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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:高校世界史でのことなのですが・・・。)
高校生の質問:予定説(カルヴァン派)と職業召命観、プラッシーの戦いについて考えて
このQ&Aのポイント
- 高校生が予定説(カルヴァン派)と職業召命観について質問しています。予定説は神が救済を決定し、変更できないことを意味し、職業召命観は労働と利益を正当化しています。彼の考えは正しいのか不安です。
- また、高校生はプラッシーの戦いについても質問しています。彼はイギリスの領土拡大とフランスの撤退について述べており、自分の考えが正しいか不安です。
- 参考書や用語集には詳しく載っておらず、彼の自己考察が多いため、回答をお願いしています。
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質問者が選んだベストアンサー
予定説について・・・質問者様の書かれていることで大体正しいと思います。少し補足すれば、勤労を勧めるのは自分の欲望を押さえてそれに打ち込めとのことであり、その結果としての富の蓄積は、「神の栄光」を表すことを意味する、という教義です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%AE%9A%E8%AA%AC http://www.tabiken.com/history/doc/S/S354L100.HTM プラッシーの戦いについて・・・この戦いの以後さらにイギリス軍はムガール皇帝軍を破り、ベンガル地方を領有。これによってイギリスは、英領インドの基礎を築きます。その後はお分かりのように、イギリス軍がインド全域に領土を広げていきます。 ただ、フランスが他地域へ勢力を展開する「契機」となったかどうかは分かりません。 フランスは1789年からフランス革命が起こるために、植民地政策にはあまり関われなかったのではないでしょうか。 仏領インドシナのきっかけは、ベトナムでのキリスト教徒迫害を口実とした、ナポレオン3世による示威行動のひとつです。ですから、プラッシーとの関係は薄いと思うんです。もちろん、インドを失ったフランスが、再度アジアへの足がかりとして占領したとは思うんですが。 最後は憶測が多くて、あまりお役に立てなくてすみません。
お礼
御回答ありがとうございます。 フランスのインドシナ領とプラッシーの戦いは関係が薄いのですね。てっきりこの戦いが契機となったと思っていました。とても参考になりました。ありがとうございます。