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サイパン島での日本軍の最期について

サイパン島で玉砕した日本軍の中で、祖父が所属していた独立守備歩兵第14大隊が最期に戦った場所を探しています。資料のご教示や、問い合わせ先のご紹介などでも結構ですので、ご存知の方よろしくお願いいたします。

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  • k762
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回答No.3

公報が7月18日、サイパン玉砕後の一括処理ですとサイパン島に上陸している公算が大です。 遭難が5月17日米軍上陸が6月15日で約1ヶ月有りますから、海上で戦死された場合は処理されている筈です。 厚生労働省の留守名簿を調べてみては如何でしょうか?

nikohoko
質問者

お礼

度々のご回答ありがとうございます。父の記憶とわずかな情報のみしかなく、こちらで助言を求めました。本当に感謝です。 厚生労働省の留守名簿、調べてみます。

その他の回答 (3)

回答No.4

こんにちは. 私も母方の祖父が,「ニューギニア島で戦死した」と,聞いていました. ご質問者さま同様に,祖父の最後の地など詳しく知りたい思いに駆られ, 資料収集を行いました. その戦時資料収集の体験をお伝えしたいと思います. まず, 厚生労働省・援護局 業務課調査室のある 電話:03-5253-1111(内線3470)に問い合わせてみました. その後文書で下記内容の回答をいただきました. 【厚生労働省・援護課の回答】(抜粋): 『戦没場所の位置等について』 部隊行動等の戦史資料は, 防衛庁防衛研究所図書館に保管されています. 防衛庁防衛研究所図書館 住所:東京都目黒区中目黒2-2-1  電話:03-3792-1093 旧軍人軍属の人事関係資料について. 旧陸軍に在籍された方個人に関する資料は, 終戦(戦没)当時の本籍地を管轄する, 都道府県庁が,旧陸軍より継承しておりますので, 旧陸軍関係の身上についてご紹介される場合には, 都道府県庁担当課宛お問い合わせください. なお,当室では,旧陸軍から引き継がれた昭和20年当時外地にあった部隊に在籍された方の名簿(留守名簿)などを保管していますが,これらの保有個人情報は,プライバシー保護の観点から,ご本人もしくはご遺族にてのみ,身元を確認したうえで,保有個人情報に係る調査依頼に応じております. 当室宛ご紹介される場合には,大変ご面倒ですが,下記の書類を同封のうえ,ご紹介されるようにお願いします. 記 (1):遺族本人であることが証明できる身元確認書類. 住所の確認できる健康保険証・運転免許証などの写し. (2):遺族本人の住民票の写し, 開示請求する日前30日以内に作成されたもの (3)遺族であることが確認できる除籍謄本などの書類. 以上. そこで祖父の下記の『軍歴等の保存資料開示発行申請書』を作成し送付しました. 【申請理由】: 私は前大戦で戦死した,○○(氏名)の,○○(血縁関係)にあたりますが, 先祖祭祀に当たり,その者の軍歴関係の詳細な情報を収集しています. 国で保存されている○○(氏名)に関するすべての資料の開示請求をお願いします. 送付資料は以下のとおりです. (1):申請者本人を確認できる資料:運転免許証など (2):申請者本人の住民票の写し. (3):戦死者の筆頭の除籍謄本. (4):申請者自身の戸籍謄本. (5):戦死者と申請者の血縁を証明するための,除籍・戸籍謄本一式. このような形式で必要書類を添付して送りました. なお回答にもありましたように, 各戦死者の当時の戸籍が存在した県に, 個々人の戦歴情報が保存されているとあったので, 該当する県庁に問い合わせると, 同じような書類の提出を求められました. 『感想』 あくまでも詳細な資料とは思われる資料はありませんでした. 戦没地点も「適当に書かれた」との印象は拭い去ることはできません. 戦局の悪化で,敗走中の部隊では止むを得なかったものと充分推察できます. また個人の転戦記録となると,多くの場合 「戦後処理として書き加えられた」と考えられる有様です. それを示す「遺族申請書類が採用されて完成された」 「遺族に自己納得させた」と思える文書が残されていました. このような有様の公式文書ですから, 今となっては遺骨が残された場所の特定は, 遺骨に個人を特定できる金属の軍票などが 一緒に残されていなければ絶対に不可能と思いました. サイパン島は米国自治領ですので,地図など入手できますが, ニューギニア島は,領事館に地図の存在を確認しましたが, 「無い」と返事を伺いました. そこで『Google Earth』を使い,衛星画像から, 祖父の戦没地点を丹念に探し,どうにかみいだしました. 戦没地情報は公文書:戦死公報の位置です. 担当部署と連絡取り合って悲惨な資料が収集できましたが, 祖父のいや外地で亡くなった多くの軍属の悔しさが, 実感できたように感じます….それが今でも心に残っています. また自宅で保管されていた歴史的資料: 『戦死公報』及び『弔慰金裁定通知書』を画像で掲載します. 弔慰金は5万円と記載されています. 私の回答した関連質問もお読みください. ニューギニア戦線と蛍: http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4747668.html この私の冗長な投稿文が, ご質問者さまの参考の一助になることを祈っています.

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nikohoko
質問者

お礼

同じようなご経験をお持ちの方からご回答いただき、とても参考になりました。先の方に留守名簿のことを教えていただきましたので、厚生労働省に問い合わせし、調査依頼の準備をはじめております。ありがとうございました。

回答No.2

 独立守備歩兵第14大隊(独立歩兵第318大隊)について回答No.1は要を得ていますが、手元に史料がありますので重複するかと思いますが記しておきます。参考となれば幸いです。  第14大隊(満洲第370部隊)は、長く中国東北部(旧満洲国)北安省孫呉において国境警備に従事していましたが、1944年(昭和19)4月1日太平洋方面のセントアンドリュー諸島配備のために第9派遣隊(兵団文字符:昭)(編成:派遣隊本部・独立守備歩兵大隊三個)の編成が下令され、大隊長後藤十郎大佐以下629名は同隊に編入するため北安へ移動し、同月11日鉄道にて釜山着。目的地をヤップ島へ変更し14日釜山出港、16日神戸に上陸後18日輸送船「日和丸」に乗船し神戸出港し、館山沖着。輸送船内にて待機後、5月4日出港し、那覇、台湾ルソンを経て同月14日サイパン島上陸。16日同島を出発後翌17日グァム島沖において潜水艦の魚雷攻撃により大隊長以下約百数十名及び兵器大部が海没したため、生存者はサイパン島に上陸し、同島東部タロホホ国民学校(現:キングフィッシャーゴルフリンクスの南)に宿泊し戦力(負傷者の治療と兵器の補充)の回復に努めた。同月22日同島の第1派遣隊を基幹として独立混成第47旅団(兵団文字符:備)編成に伴い、第14大隊は他守備大隊の生存者とともに独立歩兵第318大隊と改編改称し、大隊長宮下亀治大尉(のち少佐)が着任、通称号を「備第17532部隊」とし、爾後同地区にて陣地構築に従事す。同年6月15日米軍は同島南西部オレアイ、チャランカノア海岸一帯に上陸を開始、旅団長岡大佐は、大隊に対して上陸を迎撃するために前記海岸地帯への進出を下令し、大隊はヒナシス丘陵地帯にて有力な米軍と交戦したが次第に包囲されたためタッポーチョ山へ後退して抵抗を続けた。  すでに回答No.1の方が書かれたとおり、同部隊は本来はヤップ島配備だったのと、途中で部隊長以下人員と兵器を失い、ヤップ移動の準備をしていたところに米軍の上陸が予想されたため、他部隊から転任した新大隊長の下、やむなく異なる部隊を主力とする新部隊に編入されて慣れない戦場へ増援されるという実に不本意な戦いの末殆どの兵士が戦没しています。おそらくタッポチョー山の戦いで大部が倒れたと思われますが、生き残りは最北のマッピ岬で最後の戦いをしたかもしれません。  残念ながら、サイパンで戦った部隊の中では最も記録に乏しい部隊のひとつであると思います。    

nikohoko
質問者

お礼

ご丁寧な回答をいただきまして、ありがとうございました。 7月18日に戦死したとの通知があったそうです。激戦が続いた中で、正確なものなのかわかりませんが、この日付が正しければ、タッポチョー山の戦い以降に戦死した可能性が高いように思えます。 父は当初、船が沈んで亡くなったという話を聞かされていたようなので、いただいたご回答をもとにこちらも調べてみようと思います。 重ね重ねありがとうございました。

  • k762
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回答No.1

独守歩14大隊は第9派遣隊の一部としてヤップ島進出の為前進中、5月17日グアム島付近で潜水艦に撃沈され救助された兵はサイパンに上陸しました。 大隊長以下百数十名と兵器の大部分を失った大隊は同時に遭難した独守歩28大隊と共に独立歩兵318大隊を編成し独混47旅団に編入されています。 米軍上陸後独混47旅はヒナシスからドンニイ付近に後退する間に戦力の大部分を失い6月18日現在で戦力は歩兵半個大隊に過ぎずドンニイからタポーチョ付近で全滅したものと思います。 集成大隊の為詳しい事は不明の様です。 参考書籍 防衛庁防衛研修所戦史室 戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦(1)マリアナ玉砕まで

nikohoko
質問者

お礼

早々にご回答いただきありがとうございます。わかりやすく解説していただきとても参考になりました。 海で眠っている可能性もあるのですね。この撃沈された戦艦(輸送艦でしょうか?)の名称もご存知でしたら教えていただけますでしょうか。 ご紹介いただいた参考書籍も探してみます。本当にありがとうございました。