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人はみな完全/不完全?

いろんな人間観があります 悲観的人間観や楽観的人間観 障害者パフォーマー曰わく 「この世は全員障害者」(私も他のみんなも不完全) タオイズムや禅によると 「すべての人は完璧」(自然からすれば生き物に不全はない、 多少がたついてもそれぞれそういう完璧さだ) 世間の人々はよく 「完璧な人はいない」(みな不全)という (自己不全感をみんな持ってる社会か) あるいは「健常者と障害者とがいる」とか 不完全な人々を出来の良し悪しで分別したり どの、または他のどんな人間観が幸せだと考えますか? (個人的にはタオイズム押し。自己不全感は万障の元、気の毒だから)

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回答No.4

完全に近いが、放射線の影響を修復する能力が不足するのと、体内臓器の寿命を統一出来ない部分において改善の余地があるね。

noname#174066
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 プラグマティックなヒト観と技術で、不老不死を目指すのですね。 理科はタオイズムだと思いましたが、先端科学はいつも野心的です。(欲望と不全感の相乗効果?)

その他の回答 (13)

  • sporespore
  • ベストアンサー率30% (430/1408)
回答No.3

赤ちゃんも赤ちゃんとしては完璧です。見方の違い。 コップに水が50%入っていると「半分も入っている」という人と「半分しか入っていない」という人の違いと思ってます。

noname#174066
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 とらえ方の違いですね。

回答No.2

おはようございます。 本年もどうぞよろしくおねがいします。 まぁこの質問に楽観的に考えると、人間は、 完璧でしょう。 この世に生を受け、息をして、何かを食べ、そ して誰かに会い、誰かと話し、誰かを愛する一連の 人間の基本的なことが、誰しも必然的に与えられます からね。 生まれただけでも、人間は完全なのです。 逆に悲観的に考えると、人間は、不完全ですかね。 まぁこの世に生を受けて、なにか短所、欠点を持ちます。 しかし、その短所、欠点を持ったからこそ、悩み苦しみが生まれます。 でも、それと同時に、幸せ、喜びも生まれます。 この上記のことは、私の持論ですが、私自身は、人間は不完全であり、 あって欲しいものです。 そうでなければ、人間は成長しようという向上心が生まれませんし、きっと 不完全でなければ、人生楽しくありません。 私なんぞ、超不完全な人間ですが、それなりにその不完全なところを 完全にしようと日々努力している次第です。 しかし、その努力の過程で喜怒哀楽を得ることができるので、生きている ことを実感しています。 それこそ、人間のあるまじき姿ではないのでしょうか?

noname#174066
質問者

お礼

おはようございます。回答ありがとうございます。 克己や努力が好きなのですね。幸せそうで、生の実感もあるとか なら、多少不完全でもそういう完全さなのだ と言ってもいいような気がします、べつに言わなくてもいいと思います。 楽観と悲観(完全と不完全)、どちらか一方だけでは、実際からずれた人間観になります、けど もしあまりにも自己不全感が強い場合は、他者にも不完全さを期待したり、依存したり理想化や脱価値化やと大変なので 強めの楽観を言葉として持つのも良いと思いました。 自己をいくらか完全と見なせば、自分病から脱して人や環境のために動けそうですし。 回答を納得しながら読みましたが、文末に「それこそ、人間のあるまじき姿」とあり、たぶんミスだと思いますが、どんでんがえし食らった感じがしてたじろぎました。

  • alterd1953
  • ベストアンサー率20% (239/1173)
回答No.1

私は常により良い自分を求めていますので「不完全派」です。

noname#174066
質問者

お礼

回答ありがとうございます。向上心があるのですね。 不完全派のなかでも、志や努力の有無によって向上組と下降組に分かれそうです。 完全派も生きているので変化はあり、ある完全さから別の完全さに移行できます。

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