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マナーの是非を問う時の、議論の仕方について
電車での化粧や箸の持ち方、酒席で酌をする・しないといった、 社会的なマナーの是非を問うスレがありますよね。 たいてい否定派が「なぜしなきゃいけないのか?」と質問し、 議論の末、荒れることが多いような気がします。 私はそれらを見ていて、いつもモヤモヤします。 マナーの是非そのものよりも、議論の仕方が気になるのです。特に肯定派の。 否定派は要するに「その行為に何の価値も感じない」のでしょう。 自分がされても嬉しくないor腹も立たない。 そもそも全く興味がない、気にならないのに、 余分なコスト・忍耐・手間などを要求されるのが理解できない。 これに対して、肯定派は「常識だ」と述べますが、それは発言者にとっての常識であり、 「私はそうは思わない」と返されたら一巻の終わりです。 そして相手はまさに「そんなの常識だと思っていない」から質問しているわけで、 いくら「常識だから」と言っても、水掛け論にしかならないのは明らかです。 また「自分だけじゃない。大勢がそう言っている」という意見については、 言い換えれば「だって皆やってるもん」です。 これは子供がだだをこねるときの論法であり、我は多数派なりと述べただけです。 やはり案件の正当性そのものは、何ら説明されていません。 さらにしばしば、肯定派は相手の人格攻撃に走ります。 「レベルが低い・人として終わってる」など、こんなものは議論の方法としては論外でしょう。 そもそも「ある行為を常識だと思わない」のは、そんなに悪いことでしょうか。 人格の高潔さとは関係なく、単なる考え方の相違に過ぎません。 「理屈はどうあれ、現実には数の多い方が力を持つ」というのなら分かります。 しかし肯定派は、決してそういう言い方はしません。 「自分たちが正しいから従うべきだ」という言い方をします。 しかし「なぜ正しいと言えるのか」については「常識だから」としか言わない。 でも決して「なぜそれが常識でなければならないのか?」については言及しません。 「こういうものは理屈ではない。感性で分かるものだ」という人もいますが、 感性の異なる他人に、自分と同じ感じ方をしろというのがそもそも無茶です。 考え方の異なる他人と分かり合うために、理屈というものがあるわけです。 そこを「常識で分かれ!」とごり押しするから喧嘩になる。 言葉の限りを尽くして説明し、それができないなら己の正当性を疑うべきではないでしょうか。 「これぐらい常識だよね。言わなくても分かるよね」は 議論の場では、非常に甘えた態度だと思えてしまうのですが。 そういう経緯で、私は言い分としては、否定派の方がずっとまともだと感じるのです。 みなさんは、どう思われますか?
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- irrirrirrirr
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>×マナーの是非を問う時の、議論の仕方について →〇マナーの必要性に関する議論の仕方について(文脈から察するに行為の善し悪しに関してではない) >社会的なマナーの是非を問うスレがありますよね →社会的(=集団性にかかる)マナーについてであること。(ここが重要) >否定派は要するに「その行為に何の価値も感じない」のでしょう。 自分がされても嬉しくないor腹も立たない。 そもそも全く興味がない、気にならないのに、 余分なコスト・忍耐・手間などを要求されるのが理解できない。 →その論拠は、集団性の観点からではなく自己主体性に基づく。つまり、貴方が問題視する肯定派の「己の正当性」と同 じ。 >肯定派は「常識だ」と述べます →そもそも議論をしてない(=論点を認識してない) >議論の末、荒れることが多いような気がします →だから、議論が成立してない。 >私は言い分としては、否定派の方がずっとまともだと感じるのです →そもそも肯定派の論法が存在しない以上、両者の論法に関して優劣がつかないはず。 貴方は否定・肯定派、議論云々ではなく、おそらく自己主張の強い又はそれが強烈な人間、それでもって議論に参加しない人間を許容できないだけです。 もし、そんな奴とヒートアップしたら、難しいことは仰らずに一言、「卑怯だ」と。それで十分です。
- lanccet2
- ベストアンサー率29% (19/65)
こんにちは。Q&Aを興味深く拝読しました。私が思うに・・・ マナーとは要するに美意識の問題であって、それは理屈ではなく「神経の問題」です。例えるなら、マナーを欠いた人からは「ガラスを爪で引っ掻く音のような」不快感を覚えます。 その行為が法律に反していなくても、神経に障る行為を平気でする(あるいは理屈で正当化する)人間がいれば、怒り心頭に発するのは当然のことです。そうでなければ神経が持ちませんから。 「感じ方は人それぞれ」とはいっても、不快に感じる人が周囲にいるなら、可能な範囲でその行為を慎むのが社会の知恵です。そうしなければ暴力沙汰が多発することでしょう。質問者さんの指摘する「荒れたスレ」はその縮図といえます。
- ka28mi
- ベストアンサー率41% (969/2315)
No.4で回答した者です。 書いてくださったお礼を拝見していて、ふと思ったのですが、ひょっとして質問者さまは「筋を通し、説明方法を変えて説明すれば、基本的に相互理解は成り立つ」とお考えでしょうか? あくまでも、個人的な意見ですが、私は、理解しあえる確率は低いと考えていますので、そこでズレが生じているかと思います。 ご質問の「マナーの是非を問う」というのは、言いかえれば、「やりたくないのに、しなければいけない。やりたいのに、してはいけない。その理由はなんだ?」となりますよね。 私は、ポイントは3つに絞れると考えます。 まず、それが「みっともない」ことだから。 次に、それは、程度の差はあれ、他者に物理的または心理的に危害を加えることだから。 最後に、それは、自分自身にとってデメリットがあるから。 一般的に「理由」とされるのは、法律、マナー、モラル、常識といった大きな意味でのルールですが、じゃあ、なぜルールがあるのかというと、上の3点だと思うのです。 「みっともない」のは嫌だから、「みっともない」と思われない行動や服装がマナーや常識になる。 他人に物理的な危害や甚だしい危害を加えるから、違法とされる。 見ていて不愉快な行動だから、モラルにかける、常識がないとされる。 自分が損をする行動だから、得を求める社会においては常識がないとされる。 そんなものではないでしょうか? そして、こう考えると、質問者さまの仰る「否定派」を説得することは不可能です。 「みっともない」と思わない、「迷惑だ」と思わない、あるいは「たいしたことはない」と思う、「デメリット」はない、わけですからね。 つまり、表現をどう変えようと歩み寄れるわけもないので、違法行為でなければ、「あなたと私は違う考え」と認めるしかないのです。 そして、「肯定派は、なぜヒステリックなのか」ですが、私の感覚では、「どんな人がヒステリックになっているのか」「なぜヒステリックなのか」がポイントのように思います。 どんな人を考えようとすると、肯定派・否定派では、少し大きすぎる気がします。私でしたらご段階くらいに分けますね。 ・その「マナー」を万人が守るべきものと考える「推進派」 ・マナーは大事だが、例外もあると考える「許容派」 ・他人にマナーを勧める気がない「中間派」 ・時にはするけれど、できればやりたくない「消極派」 ・絶対にやりたくない「拒絶派」 といった、ところでしょうか。 このうち、推進派と拒絶派がぶつかった時が、質問者さまが仰るヒステリックな対応が出現してしまうのだと思います。 他の組み合わせであれば、互いに「これ以上、議論しても無駄だね」というのがた分かるでしょうし、引きどころを感じるでしょう。 ですが、守るべきものと思っている人と、絶対にやりたくない人では、どちらも引けません。 けれど、先にも書きましたように、理屈では歩み寄りようがないのです。結果として、感情が高ぶっていかざるをえないのでしょう。 ではなぜ、感情が高ぶってヒステリックになってまで、引けないのか、ですね。 本当のところは、個々のケースで、その人の気持ちを聞かないと分かりませんけれど、自分がヒステリックになってしまう状況を考えると、自分が否定されていると感じる時、自分の利益が侵害されていると感じている時ではないかと思います。 たとえば、電車内での化粧であれば、 自分が早く起きて化粧をしている、電車の中で座ってできるものなら時間が短縮できるけれど、それができないで悔しいと感じている人。 いつも乗る電車に、化粧をしている人がいて、化粧品を服につけられたり、つけられそうになったりして不愉快な思いをしている人。 宴席でのお酌であれば、 宴席という場で話したいのに、酌にも来ずに逃げ回るから話ができないと感じている人。 お得意さんとの宴席で、後輩が酌をしないから不愉快に感じている人。 こんな人たちが、拒絶派に出会えば、矛先が相手に向きそうに思いますね。
- kumi-navi
- ベストアンサー率41% (39/95)
こんにちは。 マナー云々より、議論の仕方に着目なされた所が面白いなと思いました。 肯定派の言うことは正論は正論なのですが、それを「常識だから」と押しつけるのは本末転倒。 それこそ非常識だと思います。 つまり、説明の仕方がいささか強引なのですね。 そもそも『マナー』なんて言うから、常識非常識に捉われるんだと思います。 素直に『思いやり』とか『配慮』って言えば、否定派の方も肯定派になるのではないでしょうか。 電車でのお化粧も、酒席でのお酌も他人への『思いやり』があれば、自然とあるべき姿に辿りつくはずです。 議論も、『思いやり』さえあれば、相手をねじ伏せようなどという書き込みはなくなると思います。 それにしても、本当に最近思いやりの無い、自分優先な人が増えた気がします。 質問者様の仰る通り、確かに感性は人それぞれですが、「それ自分がされたら絶対嫌でしょ」って事を平気でする人もいて、なんだか寂しい世の中です。
- AkiraHari
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なるほど、貴方は一つ一つ懇切丁寧にマナーの大切さを説得しなさいという主張なのでしょう。 しかし、行儀の悪い未就学児や小学生には昏々と道理を述べるのではなく、まずは躾です。幼少期の躾がなっていないから中学や高校生くらいになってもマナーがなっていないし、それどころか大人になっても勘違いした輩がかなりいるのです。モンスターピアレントとかクレーマーとかトラブルメーカーとかかなりいます。これら大人には説得も必要になります。しかし、説得だけではすまず、法律で強制することも必要になってきます。例えば、たばこのポイ捨ては止めましょうとか、禁煙場所では喫煙しないようにしましょうというのはマナーの範疇でした。ところが、そんなマナーは関係ないという輩がいるので、自治体で条例を定め罰則も決めたりしています。嘆かわしいことですが、マナーをコンコンと説いていては対処しきれなくなったのです。 マナーのなっていない大人には法律で対処するというのも必要なのです。一方、子供に対しては先ずは躾です。 非常識を駆逐するにはこの二つが有効です。 非常識な屁理屈をこねる輩と同じ土俵で論じようなどでは解決しないのです。 ま、貴方はそれが解らず、茶化された不愉快だと思われたのでしょう。
お礼
茶化す意図がなかったのだとすれば、失礼しました。 ただ誤解があるようなので、追加してもよいでしょうか? まず幼児に対しては、回答者さまに同意します。 理屈を年齢とはいえませんからね。 また、煙草のポイ捨てや喫煙については、受動喫煙による健康被害や 吸いガラを誰が片づけるのかという、実際的な問題が生じます。 私が述べているのは 「周囲に騒音・悪臭・振動・汚れ・その他の物理的な迷惑を与えないが、 単に習慣によって『はしたない』『すべきでない』とされている行為」です。 つまりそれを取り締まろうとすれば、『見苦しい』とでも言うしかないような行為を指します。 これに対して否定派は「それは貴方の好みの問題だろう。イヤなら見るな」と言っているわけです。 ビキニの水着が生まれた頃、年配の人たちはハレンチの極みと嘆きました。 でも、今では全く普通の光景になっています。 そして、ビキニのせいで日本人のモラルが堕ちたわけではないでしょう。 こういうことがあるから、否定派は「見苦しい」などの情緒による言い分を拒むのだと思います。 単なる個人的な感覚で他人の行動を縛るなんて、そんな権利は誰にもないと(もちろん自分にも)。 でもそういう点を突かれると、肯定派は一気に怒りを爆発させます。 その態度そのものが、私には『見苦しく』映るのですが、いかがでしょうか?
- BC81
- ベストアンサー率25% (687/2673)
「否定派」的な人が好む「人それぞれ」と何でも相対化する物言いと、 「理論的に説明出来なければ納得しない」という立場を組み合わせると、 およそ議論という方法が通じないからでしょう。 つまるところ「他人と関係なく、私自身が納得しないことは私にとって正しくない」なのですから。 加えてネットでは「スルー」が出来ますし、「否定派」が多いであろう若者ほどそれが上手い(?)ですから、尚更ネットでは議論にならない訳です。 で、「肯定派」なる人たちは、それに苛立って罵倒するんでしょうね。 相対化して議論をチャラにするのって、やられるとひどく腹立たしいものですよ(笑) とまあ、自分の年相応に「肯定派」の立場に立ってみましたが、 気を遣うべき相手が見えていない場面でのマナーは、「肯定派」が多いであろう中年以上の方々のほうが、むしろ悪いくらいですね。 また、私は小売業なのですが、態度が良くないお客さんも、明らかに中年以上に多いです。 結論としては、どっちもどっちでしょう。
お礼
>およそ議論という方法が通じないからでしょう 全く同感です。 ただしこれは、 「否定派はそういう手口で、議論をチャラにする卑怯な連中だ」という意味では……ないですよね? たしかに議論が通じませんが、私はその原因をこう見ています。 「マナーというのは、そもそも他人に押し付けられる性質のものではない。 ゆえに、『守るべきかどうか』という議論の対象にならない。 守りたければ守ればいい。無意味だと思えば無視すればいい。 また、相手がどちらを選んでもそれを理由に責めてはならない」 肯定派は、この大原則を堂々と無視して、 勝ち目のない議論に加わったあげく、勝手に熱くなっているように見えるのです。 ただそんな優位な立場を利用して、高飛車にふるまう否定派もいますけどね…… 最終的には回答者さまの仰る通り、どっちもどっちかもしれません。 ありがとうございました!
#2です。補足ありがとうございました。 ちょっと気になる点が、 >ヌーディストは法律に反すること と簡単に述べられていますが、法律がない国もありますし、法律がなければ、質問者様は裸で闊歩されるのでしょうか? ここから考えると、公共の場で化粧をするのも同じで、電車内で化粧をする人たちは、それが普通の事であり、方や有りえない世界なのでしょう。 有りえない世界なのですから、同じ目線(同じ世界)に踏み込んで議論する気もないから、「常識」で済ませてしまう。それはあなたが「法律」で済ましてしまったことと近いものと私は感じます。 「否定派」は、自分はそんなことをしないが、「同じ目線に立てる」人達もいるのではないでしょうか? この時点で、「話し合う」ことを目的としているのですから、理性的に(まとも)対応することになります。 だからと言って、肯定派(常識派)は「まともでない」という括りではないでしょう。
お礼
なるほど! 私が「法律だから」で満足しているのは、単なる「私の基準」にすぎない。 世間には「それが法律であることが納得できない」という人もいるかもしれない。 そういうことですね! そういう視点で考えてみたことはありませんでした。 示唆に富む回答を、ありがとうございます。 回答者さまの仰ったことを、じっくり考えてみたいと思います。 ……そうか、そういう人たちも考慮するべきなのか……
- ele_sheep
- ベストアンサー率18% (287/1525)
歴史のある体育会系的な組織は、色々な不文律があってそれを知らずに破ると 「お前はアホか、そのぐらい常識だろ!」と一喝されます。 どうもマナーに関する議論になると、その図式があてはまっているように見えます。 過激なマナー肯定派の方は 普段の生活でも、そのような軍隊チックな環境におられるのではないかと思われます。 一部のマナー否定派は、直接めいわくをかけなければ、何をしてもいいと思っていて 一部のマナー肯定派は、注意するにもマナーがあるということを理解していない また一部のマナー肯定派は理詰めで、自分の常識でを覆されると、元々軍隊チックな脳をしているので、激怒します。普段の生活でも時々目にしますね。(最近はあまり見なくなりましたが)
お礼
>普段の生活でも時々目にしますね そうですね。ネットなら実害はないですが、実生活で会うとかなり面倒そうな…… 個人的には、肯定派の人々は 相手に対して「他人の気持ちを考えろ!」と怒鳴るけれど、 自分たちは「否定派の人々の気持ち」に全く興味がないように見えます。 そういった言行不一致が気になったので、質問させてもらいました。 回答、ありがとうございました。
- izayoi71
- ベストアンサー率23% (29/125)
そんな細かいことで興奮しなくてもいいと思うけどなぁ。 たまに、ビックリするほど炎上しまくる時あるね! あんなの、いちいちみんなの回答読むの? 質問した方も、たまらんやろな(>_<) あっ!もし俺が何か質問した時は、書かれようが、ディスられても、謙虚にお礼をしてあしらうことはするよ。
お礼
隅々まで読むわけではないんですが…… 最初からアオり目的なら、そうなるのも分かります。 ただ、言ってることは真面目で良識にあふれる人々が、 そういう場ではとても「良識あふれるとはいえない態度」を とっていることが、理解不能だったのです。 対応としては、回答者さまの方法が、極めて正しいと思います。 ありがとうございました!
- 46708562933
- ベストアンサー率30% (63/209)
日本人のマナーとか常識が時代背景によって変化しただけのことですよ。 おそらく年代的には、現在35歳を堺に、肯定派は上世代、否定派はした世代。 お互いが自分たちが常識と考えていれば話はつかないでしょうね。人口比率も35歳以上の方が多いでしょうからそちらがモラルや常識と今のこの日本では言われているんでしょう。 団塊の世代がここ数十年で他界されますよね。人口比率が50:50で逆転せれば、今の否定派の意見が肯定派にすり変わるだけですよ。 ただ思うのは、私は40代の男ですが、親の教育・しつけ、学校の教育(団体生活における連帯感や学力)が変化(私は劣化)していると考えます。ま、その考えがっていう意見が出るんでしょうね。 ただ私が不安なのは、この先数十年後、今の35歳以下の人たちが社会を担う時代、高貴で歴史ある文化を持った日本人という意識が世界的にも”落ちたもんだな”と言われること覚悟ができているのかはたまた、そのとこはその時代背景が変わるから・・・と安易に考えているのか? 世界的にも日本は真面目で高貴で働き者で交渉上手、トップ技術集団というイメージを何十年も持たれています。高い地位に見られている日本人が外国から見た場合、乱れてますねと思われる。だらしないと思われる。国際競争力で勝たないと日本は世界中から下に見られ、政治家も外交交渉や、経済活動が衰退していくんだろうなと思います。 今の常識肯定派は、過去の実績、経験がいう成功の裏付けがあって発言します。否定派は新人類とか一昔言われましたが自己中心的な発言が多いと思います。自分は正しい。 ま、育った環境の差が今の社会を二分していて、意見は噛み合わないのは、モラルや常識が違うのも仕方ないんでしょうね。
お礼
なるほど、大変よくわかるお話です。 ただ私は、マナーそのものの是非について、云々したいわけではないんです。 例えば電車内での化粧がいいか悪いか、そういう話ではないのです。 電車内での化粧を悪いと思っている人たちは、 なぜ議論の場において、 ああいうヒステリックで、失礼な態度をとるのか。 「常識だ」「常識だ」と繰り返すばかりで、 なぜその正当性を、感性が違う相手にも伝わるように 言葉で説明しないのか(そう努めないのか)。 そういう、議論における態度の話なのでした。 しかし一方で、回答者さまの危惧も理解できます。 私自身、別にマナーがなくていいと思っているわけではありません。 ありがとうございました!
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お礼
>相互理解は成り立つとお考えでしょうか? そうとは限らないと思います。 互いが寄って立つ常識が違うために、言葉を尽くしても分かりあえない。 そういうのは十分ありうることです。 異なる宗教を信じる人々が、互いの教えを理解できないように。 しかし対話を通じて「この人とは分かりあえない」ということだけは分かります。 そして異教徒どうしでも、平和的に共存することは可能です。 そのために大事なことはシンプルです。 「感情的にならない。自分の教義を押し付けない。異教徒の存在を許容する」 回答者さまの分類でいくと、私は「中間派」ですね。 自分が必要だと思えば守るが、他人にやらせようとは思わないタイプ。 そんな私から見ると、「推進派」はまるで狂信者のように見えるのです。 異教徒とみれば火あぶりにする人たち。 異教徒が存在すること自体に我慢ができない、病的な人々。 >違法行為でなければ、「あなたと私は違う考え」と認めるしかないのです。 ええ、だから認めればいいのに。 というか、認めるべきでしょう。理屈の上ではそうなるのだから。 ここで「そんなこと許せるかー!」というのが推進派なのでしょうが、それは子供のだだと同じです。 ……と、思うところを好き勝手に書きましたが、回答者さまにはとても感謝しています。 こういう質問をすると、たいてい「肯定派(推進派)」の目にとまり、 私自身がまるでけしからん人間のように 「そんな疑問をもつこと自体けしからん!」と攻撃の的にされるものですから。 懇切丁寧にお付き合いいただいて、感謝の言葉もありません。 大変ありがとうございました!