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慶長年間後半、一国一城令の前兆について
お世話になります。 さて、一国一城令は大坂夏の陣後の1615年に発布されていますが、これは何の前触れもなく突如として発布されたものでしょうか。 1) つまり、それ以前1603~1610年の間において同じ趣旨の法令が発布され、その集成という形で一国一城令になったということはないでしょうか。 ひょっとしたら、慶長10年(1610)の「武家政令3ヶ条」に一国一城令の先駆となる規制は含まれていないでしょうか。 2)日本史小辞典(山川)には「これより先(中略)城郭の建築・修理が盛んであったが、家康はこれを好まず、この令を発す」という記述があります。 そこで、一国一城令に先立つ成文法が無いとしても、幕府の意思として本城以外の整備を憚らせるような事情などは無かったでしょうか。 たとえば、伊達政宗が青葉城に天守閣を設けなかったのは、和賀忠親煽動の疑惑から家康に遠慮したという説があります。このように、城郭を整備することに対する有形無形の圧力について具体的な話がございましたら、お教えください。 よろしくお願いいたします。
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- bhoji
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回答No.1
新規の築城禁止が最終的には寛永15年(1638年)に出た、武家諸法度 (寛永令)に載っているようですが、前段の元和元年(1615年)の 武家諸法度(元和令)にもその事があったかどうか? ただ、築城禁止令が出た以降でも全国で2-5箇所の築城が成されています。 例として備後の福山城があります。tp://www.shirofan.com/shiro/tyugoku/fukuyama/fukuyama.html 最初のキーワード:発令 一国一城令 から入って、 天下普請、武家諸法度 築城、 元和令 などを使っています。
お礼
bhojiさん、ご回答ありがとうございます。 趣旨が不明瞭な質問で申し訳ございません。今回の質問の趣旨は、1615年以前、特に1603~1610頃に関してです。 この年代に関しては何かごご存知無いでしょうか。よろしくお願いいたします。