなかったのが歴史の面白いところです。光速度不変がここまで常識化するには結局、100年以上かかったんじゃないでしょうか?。そのためもあって、明確な「間違ってたぞ宣言」はなかったようにも思います(^^)。 「たられば話」は歴史の御法度ですが。言う事はできます。もしアインシュタインがいなかったら、ローレンツの電子論は現在も現役で、重力レンズ効果などの発見から、局所時の物理的解釈を巡って光速度不変が再登場し、今頃大騒動になっていた・・・(かも知れない(^^;))。「間違ってたぞ宣言」は出たはず・・・?。 本題に戻ります。アインシュタインは、エーテルを否定したか?。 アインシュタインは相当にSFチックな発想の持ち主です。光速度不変を原理に格上げするなんて、普通の感覚じゃできません。なのでエーテルの事をまともに考えていた時期も、恐らく確かにあったと思われます。しかし最後は否定したと思います。 それは自分の理論の帰結として、場の概念に接近して行ったからです。彼も電磁波の伝達機構は、やはり気になっていました。光速度不変を原理に格上げしたところで、それは解決できないからです。そこで電磁場を、物理的実体として認めろと言い出します。その頃物理的実体と言えば、ニュートン力学的特徴を持つ、まさに粒子のような実体だけでした。それに対して電磁場は、透明で触る事もできず、バネ秤に載せられるようなものでもないですが(どこかエーテルに似てますね(^^;)。当然ですが)、それは通常物質と同等な、独立した物理的実在なのだと。そしてその実在の性質として、電磁場は伝わると。結局、なぜ伝わるかはわからいと言った訳です。重力場に関しては、さらに微妙な物言いになります。 これらの考えが常識化するのにも、やっぱり100年くらいかかったのじゃないでしょうか?。これらの考えは、現在の場の理論の思想的な柱になっています。ちなみに電磁場の内部的力であるマックスウェル応力は、通常物質の内力と同じように、原理的には測定可能なんですよ。 もう一つの理由は自分で言ってるようにアインシュタインは、マッハの影響を明確に受けています。観測可能量とは何か?という事を、本気で考えた人でもあります。エーテルのように観測不可能なものは、理論には不要だと判断します。その意味で、否定したと思います。相対性理論は、エーテルのあるなしに関わらず成立可能な理論です。 >私の考えは、完全に >2)エーテルはない > ⇒ エーテルの風は吹かないはず > ⇒ 光速度はどうなるんだ? > ⇒ (ガリレイ変換を信じて)普通に可変さ > ⇒ 特殊相対性理論ではないだろう. >です。 一見そう見えるんですよ。引っかけた訳ではないですが、前回の1),2),3)は、ある意図のもとに書きました。前回の1),2)で言いたかった事は、光速可変と考える立場の多くは、エーテルのあるなしには、実は無関係だという事です。この文脈では、光速度不変かどうかは、ガリレイ変換を(ニュートン力学)を全面的に認めるかどうかで決まります。 その大多数はエーテルのあり得ないような性質から、「エーテルなし」かつ「光速可変」と確かになるでしょうが、それでも「エーテルの非存在」と「光速可変」は、全然別の根拠に基づいています。そして1),2)と3)は、論理的に無関係です。 3)については、「エーテルなし」の結論は後半の下りの拡張で、そこでは「エーテルなし」と「光速度不変」が論理的に関連します。 1)があるにも関わらず、躊躇なく2)を選んだという事から、あなたにとっては「エーテルなし」かつ「光速度可変」は、論理的に関連してるのだろうと思えます。その関連を知りたいのです。 まだ隠し玉と持ってるのでは?、と邪推してます(^^;)。
補足
今回も読み応えのある、しかも質問の内容に全くズレのない回答を 寄せて頂き心から感謝申し上げます。 さらに、あなたの回答のすばらしさは、必ずといってよいほどその根拠を 示されていることです。 見本的回答であり、これまでのいらいら感から解放され、何度も繰り返し読ませて 頂きました。 これでようやく、質問者と回答者の位置づけができたように思います。 (これまでの会話は、どっちが質問者か分からないような内容でした。) さて、先の補足の中で、私は非エーテルの立場に立った実験が行われて 初めて役者が揃った、になりますと述べました。 この意味は、非エーテルの実験は、エーテル肯定論の実験の逆の結果と なるわけではないことはおそらくあなたもご承知のようで、そう切り返しては きていませんね。 さて、光速不変とはどういう現象を言うのでしょうか? 明らかに、光源側にエーテルの風が吹いている、あるいは吹いているかの ような現象です。 つまり、相対速度分が、押し戻され、そのため光速が加減されない現象の ことです。 すると、真上に放たれた光は、その相対速度分、後ろに吹き飛ばされているかの ような現象を起こすことになります。 本当にそんな現象が確認されたとは、私に信じられません。 光には全く慣性が働かないように見えるからです。 連星の実験話は、よく聞く話ですが、私には眉唾(まゆつば)的な実験に思えます。 その理由は、光速不変があまりにも荒唐無稽な現象であるというだけでなく、 たとえば、ブレッチャーはc´=c±kv、という仮定式を立てて、実験していますが、 この仮定そのものが怪しいと思われます。 kの値が、0.5や0.8になるわけがないと考えるからです。 つまり、k=1 か、k=0 としてまずは実験すべきだったからです。 そして、k=1のときのドップラー現象はどう観測されるのか、また k=0のときのドップラー現象はどうなのか、それぞれの式が違うはずです。 つまり、k=0 のときは波長が変わっているタイプとなり、k=1なら波長が 変わらずに周波数のみが変わるものとなるからです。 いずれにしても、ドップラー効果は波長の変化で観測されるものではなく 周波数の変化で観測されるものです。 その辺の考察が最初からなされているようには思えません。 最初から、光速不変を何とか証明しようとしているさまにしか私には映って いません。 それを裏付けるかのように、ブレッチャーの実験に対する詳細を、日本語で 語られているものをなかなか入手できず、私のつたない英語力では こんなことを書いているのかな程度の解釈しかできず、非常に困っています。 また、連星は何光年も離れたところにあります。 おそらく最初は連星であることすら分からなかったのではないかと推測 されます。 なぜなら、複数の星が共通重心を中心に回っていることを目の当たりに した人はいませんし、観測しているうちに、地球に届く光が、周期的に 変化していることから、そういう推測になったのではないかと思います。 ですから、ブレッチャーの時代の連星の情報が現在では修正されて いるように思います。 それより、私は、もっと身近な話、つまり太陽光によるMM実験の結果が、 エーテル論にマッチしなかったことのほうが気になります。 ちょっと話が長くなったので、ここでいったん打ち切ります。 お許しください。