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宗教犯罪の拘禁についてその苛烈さを教えてください。
宗教犯罪の苛烈さはどのようなものなのか。知りたい。 その趣旨は。 人権憲法のよりどころとする人道主義において。 批判されるその宗教裁判宗教犯罪への苛烈さを知り。 どこに問題がありそして。どうしたら。 信仰者側からの解決ができるのかを考えたいから。
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- Him-hymn
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宗教犯罪とは。 宗教の側から罪として罰すること。 そういう場合もあるし、そうでない場合もありますので、この文は正しいと思えません。 ★迫害は、貴殿の言われる宗教によってもたらされる場合もありますが、政治によってもたらされる場合もあります。キリスト教の迫害は、聖書の中では、パリサイ派のユダヤ人によるものが描かれていますが、その後の時代で、ローマ皇帝ネロが、ローマの大火をキリスト教のせいにし、かつ、失政を取り消す目論みも働いて、ローマ時代の大迫害となったとされています。東欧においても、中国においても、旧ソビエト連邦においても、無宗教の唯物論、共産革命、社会主義革命の敵だとして、宗教弾圧が起こりました。今でも北朝鮮では弾圧が続いています。 日本でも戦中にはキリスト教と共産主義が迫害されました。小林多喜二の拷問死、ホーリネス教団の迫害などは有名ですね。鬼畜英米に組する宗教だとか、天皇制を否定するものだとか、いろいろなことを言ってつぎつぎと投獄していきました。獄中死した人たちが少なからずいます。そして、傷ついた遺体が教会に送り返されるーーということもありました。
- Him-hymn
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現代においても、あちこちで人権を蹂躙するような宗教「犯罪」の拘禁や処刑があります。 こういう問題は、普通外に現れません。そこで、各種団体が調査をして、情報が来るわけで、誰にも知られずに人権侵害はなはだしい拘禁・処刑が行われていると考えられます。 従って、どのようなものかを知るには、そういう団体からの情報を得ることになります。 ↓有名な団体としては、アムネスティー・インターナショナルがあります。 http://www.amnesty.or.jp/ http://www.amnesty.com/ ↓また、キリスト教系では、そういう困難な地域に聖書を運ぶOpen Doorsなどもあります。 http://www.opendoors.org/ なお、中国の家の教会と言われるクリスチャンたちは、政府の方針にくみしないため迫害を受けていますが、自分たちは神さま以外の援助は必用ないとして、アムネスティーからの援助を拒否しています 以上、ご参考になればと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 簡単に結論を書きます。 人権憲法は。 破棄されるべき。 では。 信仰者側からの解答は。 その人権主義の。 反宗教性を正し。 信仰のための正義の裁判をなすべきであり。 刑事手続きにおいても。 信仰のための正義の手続きを行うもの。 そのためには。 しっかりとした。 信仰の謙虚な反省と。 信仰への。 強い意志が必要である。 なんのためでない。 功利主義の。 全体幸福最小苦痛という。 公式。 では。 尊い。 御言葉という。 偉大な主の掟を。 行うことはできない。 したがって。 すべて。 信仰のためのものとして。 刷新されなければ。 人権憲法下の法制はすべて。 反宗教法でしかないのである。 すなわち。 裁判員裁判において。 殺人罪を死刑としないことは。 その人間の作ったルールに従うもので。 不義をおかすことになる。 法律は。 すべて。 偉大な主の御顔を求めて。 定められる必要があり。 その根本はすべて。 偉大な主への帰依でなければならないのである。 功利主義は。 たんに人間欲望の最大化をはかるに過ぎず。 信仰という正しい結論を。 得ることはできないのである。 したがって。 法として。 あるべきは。 信仰のための規範であり。 人間の欲望をはかるルールは。 ただの反宗教法を。 行っているにすぎない。 人権憲法は。 その動機を。 問われて。 人間の欲望の最大化をはかる。 功利主義の帰結として。 信仰の逸脱をまねく。 現代社会では。 不信仰を。 助長する。 さあ。 本当の。 人間にかされた掟を。 さあ。 本当に信仰のなる社会を。 人権憲法という。 体制下では。 どうしたって。 信仰を。 求める者は。 その信仰とは離れたルールを。 まのあたりにする。 しかし。 私は。 政治革命を意図しない。 なぜならば。 ここは日本という不信仰の国だから。 信仰がようやく広まって。 信仰こそ。 すべてをなすゆえと知るならば。 ようやく。 その時。 権力基盤は。 信仰の目覚めをして。 自己変革を促すから。 いたずらに。 武器や力を求めて。 画策するのは。 信仰とは遠いところにあって。 現世を愛し。 不満ばかり口にする。 信仰浅い。 愚か者が好むことだから。 ああ。 信仰者は。 忍耐して。 この日本において。 静かに。 祈りつくす。 そういう人生を。 すごさなければならない。 感謝感謝で。 豊かな国で。 信仰できる。 御慈悲。 恵み。 そして。 あふれる。 よろこび。 その今この国で信仰をできる。 信仰者はそこに重きを置く。 革命はどうでもいい。 それた政治理論家の浅はかな願望に陥ってはならないのである。 さあ。 信仰こそ。 すべてのあるゆえ。 信仰こそ。 人間の行うもと。 信仰こそ。 裁きの源泉。 信仰なき。 社会は。 なんと。 空疎な。 欲望勘定の。 迷走した。 社会か。 正しく信仰をすれば。 完全な解答を得て。 実り多い。 社会を得ることができよう。 ああ。 信仰こそ。 信仰こそ。 信仰こそ。 人権にとってかわる大きな。 社会共通行動。 いうならば。 ともにあるあり方。
補足
お返事遅くなりすみません。 宗教迫害はいまわしい。 宗教弾圧はいまわしい。 宗教犯罪とは。 宗教の側から罪として罰すること。 その苛烈さが人権擁護者から批判されます。 しかし。 私が問題にしたいのは。 その罰と罪が。 正しく信仰よりでたものかということです。 結局。 その社会権力者が。 行った。刑罰が。 正しく。 まずは。 本当の信仰にかなうものかが吟味されなければならないのです。 しかし。 多くの現代を含めて社会のありようは。 信仰とは完全には一致しません。 信仰というなさなければならない義務に向けた努力がまさに信仰であるので。 したがって。 まず。 当時の宗教をなしていた人々の信仰からの逸脱かが問題にされなければなりません。 しかし。人権擁護者は宗教が野蛮で非人道的だと批判しているのではないのでしょうか。 重ねて。 聖書が。 憐れみを欠いたものか。 否。 すなわち。 人道主義はもろくもその批判のやりをくじかれることになるのです。 正しくは。 社会情勢の変転は悲しき結果人権擁護者の空疎な勝利という障害をもたらし宗教排除の権力を握りらせたのです。 信仰は少しもぐらつかずに。 信仰者は少しも信仰を失わずに。 ただ。 社会権力が。 不信仰の論理を好む者により乗っ取られたと言うまでなのです。 どうでしょうか。 現時点での結論は以上のようになりますが。 調べものをしてからと思いお礼を控えていました。 しかし。 あまり日がたってしまい。 現状での結論をひとまず書かせていただきます。
お礼
教えてくださりありがとうございます。 回答は。多くを教えて。 多くを学んだ。 さあ。 みなさまに。 ひとつの提案を。 もし。 人権でないならば。 どういう権利と義務の体系を望むのか。 ききたい。 どういう。 法律を望むのか。 どういう社会を望むのか。 調べれば。 多く知って。 また。 学ぶところがある。 しかし。 本当の信仰なしには。 ただの。 こころ汚す。 ごみでしかない。 ああ。 信仰こそ。 すべてのため。 信仰こそ。 すべてのあるゆえ。