ちょっとクールに考えてみました。
今の時代は、主観社会です。
自分の代だけ、うまく、できれば楽しく生きられたら良いのではないか、
という考え方は、否定されることがありませんし、そこから踏み込むと、
家系とか、血統とか、家を絶やさないと言った、古ーい考え方になるのでは、
と、及びたくないのが、本音の部分かもしれません。
これは民法の解釈論が、戦後と、1945年以前の日本とでは、かなり開きが
あることに原因があります。
江戸や封建社会の時代では、家が途絶えると財産を取り上げられてしまう。
昔は私的財産は、個人より家に重きが置かれて、それが戦後の改革で個人中心に
変わったことが、大きく影響していると思います。
子供が出来なかったということの、離婚(離縁)原因は、かつての日本では
珍しくなかったことなのです。が、養子という方法で、それをくぐり抜けた夫婦も
多かったことも知っておいて下さい。
女の子を養子でもらって(養女)、さらにその娘に夫を養子で迎えるという、
親子でも全く血のつながらない相続は、決して珍しいことではなかったのです、
70年以上前の日本では。
養子という言葉は傷に触れるかと思いますので、もうつかいません。
倫理ということばですが、人の道ですよね。何かに対して「申し訳ない」と
思ってしまったら、退却するしかありません。
いや、これで良いんです、と思い続けられたら、やましくも無かったでしょう。
第三者が経験もしていないのに言う筋合いはない、というのは、こういったネットの
ような場で出されることは、多数の人は同意だと思います。
しかし、当事者とその関係者の狭い人間関係においては、そこも主観でコメントが
述べられるのだと思います。
結婚という人間関係を続ける理由が、こども(子孫)の一点だったら、続ける理由は
ないと判断された、そうでなければベストパートナーを、縁組みから外されなくても
済む方法を探すべきだったのでは、ないでしょうか。
おそらくは、周囲の人間関係に疲れてしまった、そんな原因では無いでしょうか。
まだこれから先の人生について、それぞれの方が、前向きにチャレンジされていく。
そちらの方が、思い出に生きるより、大切かと思います。
お礼
ありがとうございました。もっともと思います。