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恋愛の本質(※たくさんの人の意見を聞きたいです!)

多種多様な意見を下さいw 恋愛の本質は何だと思いますか?

みんなの回答

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.11

マジで答えると 怖いよ~ カマキリのメスが交尾した後にカマキリのオスを食べるようなもの。 貴方が男性ならば 逃げ足の速さを磨こう。 貴方が女性ならば 子孫を残すための闘争。 Feels Like Heaven http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=tFNQFDAGCZY

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.10

男女間の恋愛は所詮コスプレして演じきってる「異常心理」です。 普遍的な恋愛形態というのがあっても、欲情しない恋愛というのも本質の欠如で、 欠陥とか模造であっても人に情や理性がある故に往々に存在してしまえるもの。 「生まれ変われるものならば、あなたの母になりあなたを産みたい」←ミコポエム 親が子を育むことや、子が親を慕うことは正常なことで、誰も異論の仕様もなくて それなのに個々の成長だからと互いに距離を取れるよう懇願し出したり いくら否定しても丸裸の近似値が高いものだから着替え用もなく離れられないのです。 異常事態突入。私は変態。 という自覚が持てるのも人間の特権であるのですから ドレスアップして演じきるのが幸せというものだと思います。

回答No.9

愛とはその手段において闘いであり、本質において、男女両性の不俱戴天の憎悪である。 また 、諸々の短期間における愚行、君たちの間で、それは、恋愛、と呼ばれている。 結婚は長期間の愚行として、短期間の愚行を終わらせる。 とも、我は心を無味する者、ッァラトゥストラ、である。が言ってました。 恋愛について、多くの人の意見を聞き、恋の手管、を磨こう、との思惑からの質問であれば、役には立たない意見でしょう。愛は憎悪である、などと言ったら女の子は逃げ出すでしょうね。 恋愛の本質を知りたければ、歌ったり、踊ったり、プレゼントをしたり、体型体力を誇示したりの、鳥や動物の、いい寄り行動、と雌の、じらし、競わせ作戦?を観察するのがむ一番では。  またニ-チエの言葉ですが 、女性の一切は嘘であり、真実は一つしかない、それは妊娠である。 動物の場合は、妊娠すること、子を産み種族の存続を、生命の受け継ぎを図る。それが、本質、あるいは 目的、と言える部分なんですね。 人間の場合は、 若い頃、女の子にではなく、カブトムシ、一目惚れ?された事がありました。 拾ったカブトムシを親指に止まらせて、歩いていた時、あれっ、と思って立ち止まりました。 ギ-ギ-と声を出発しながら、下腹部から黒く尖った、突起物を押しつけていたのです。 何を考えながら歩いていたかは忘れましたが、多分に感動的に、そうか!と気づいた事は。 行動が先なのだ、行動と一体として、行動に駆り立てるもの、があるのだ。 それが、適応に敵うのが、動物の知恵、の形態なのだ。そしてそれを、意識、自覚、する事はない。 人間は、行動と一体の知恵、を脳のの活動に、転化させる、という、進化=退化 の形態を獲得した故に、駆り立てるもの=心 と、適応に敵う行動=知恵 が、分離、していまった。 駆り立てるものは、感情。欲球、として、自覚される。が適応に敵う、知恵、は自覚されない。 適応は、自己の感情や欲求、とは、かかわりないところにある、それを知る知恵、は自覚されることはない。自分には知恵がある、と思える人間はいない。知る=知らない事が増える、でもあり。知恵のある人間ほど、自分むの知恵のなさ、を実感することになるのだ。 痴話宇学生の頃からの、知恵×心=一定 であり、心が自覚なら、知恵は自覚出来ないもの、となるのではないか。との疑問が、融けた、ような気分になったものです。 振り返って見ると、自分は頭が良い、とか、自分には知恵がある。などと、人が表現するのは。 それは、そう思いたい、そう思われたい、だけの事であった。と言う事です。 恋愛の話しでしたね。若い内は大変だと思います。 愛は憎悪である、の、東洋思想の猿まね?ニ-チェが手本としたのかどうか? 佛教に その悪魔は言った 00尼よ、そなたはまだ若く美しい、修行、などして何になる。 楽しく生きればいいではないか。恋愛をしなさい、嬉しい事、楽しい事は、いくらもあるのです。 尼僧は答えた 恋愛は実に時を要し、禍が甚だしい。と尊師が言われました。 私は尊師の教えに従い、これから林に入り。独り座ります。 悪魔は、尼は、私の正体を知っている。とうなだれ退散していった。 西洋思想と東洋思想は、 我が子より可愛いものはない。人はその執着するところにより、喜び、が起こる ブッダは答えた 我が子より可愛いものはない。人はその執着するところにより、苦悩が起こる。 というように。大体、反対なのです。恋愛はしない、が一番の結婚観、なのかも。 もう私には、関係ない事ですが。

回答No.8

>恋愛の本質は何だと思いますか? 一時的に理性を覆い隠すことでしょう。 一時的に理性を覆い隠すことが出来ないと、結婚をする男性が激減し、種の保存が難しくなります。 終始一貫して理性が優先する男性は種として淘汰されたわけです。

foosun
質問者

お礼

回答ありがとうございます!

回答No.7

 No.6です。  ★ 自己満足ではなく、もっとわかりやすい言葉でお願いします。  ☆ 《より少なく分かりやすい言葉で》書いてあっても それが《自己満足》だとは分かるのですか?  まったく間違ったことが書いてあるというふうには 読まないのですか?

foosun
質問者

お礼

すいません 過剰に反応してしまいましたorz 「実存」とかの哲学用語を好んで使う人を見ると吐き気がするので。 でも、書いてある事は難しい内容ではなかったです。 回答ありがとうございました。

回答No.6

 こんにちは。  《本質》とは 存在という意味です。  人間の本質つまり存在とは 《生きる》ことです。ほかの人との交通ないし異性との交流をも前提とすれば 《ともに生きる》ことです。  恋愛という交流の本質は 人の存在にまでさかのぼります。  つまり人生の本質と同じです。  言いかえると 恋愛に恋愛そのものとしての《本質》はありません。  交通ないし交際や交流 この道における《実存》のあり方 あるいはそこにおける意志判断 これがあるのみです。それが本質と言えば本質です。  人生で自分の学業や仕事の専門を見つけること あるいは そのとき集団方式か個人形式かなどをえらぶことが 意志による判断をうながし そこで実存の姿勢を決めることになります。それと同じように 恋愛においても相手をえらぶこと・人生の連れ合いとするかなどなどが 実存の形式ないし共存の心構えを表わすことになると考えます。  意志決定およびその意志表示 これが 《その人を社会的にも精神的にもかたちづくる》という意味での実存の問題だと考えます。

foosun
質問者

お礼

自己満足ではなく、もっとわかりやすい言葉でお願いします。

noname#178467
noname#178467
回答No.5

 あなたの知的関心を満足させなくてすみませんが (1)生物としては  子孫繁栄のための生殖行為を促す化学反応でしょう。 (2)人間としては  生殖に隣する性行為(性的快楽を得る)実現のための  二人の人間観の精神的プロセスといえるでしょう。 (3)哲学・倫理としては  人間の性衝動を基礎に展開される営み。明確に激しい  衝動で相手から肉体的かつ精神的快楽を獲得しようと  する「恋」と長期にわたって相手を尊重・尊敬し、  自己のもてるものを与え尽くそうとする「愛」から  成り立ちます。

foosun
質問者

お礼

回答ありがとうございます

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.4

人間の本質を知り、自己の本質を知る。 与えること与えられること、分かち合うことなどの喜びの本質を知り 喜びの原動力の本質を知ることになる。 それ以外の多くを学べる場ですが 人間としての内面的な成長のワンステップの場が、恋愛だと思います。

foosun
質問者

お礼

回答ありがとうございます

回答No.3

概念の解釈ではなく、 シンプルに、 いとおしい と感じる、 感覚、感情 だと、思います。

foosun
質問者

お礼

回答ありがとうございます

回答No.2

「愛」という単語は、性欲から博愛まで、多様な“直感的な他の必要”を包含しており、それを普遍的に定義しようとするのは難しい。 たとえば下記のようになる; 愛:自己の生命の組織(社会)性の認識によって、あらゆる衝動の発現に於ける利己過程に、利他が介在すること。 主として、性別(交配)・親子(生殖)・分業(組織)などに、個体生命の成立に於ける超個体的機能が顕著であるが、認識未だ及ばず、「自己の生存(反エントロピー)」という本質的統一性を、現象上に捕捉し得ない不完全な認識を補う、非認識的に組織化する上での近似的多元的に発達した多様な即物的衝動や他律的常識の集積による、内的矛盾に於て発生する自虐的意識行動に対し、その結果(非認識)的整合(>システム進化)に対する、形骸的概念として、主に性欲・自己顕示欲・虚栄心・偽善などの発現の上に、現象的定義域を持つ。 しかしそれは、この本質としての、生体外情報の処理システムたる認識による、自己の生命システムの組織性の追跡によって意識(必然=宇宙)を共有し、自我を超越するものではなく、近似システム(金・権力etc.)による自我の延長(自由競争)、あるいは歪曲した衝動(イズム)の手段としての自我の相乗(マイホーム主義・愛国心etc.)とでも言うべきものであって、つまり「利己過程に利他が介在する」事によって個体間闘争が回避されるのではなく、集団的に新たな、そして組織的ゆえにより強力で容赦ない、闘争段階の形成へと変形されるに過ぎず、飽くまで常識による常識の為の虚構であって、人を低認識(情動)化して充足減に導く、中毒(近充足)性毒物(非最大充足)に他ならぬ。 そこに於て、究極的に真の愛は、完全なる科学(原理認識による他我)となる。

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