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宗教の存在意義とは?
- 宗教の存在意義について考えると、一つの理念に基づいた信仰を持つことで社会の秩序を維持し、人々の行動を制約する効果があると言えます。
- 宗教は個人の信仰や精神性を形成し、心の安定や生活の意味づけを提供する役割も果たしています。
- また、宗教は文化や伝統の一部として存在し、人々のつながりや共同体の形成にも貢献しています。
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”皆が熱心に一つのことを信じていたら無茶なことをする人が 全くとは言いませんが減るのではと考えています” ↑ 宗教の効用の一つとして、かかる社会秩序維持てのが あり、イスラムや欧米などは積極的に利用しています。 新渡戸稲造の武士道。 「お国では宗教教育をしていないと聞きましたがホントですか?」 「ホントです」 「おー、それではどうやって子供達に道徳を教えることができるのでしょう?」 「我が国には武士道があります」 宗教は、道徳を内面化できる力があります。 逆に、内面化できないと道徳はあまり効力を持ちません。 ”歴史の浅い創価学会を取り上げましたが、私たち日本人 が大昔から信仰してきた仏教だとどうなりますか?” ↑ 創価学会は仏教ですよ。 日本制服を企んでいるかは知りませんが、政界、財界、司法界 に多数の信者を送り込んでいることは確かです。 ”現在ほとんど宗教に触れないような人でも宗教が文化と化して 知らないうちに教えに従うようなことはしていないでしょうか” ↑ 人間は皆、知らないうちに教えに従っています。 例えば、質問者さんは遺体を生ゴミとして扱えますか。 遺体などはタダの肉と骨の塊です。 それをゴミとして扱える人は精神に異常がある人でしょう。 人間は何かしら、宗教的感情に従っているのです。 ”宗教が必要なのかそうでないのか、あったらあったで 良いものなのか悪いものか本当にわからなくなります。” ↑ 宗教には良い面も悪い面もあります。 それを自分なりに理解して、比較すればよいと思います。 良い面は前述したように、道徳を内面化できることです。 悪い面は、これは説明するまでもないでしょう。 キリスト教、とくにプロテスタントが資本主義の発達を もたらせた、と言われています。 西欧で科学技術が発達したのは、キリスト教の影響だとも 言われています。 神の神秘を解き明かそうとする、狂おしいほどの情熱が 科学を進歩させた、というのです。 日本の勿体ない、という思想は経済的効率性をうたった ものではありません。 万物には魂が宿っているから、粗末にするな、という 宗教的戒めです。 ”世の中どう見極めて進んでいくといいですか?” ↑ 良い機会ですから、宗教の勉強をしたらいかがですか。 宗教がイヤなら哲学でも結構です。 西洋哲学は、キリスト教に起因しています。 神が人間を創った。 なぜ創ったのだ? 意味があるに違いない。 人間存在とは一体何なのだ、というところから 哲学が生まれたのです。
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>現在ほとんど宗教に触れないような人でも宗教が文化と化して知らないうちに教えに従うようなことはしていないでしょうか? 日本では多くの場合葬式は仏式ですし、クリスマスもお盆も宗教由来の行事です。大晦日には寺で除夜の鐘を叩き、元日には神社でお参りします。こうした宗教由来の行事に参加したからといって、ただちにその教義にまで染まってしまうということはありません。また、「自由平等」の精神はキリスト教、「自然への畏敬」は神道が由来ですが、今日ではそれらは一般的な社会規範であり、「宗教的で危険」と考える人はいないでしょう。例え宗教的な要素があるものでも、それがご自身の道徳や良心に背くものでないなら、問題はないのではないでしょうか。 >宗教が必要なのかそうでないのか? 日本では、お腹が減ればコンビニに、風邪を引けば病院に、事故に遭えば警察にいくことができます。しかし、このような国は実は非常に稀です。政情不安な国に生まれ、家も食糧もなく、家族も亡くし、死体と地雷にまみれた地でただ死を待つだけの人々が、世界には大勢います。そのような状況にある人々が最後に取れる手段は「神に祈る」ことだけです。 また貧富によらず、突然の病気や家族の不幸など、自分自身ではどうしようもない事態に直面したとき、多くの人は信仰の有無にかかわらず、神に祈ります。hemsch1751様も、例え特定の信仰を持っていなくても、神様に祈らずにはいられなかったことはあるのではないですか? 宗教が必要かどうか以前に、人間は神様に祈らずには生きていけません。(例え、それがどんなに無意味なことでも) 無論、そこに付け込んで、偏った教義を押し付けようとする宗教団体は多数存在します。(学会がそうなのかはここでは言及しません) 大切なのは、貴方自身の道徳と良心をしっかり持つことです。 私自身も無宗教ですが、神話を読んだり、いろいろな宗教について調べるのは結構面白いですよ。 まずは、軽い気持ちで理解を深めてみてはどうでしょうか?
- 雪中庵(@psytex)
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宗教が必要とされるのは; 1.人の力で何とかなる範囲をこえた現象に対して、それでも 何とかしようとするため(祈り)の対象。 2.世界の始まりや死後のことなど、人の知恵では理解できない ものを、何とか意味づけて安心するため。 3.社会性の発達に、意識の社会生命的自覚(愛)がついていけず 自己チュー化するのを、他律的にコントロール(モラル)するため。 生物の進化においては、擬態のように、1次的な合理性とは異なる、 2次的な必要(嘘も方便)が有効で、発達する事が少なくありません。 1や2に関して言えば、中世まで宗教は科学であったところ、 科学の発達において宗教的世界観と背反し、対立し始めたのです。 そして、科学がどんどん発達するにつれ、宗教に対する信心が 限定的になり、3のモラルの低下につながっている、ていう。
- skypee
- ベストアンサー率26% (21/80)
創価学会の問題点は、信者に「これが正しい」という価値観を強烈に植えつけてしまうことで、当然排他的な考えも強くなります。(というか、他の信仰の批判、否定も同時に強く植え込みます)もちろん、どれだけ熱心かは人それぞれです。 企業との繋がりは私は分りませんが、大手メディアは批判できない程の権力を持っているのは事実ですし、熱心な信者はそういう悪い意味での「強さ」を「この信仰が正しい証拠」というようにおかしな理解をしてしまいます。 ですから、優位な立場や断り難い人間関係を利用したり、嘘をついてでも学会のための活動(選挙のお願いや勧誘等)をしてしまいます。 もっと問題なのは、もちろん全員ではありませんが、「この信仰が絶対に人を幸せにする」と本気で信じる熱心な信者(狂信者)が、人を雇用する立場、人を裁く立場、法を作る立場などに就いた場合、学会員をひいき、優遇するようなことが起きてしまうということです。事実、今まで政界や法曹界などの権力の中枢に学会員を積極的に送り込んできました。 「創価学会が絶対に正しい」「学会員は絶対に正しい」などと真剣に考える人が社会で重要な立場において公平で冷静な判断などできるわけがありません。彼らは真剣に「この信仰で皆が幸せになる」と思い、活動しているのですから、そのためには「手段は選ばない」というような狂信者が必ず生まれてしまいます。 (創価学会はもちろん宗教ではありませんが)宗教団体が教団内で独自の世界や価値観を信者に植え込むということは非常に危険です。 オウム事件を見て解るように、「宗教法人」が全て「宗教」ではないということです。まともな宗教や信仰は必ずしも宗教法人であったり、集団であったりする必要はありませんが、生きることに役立つものです。そして、「なぜ生きる?」「死後の世界は?」などの答えをズバっと教え、信者を教団に依存させ(弱くする)るものではなく、生きるヒントを与え、学ぶことや考えることで人を(良い意味で)強くするものです。
- alterd1953
- ベストアンサー率20% (239/1173)
フロイトだったかマルクスだったか忘れましたが 宗教を評して言った言葉に「宗教は大衆のアヘンである」というのがありました。 私は大変納得しました。 また、元はキルケゴールの言葉らしいですが、ニーチェが取り上げた 「キリスト教はルサンチマン(弱者の強者に対する怨恨)によって作られた」 にも納得します。 生きることには病気、貧困、差別等様々な困難が存在します。 また、幸せになりたいという強い願望もあるでしょう。 それらを癒したり、叶えたりする為に宗教は存在するのでしょう。 私は全くの幻想だと思っておりますが それらの人を止めるわけにはいきません。 止めるどころか、へたすると勧誘されます。 それと、宗教系の企業について仰ってますが 企業どころか国家の名において宗教を原因とする戦争が 古今東西続いております。 全く避けて通るのは不可能だと思います。 中東に較べれば日本はまだずっとましです。 ご自分に最低限必要な物だけを買って (作っている企業は気にしないで、そんなことしてたらきりがないです) 宗教に頼らず生きていかれることを強くお薦め致します。
- guchiguchi2
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宗教団体が人々をがんじがらめにし、同じような個性の団体にしてしまったら、それは間違っています。オウムの事件があったので、余計怖いのかも知れません。 創価学会は仏教を信仰しています。 仏教の中にも正邪があり、学ぶ価値は十分あります。 歴史が浅いどころではありません。 週間誌などの悪口はお金を出して読むものではありません。悪口ほど儲かる商売はないからです。 宗教が必要かどうか? 信じることが必要かどうか?に置き換えてみましょう。 人間は信じているから行動することができる。 例えば人間関係でも、こうしたら喜ばれる、こう言ったら笑ってくれると信じているから行動できる。そうじゃないかな? だから正しい宗教であることが大事なんだ。正しいものは2つはないんだよ。 正しい教えとはなにか? 頭で考え理解出来てしまったならば宗教の意味がありません。常に人生と同時進行です。 世の中の見極めに悩んでいるようですが、何かありましたか? まず、誰が考えても非常識である事を寄せ付けないのは基本で、それでも理不尽な目に合うことがあると思います。 貴方の個性を十分に発揮し、最大に活用できるよう応援しています。
- rikukoro2
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宗教の成立 1.原始宗教 人間が自然界において分からない事を神と認識することにより不安を解決 その為初期成立の原始宗教は多神教 2.一神教 その神という認識を政治に利用する事により民主をマインドコントロールする 基本宗教と政治は切って切り離せません。 >皆が熱心に一つのことを信じていたら無茶なことをする人が全くとは言いませんが減るのではと考えています。 不可能ですね。宗教と利害関係は密接な関係があるため、宗教はある程度大きくなると利権争いにより分裂します。 キリスト、イスラム、ユダヤ教は根本は一緒ということを忘れてはいけません >例えばこの製品を買えば自動的に宗教団体の活動資金に間接的 正直それは避けられません。 どうしても政治と宗教は密接な関係にある以上どうしてもそうなります。 マスコミだってそうです。 例えばラジオで有名な『文化放送』だってそうです。 これはカトリック布教を目的に、聖パウロ修道会が1951年に設立した、財団法人日本文化放送協会(略称 NCB)が前身。経営上の内紛を経て、1956年、現在の株式会社に改組。聖パウロ修道会は、2012年現在も、文化放送の筆頭株主です。 そしてこの文化放送がニッポン放送と共同でフジテレビジョンを設立しています
- multiface
- ベストアンサー率36% (308/834)
まあ、元々宗教というのは魂や心の救済を目的にしています。 死後であったり現世であったりと形は様々ですが、心の平穏を保つための一方法です。 あった方がよいか、それともなくてもよいかは、人それぞれです。 無宗教という人はいても、宗教的なものに全く接していないという人はおそらく極めて少ないと思います。 厳密に考えれば、クリスマスやバレンタインデー、お正月だって宗教的です。 あなた自身に宗教が必要かどうかは考え方の問題なので、どうしたいのかをあなた自身の考えで表現し、行動できればよいと思います。