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インドの真性異言事例とは?
- 1974年、インド中西部のマハーラーシュトラ州に住む32歳のウッタラ・フッダルという女性は、突然、二重人格のような状態に陥った。
- ウッタラ・フッダルの第二人格であるシャラーダは、ベンガル語を話し、19世紀のベンガル地方の情報を詳しく話した。
- この真性異言事例は、3例しかなく、物証もあるため、シャラーダの霊が乗り移っている可能性がある。
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そもそも”霊”ってなんなのだろうか?”人格”とは一体なんなのだろうか?”記憶”とは?”意識”とは? ”異言”と呼ばれる現象なんですね。とても興味があります。初めて知りました。他にも2例あるんですね。 こういう現象がある、ということは、今まで僕らが考えていた人格だの記憶だの意識だのの常識を根本から見直さなきゃいけないのでしょうね。 ”霊”例えば意識や記憶、人格が目に見える肉体もなくそれだけで存在し、活動したり入れ替わったりする、そんな風にも見えます。 でも、やっぱり何も実体がない、実体を与えられるまで観測出来ない、ってのは”無い”と考えるしかないと思うんです。(この常識ばっかりはそう容易に取り払えないですね。もし、それが真実なら理解不能なんですから。) じゃあ、これは一体なんなのか? 謎は深まるばかりですね。 「シャラーダ」なる人物が過去存在していたのか?はたまた、ベンガルのその家に”存在する予定”だったのか? つまり何が言いたいかっていうと、過去に実体があって形作られた人格なのか?または、本来であれば過去に生まれ、存在するスケジュールだった人格が、本来与えられるはずだった記憶を持って突然発現したのか? 前者ならば”人格”がそれ単体で存在する可能性を示し、後者ならば僕達が人格だの意識だの呼んでるものが、何か別の想定外のシロモノである可能性を示す。 面白いですね。この世界の大問題ですよ。つじつまが合っていて、だからこそ大問題。 例えるなら、リコール沙汰の問題が浮き彫りになってしまったかのよう。 意識はそれ単体で存在出来るのか?肉体に宿るものではなかったのか?そもそも、僕達が考えていた”意識”なんてものは初めから無いのか?もしそうだとしても、その”あり得ない出来事”をこうやって認識するこの”意識”は何者なのか? 玉ねぎの皮を剥いて、結局無くなってしまう感覚に似ている。堂々巡りで真実に辿り着けない。そんな感覚。
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- zakire
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シャラーダに会いましたか?マラーティー語、その他インドの言葉についてどれぐらいの知識がありますか?その話がすべて創作、あるいは捏造ではないと言い切れますか? そもそも科学的な証明がしにくい、あるいは不可能であるかもしれない分野の話について、人伝に聞いた話をさらに伝えた上で感想を聞くのが何か意味のあることなのですか。 この行為に対して人がどのような反応を示すのかを知りたいというならあえて止めはしませんが、もうちょっと他のアプローチを考えた方が良いのでは。
お礼
ご指摘ありがとうございます。 考え直してみます。
お礼
ご意見ありがとうございます。 先日、フジテレビ「アンビリバボー」で、日本人主婦が催眠によって、ネパールのある村の村長になってしまい、ネパール語、しかも方言で話し始めた映像が放送されていました。その主婦の語ったことは現地取材の結果、かなり当たっていました。 youtubeでも出ているので見てください。これは娯楽番組なので、どこまで本当かわかりませんがね。