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イスラム文化の停滞とは?
- イスラム文化はなぜ停滞したのか?ヨーロッパの中世におけるキリスト教の圧力が影響している可能性がある。
- イスラム文化は一時は発展しましたが、ヨーロッパのルネッサンスによって取り戻され、停滞する結果となりました。
- イスラム教の重みがイスラム文化の停滞に影響しているのか、ルネッサンスが必要なのかについて考えます。
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そうなんです。私もそれをよく考えることがあります。 四大文明のうち二つはイスラムです。そのイスラムが落ちぶれてしまった。 やはり宗教でしょう。宗教の束縛が強いとダメなんでしょうね。 その点産業革命を果たし、七つの海を制覇したイギリスは宗教の束縛がカトリックより緩いプロテスタントだったことが幸いしたようです。 もっと日本人のように不信心になることです。はっきり言うと宗教なんてものは冠婚葬祭プラスアルファでよろしい。悩める人が一時的に避難する程度でよろしい。 多少の宗教心を持つのは結構です。神を信じない尊大な人間より、自分の非力を知る謙虚な人間である方が良いですから多少の宗教心は必要でしょう。 イスラムの異常な宗教への依存心はマイナスです。 いつイスラムがそれに気付くか。気付けばイスラムはまた飛躍するでしょう。 女性にベールを義務付けるなんて非合理な戒律があるうちはダメです。 女性の力を活用していない。損をしていると思います。 >イスラムでもルネッサンスが必要なのでしょうか? ルネッサンスはキリスト教の圧迫に対する反逆だったようですが、まあ確かに文化上の反逆なら平和的でいいですね。賛成します。イスラムは聖戦とか自爆とか暴力的です。まずは文化上の反逆、すなわちルネッサンスがいいでしょう。
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- 安房 与太郎(@bilda)
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イスラム・ルネサンス考 ~ わたしの過去回答より ~ …… イスラム文化も、ペルシア・ルネサンスを生みましたが、産業革 命を経験しなかったので、今日の経済格差に追いこまれました。 http://okwave.jp/qa/q5170483.html (No.3 20090801) 不易流行 ~ 復興なき進化の概念 ~ …… イスラム教徒は、一日に五回もお祈りするので、産業革命に乗り 遅れたのではないか。しかるに、産業革命発祥のイギリス人は、一日に 数回お茶のために手を休める。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080712 ハロッズ ~ 英紅茶道入門 ~ …… イランでは、ペルシア文学に謳われるアルコールを「学問芸術の 比喩」だと教えています。ペルシア・ルネサンスが衰退した原因を酒の せいにするのは、あながち曲釈ではないかもしれません。(20050118) http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020226 さらば、ニコチン …… わたしの印象では、西欧のキリスト教徒だけがルネサンスと産業 革命を経験したので「5:5」。イスラム文化圏でペルシャ・ルネサンス は開花しましたが、産業革命は興らなかったので「3:7」あたりかな。 http://q.hatena.ne.jp/1105858830 (20050117) 全員集合! はてなアパート“なんで会”のお知らせです。 …… 「そもそも、ユダヤ教との癒着が原因だ、アウシュヴィッツへの 謝罪やイスラエル建国に、イスラム教徒の不満が暴発したんだ。現代人 の老化と文明の疲労だな(略)イスラム教徒は、ペルシア・ルネサンス を開花させたが、いまだ産業革命を経験していないのだ」と持論をぶつ。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051110 (20010920) 西洋講談 ~ 現代人の老化と文明の疲労 ~ …… イスラム圏の諺「昨日の自分と同じ今日の自分では意味がない」 http://q.hatena.ne.jp/1228309194#a876817 (20081204) Another Tomorrow ~ さまざまの明日 ~ 課題と補足 ~ 知恵と技術の融和 ~ 旧約聖書は、ギリシャの繁栄によって、いったん忘れられたそうだ。 しかしながら、大部分がギリシャ語に翻訳されていたため、のちのち もとのヘブライ語に戻訳できたという。 おなじくキリスト教の文明も、中世の闇に覆われた時期がつづいた。 しかしながら、数学や科学において、イスラムの、とくにペルシャに おける文芸復興によって、進化の空白を免れたともいう。 その代表的な成果には、インド起源とされる「ゼロの発見」があり、 春分を捕捉する太陽暦「ジャーラリー暦」の試みがあった。近年の傾向 は「コーラン」に拘束されない「地域共存社会」の思想に注目すべきか。 現代の、イスラム教・イスラム教徒・イスラム主義に対する憎悪は、 キリスト教国家とユダヤ教国家との連帯による。宗教的習俗の対立より、 経済的格差が原因だが、公平な情報が、きわめて乏しい。(20121121)
お礼
回答ありがとうございました。 <イスラム文化も、ペルシア・ルネサンスを生みましたが、産業革 命を経験しなかったので、今日の経済格差に追いこまれました。> ですね。 まことに不勉強でして、 <ペルシア・ルネサンス> を、ここで初めて知りました。 <イスラム教徒は、一日に五回もお祈りするので、産業革命に乗り 遅れた> ということも、要因として考えられるのですね。
- hekiyu
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衰えたのはイスラムだけではなくて、中華文明も 衰えました。 衰えたというよりも、西欧の発展により差をつけられた ということでしょう。 私は、これは国民国家の樹立が遅れたからだと思っています。 西欧はルターの宗教改革により、国民国家の樹立にいち早く 成功しました。 つまり、国家というのは、今までは王侯貴族だけのもので あったのですが、庶民にも国民意識を持たせることが出来た ということです。 だから、西欧は国民一丸の体勢が整えられたのです。 これに対して、イスラムや中国は、この体勢が整えられま せんでした。 アジアでこの国民国家樹立に最初に成功したのが日本です。 そのため、中国は日本に大きく遅れをとりました。 中国などは、大正時代になっても、日本に留学するほどの 学生ですら、中国人という意識は持っていませんでした。 皆、上海人、北京人です。 イスラムも同じであったのでしょう。 英国が、民族、歴史、宗教を無視して勝手に国境を引いて しまった、ということもありますが イスラムは、今でも民族間、宗教間での争いが絶えません。 イラクなどはその代表格です。
お礼
回答ありがとうございました。 そもそも、 <衰えたというよりも、西欧の発展により差をつけられた> ということですね。 それは、 <国民国家の樹立が遅れたから> なのですね。西洋では、 <庶民にも国民意識を持たせることが出来た> ためですね。 質問・20世紀でもお世話になりました。
- Verhalten
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良く勉強していますね。 15世紀~17世紀。 大航海時代になると貿易で潤っていたイスラム国家は疲弊ほ色を見せはじめます。 (シルクロードの都市や国家) 17世紀は科学革命の時代と言われています。 ケプラーやガリレオニュートンの時代です。科学で決定的な遅れを取る事になります。 18世紀になると産業革命が起きます。 科学、技術で遅れをとっていたイスラムは、経済面、軍事面でも明らかな遅れを見せはじめたのです。 19世紀になると帝国主義、植民地主義が起きます。 非イスラム主義(アラブ人は劣る人種であると言う思想)が広がり根強く思想に残るのです。 むしろ、オスマン朝が隆盛を極め、高い税率をかけ始めた事が 大航海時代の幕開けとなり、シルクロードの都市や国家が消滅していったと言ってもいいでしょう。 昨今になり、シルクロードの都市国家やイスラム文化が見直されはじめ、 仏教文化や仏教美術なども見直されはじめています。
お礼
回答ありがとうございました。 <オスマン朝が隆盛を極め、高い税率をかけ始めた事が 大航海時代の幕開けとなり、シルクロードの都市や国家が消滅していった> ということですね。 文明・文化の質問でも、お世話になりました。
- moto_koukousei
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「文化が形成される」「文化が花開く」「文化が発展する」「文化が停滞する」「文化が衰退する」のような表現をする場合、何を見ているのかというと、その文化を担っている社会が活気を呈するか、人口が増大し、経済域が拡大し、次々と新規のものが取り入れられ等でしょう。 ギリシャとインド、オリエントメソポタミア、中国、中南米、あるいはローマ、ゲルマンなどの文化でも盛衰はあります。文化の種別や内容そのものや、宗教の教義などとは、文化の発展盛衰とは基本的には関係がないのだと思います。 気候風土地理的条件とかがその社会の盛衰に大きな影響をもたらし、各地域の社会を結びつける交易の量や方法、抗争や戦闘での優劣、あるいは疾病や何かの事情による人口変動も、ある地域にある社会の盛衰には大きな影響を与えます。 特に、版図を広域に広げ多くの民族を内部に抱え交易を盛んにし文明も発展させた社会は、他の文化にも許容的で積極的に取り入れることが多いです。ローマ帝国、唐、モンゴル帝国、オスマン帝国、大英帝国などでもだいたいそうでしょう。 版図を広げられなくなった状態で長期間いると、内部での抗争や権力継承に関わるごたごたが増加し、衰退が生じます。 文化の担い手が意欲旺盛、やる気に満ちていると、さらなる文化が発展するようです。意欲ややる気が無制限に開かれていれば、次々と新しいものを生み出す傾向が続き、従来のものを脱皮するような新しい動きを持続します。意欲はあっても、開かれているのではなくて、あることの完成度や充実度を上げる方向になってしまうと、やがて衰退に向かいます。 社会が発展変化する状況だと、文化の担い手にも新しいセンスや価値感、志向性、問題意識を持ったものが参入してきて、従来からの担い手にはなかったものがでて来ます。 同じ状況で持続するような社会状況だと、従来の権威の子弟が従来文化を踏襲するような状況になり、正統であるかどうかを強く問題にする傾向が強まります。正統なものと異なるセンスや価値感、志向性、問題意識を持ったものは、参入しても評価が得られないで、結果的に細部が特殊化しても発展はしなくなります。持続する社会は、固定化に向かう社会であり、階層の固定化や社会内での細分化が進み、文化の担い手や文化の享受者の変化も起きなくなります。 イスラム諸国が発展拡大途上にある中では、イスラム文化圏も大いに隆盛し、イスラム文化もめざましい成果を生みます。イスラム社会が発展拡張を止めれば、もう大きな発展はしません。 北イタリアでのルネッサンスも、東西交易などの経済活動ので人事交流も盛んになり、猥雑さと活気が経済的裏付けを得たことによって、新興の関心者をうみ、それに価値を見いだした経済的パトロンがバックアップしたことによって進んだものです。 社会が経済的に隆盛になると共に他の文化圏との交流・交雑も盛んになり、新しい視点で関与しチャレンジする者が増えし、パトロンがこれを支えるような社会になることが、文化の停滞を打破し、発展を続ける上では大切でしょう。 「イスラム教の重みが悪影響しているのでしょうか?」「イスラムでもルネッサンスが必要なのでしょうか?」 問題認識のポイントがわかりません。宗教の教義や指導者の見解は、社会が流動化すれば変わります。社会が発展できず逼塞の方向に向かえば、正統さや神聖さ、道徳規律を求めるものの、新しいものを生み出す力は出せません。社会が逼塞すれば、どう頑張ってもルネッサンスは起きません。(ルネサンスはただの復古ではないのです) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 回答者No.1の方の意見は、それはそれでもっともだと思います。 ですが、「文化の隆盛」の(熱やエネルギーの放出が盛んかどうか)ということだけを考えると、少し観点を変えて見た方が良いと思いましたので、上記の回答をしました。
お礼
回答ありがとうございました。 別な視点で説明していただきました。 文化が発展するということは、 <何を見ているのかというと、その文化を担っている社会が活気を呈するか、人口が増大し、経済域が拡大し、次々と新規のものが取り入れられ等でしょう。> ということですね。あくまでも、社会の動きのなかに、文化がある。 <文化の種別や内容そのものや、宗教の教義などとは、文化の発展盛衰とは基本的には関係がない。> ということですね。 <宗教の教義や指導者の見解は、社会が流動化すれば変わります。> ので、イスラム教やルネッサンスなどというものは、あまり意味を持たない(おそらく社会の動きの後から付いて来る)ものなのですね。 4大6大文明でも、お世話になりました。
- Streseman
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予備校の世界史講師が回答します >ギリシャ・ローマの時代に、ヨーロッパで明るい文化が確立されました。 残念ながら、これは不適切でしょう ギリシャ・ローマ時代の文化は決して明るいものではなく、ストイックさ・禁欲さを要請する文化が強いので、明るいというのは語弊があるでしょう 同時に、ギリシャ・ローマ時代の文化は、欧州文化というにはあまりにも局所的というしかないでしょう せいぜい、イタリアのローマ地域・コンスタンティノ^ブル近辺だけの文化というのが適切とも >その後、ヨーロッパは中世の時代に入ります。キリスト教の圧力が、ギリシャ・ローマの時代のヨーロッパの文化を押し潰したようです。文化の中心はイスラムに移動し、発展しました。 これも不適切です まず欧州中世文化通史を考える場合には、欧州文化はイスラム文化と常に緊張関係にあった、と考えるのが正しく、シフトした移動した、という表現は不適切です 確かに、中世欧州の先駆者であるホーエンシュオルレン家のフリードリッヒ2世などのイスラム文化に強く影響された為政者はいますが、欧州にイスラム文化が浸透する過程では、キリスト教文化が駆逐された形跡などは少ないと言えるでしょう 実際に、前期ルネサンス時代ではキリスト教的価値観・価値基盤が濃厚に指摘できるでしょう エラスムスの『愚神礼賛』にしても、キリスト教基盤から逸脱しえないものでしょう >その後、ヨーロッパではルネッサンスが始まり、あたかもイスラムに預けてあった文化を取り戻して、リバイバルしたようです。現在、ヨーロパ文明は世界に展開しています。イスラムは一旦花咲いた文化をヨーロッパに返してしまったような状況です。 不適切な理解と断言しましょう イスラムに預けた経緯は存在しませんので・・・ そもそも、リバイバルではなく、”復興”であるから、ニアンスは異なります。オマージュとリバイバルの相違性は英和辞典で細かいニアンスを調べるのが良いでしょう リバイバルは和製英語として誤用されていることが多く、本件もその事例です ちなみに、『イスラムは一旦花咲いた文化をヨーロッパに返してしまったような状況です。」という評論は、基本的には ”どういう見解でそう思うんだろう?”と確実に疑問視されるでしょうから、根本的に文化通史を勉強しなおすべきでしょう まず、小論文でこのような記述をしたら、不合格ですw >質問したいのは、一時は花が咲いたイスラム文化は、なぜ、停滞に陥ったのか、ということです。イスラム教の重みが悪影響しているのでしょうか? イスラムでもルネッサンスが必要なのでしょうか? イスラム文化が停滞したのは、単純に自然科学的な限界を迎えたことで指摘できるでしょう イスラム文化は基本的には、極めて当時にしては合理的な自然科学に依拠した傾向が強いと言えるでしょう しかし、神から離脱した自然科学を”いち早く”研鑽してきたイスラム社会でも限界を迎えるわけです その限界は、教育限界とも言えるでしょう。 特に顕著なのは、イスラム社会の『学問の都』であったアレクサンドリア・バクダードが政争で荒れてしまう歴史的経緯で指摘できるでしょう 政争を繰り返すムスリム王朝はやがて、学問の分野への政治施策を停滞させて、軍閥化・軍事国家化してゆく過程も指摘できるでしょう もっとも忘れてはならないことに、イスラム文化も所詮は、ギリシャ・ローマ文化(ヘレニズム文化)の承継文化という色合いが濃いことであって、イスラム独自という文化評論には適さないのです イスラム教の歴史的な経緯と文化については相関性は指摘できませんが、スフィーニズムがムスリムの原始的文化を継承しているなどの事実もあるでしょう 少しイスラム文化の停滞の一因として提示する意義があるものを指摘しますと、イブン・タイミーヤを筆頭に、イスラム社会が中世中期になって、濃度の高いイスラム哲学(政治哲学・法哲学・経済哲学)の隆盛と共に、文学などの娯楽性のある文化に対する偏見を誘導した部分も指摘できるでしょう。 つまり、文化たりえる文学などの娯楽性のある事象に対して排他的になった、という構造も指摘できるでしょう イスラム社会の合理性が、”娯楽を排除する思考(志向)に至った”と介するのも妥当でしょう なお、イスラム社会が近現代においても文化的に隆盛しない最大の理由は、”『女性論』の変化”に乏しいことを指摘する人もいるようで、説得力ある論説ではありましたが 残念ながらこの質問文からは、質問者の基礎的”文化通史”の誤認が顕著に見受けられるので、基礎から学び直すことを強く推奨します
お礼
早急な回答ありがとうございました。 <質問者の基礎的”文化通史”の誤認が顕著に見受けられる> は、図星です。歴史そのものも、まとまって考えたことがありません。 が、常に気になっていたことを、怖いもの知らずで、質問しました。 基礎知識が、不足しているため、回答者様の丁寧な説明を正確には理解できないかもしれません。 回答を、時間をかけて理解してゆくつもりです。 停滞の原因は、 <自然科学的な限界を迎えたこと> で、 <その限界は、教育限界> であり、それは <政争で荒れてしまう> ことによる。 他の要因として <娯楽性のある文化に対する偏見> や <”『女性論』の変化”に乏しいこと> もある。 そして、イスラム教の影響については、(この回答で直接には)言及されてなかった。 以上のように、理解しました。
お礼
早急な回答ありがとうございました。 <宗教の束縛が強いとダメ> ですね。 <イスラムの異常な宗教への依存心はマイナスです。> <文化上の反逆> が求められるのですね。 そして、宗教は <冠婚葬祭プラスアルファ> でよろしい、のですね。