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中島敦 山月記の原稿について
中島敦の山月記が書かれたのは、彼が漢文の教師をしていた女学校の試験の用紙の裏であると聞いたことがありますが、現物はまだ残っているのでしょうか?またその写真などが掲載されている書籍などはあるのでしょうか? ご存知でしたらお教えください。
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noname#245753
回答No.2
申し訳ありません!前回答で「山月記」とした部分は、すべて「名人伝」についてのものです。確認しないまま回答してしまい、失礼しました。 改めて「山月記」についてですが、原稿、草稿などは残っていない様です。 しかし、この作品を含めた四篇が一括して「古譚」と題されており、その中で「木乃伊」「文字禍」の二つが、例の試験用紙ノートに下書きや覚え書きの形で残されているという事ですので、同じ時代に構想された作品であるという可能性はあります。 詳しくは前出の中島敦全集第一巻を参照して下さい。
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noname#245753
回答No.1
横浜高等女学校勤務時代に、生徒の答案用紙を裏返して綴じて作ったノートに、作品の草稿や下書きなどを書いていたという話ですね。 しかし、「山月記」の草稿はその中には無い様で、戦時下の粗悪な原稿用紙に書かれた他作品の草稿の、さらにその裏に書かれているとの事です。決定稿とはだいぶ違ったものですので、読み比べてみると面白いですよ。 筑摩書房の中島敦全集第二巻にそれらの多くがまとめられていますので、詳しくはそちらを。ハードカバーの全集本なので、図書館で探してみて下さい。残念ながら、「山月記」草稿の写真は載っていません。
お礼
早速アドバイスいただきありがとうございました。大変参考になりました。