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天才とその時代

歴史上にはある時代、ある場所に歴史に名を残す天才が集中して現れることがあります。たとえば軍事に関していえば古代では共和制のローマにスキピオ、スッラ、マリウス、ポンペイウス、カエサルと軍事の天才が現れますが、共和制ローマ以降はなぜか天才的な指揮官は現れません。文化ではたとえばギリシャ文明やルネッサンスのイタリアに絵画、彫刻、文芸の天才が集中し、しばらくするともう現れなくなります。こうした天才がある時期ある場所に集中するのはどうしてでしょうか。

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  • Pinhole-09
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回答No.6

No.1さんの答えの通り土壌があったことですね。 一つにはその時代が強く要求していたこと、 二つには文化なり技術なりその素地が十分に育っていたこと、 キリスト、釈迦、孔子の三大宗教始祖の輩出は、まさしく時代の要求があり、多くの宗教家や学者が論じていたところに、竿頭一歩踏み出してその要求に答えたわけです。 といってもその一歩の踏み出しが如何に難しいかは、科学者のはしくれであった私にはよく判ります。 アインシュタインの相対性理論も、当時の物理学を調べるとほんのすぐ側まで来ていながら、どうしても越えられなかった山を唯一のルートを見つけて越えたもので、天才中の天才としかいえません。  このお陰で懸案が次々と解決され、次の超難問がでるまで天才は現れないことになります。 天才の出現には問題の存在が必要です。 これとは別に脳の進化も関係しているかも知れません。 人間の脳の進化は環境が大幅に違わなければ、地域差はないのではないかと思います。?  となると古い時代では、同時期に各所で天才が輩出して問題を解決し、あと一休みというのも妥当のようですが。?

noname#70507
質問者

お礼

回答ありがとうございます。自分も物理を学ぶ学生として、相対論当時の状況は理解できるものがあります。確かに軍事がその時代のメインであれば軍事の天才が、芸術がその時代のメインであれば芸術の、科学がその時代のメインであれば科学の、宗教がその時代のメインであれば宗教の…というようなことはいえますね。結局、 (1)時代の要求する分野の問題(軍事、芸術、学問、宗教など)が存在し、 (2)大勢の人がその問題について考え評価しあうことで進歩的な考えが広まり、問題をとく土壌が広がり (3)その中に天才が現れ、後世におおきな業績を残す ということでしょうか。確かに天才の多く出現したアテネ、都市国家ローマ、フィレンツェは当時としては人、ものの行き交う文化、情報、学問の 中心として発展していたので、天才の生まれる条件はそろっていたと思います(いまではさしずめニューヨークあたりでしょうか)。そう考えると 現在の日本は戦国時代でも末法でもないので、軍事、宗教の天才は現れませんが、ビジネスの天才?は現れる土壌は育っているかもしれません。

その他の回答 (5)

  • tanuki4u
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回答No.5

歴史の価値観を決めるのは後世の人間である。 単純化すれば、新規分野開始は何人かの人々によって始められ、その新規分野が後世の人々に有益と判断されるとその人々は天才と定義される。そして、その新規分野は評価されずに埋もれるものもたくさんある。 Aの時代にいろいろな人がいろいろなことをした。 その後Bの時代の人が、このように判断する。 今のBの時代にとって重要なことを作り出したのはAの時代のこのカテゴリーの人々だから、この人々が新しく重要なことをやったので、この人々を天才と定義する。 ローマ帝国ができた段階で、ローマ帝国の人々にとって、重要なことは、ローマという帝国を成立させた軍人。だから、これらの人々を天才と呼ぼうとします。 カエサルなど軍人が排出した時代にも、当然詩人はいましたが、ローマ帝国の時代の人にとって、それらは不要なこと。だから天才とは呼ばない。 枕草子の清少納言、源氏物語の紫式部などは、現代から見れば、天才です。どうしてその時代に女流の文芸の天才が生まれたか・・・と現代では説明はできます。しかし、その当時、文芸といったら漢文のことであり、漢文を書ける人々が賞賛されました。ところが、その後、仮名で日本語の文芸がメインになったため、日本語での文芸を最初にやり出した人々はだれか?それをやり出した人が天才だとされ、彼女らは天才になった。 平安末期から鎌倉時代にかけていわゆる鎌倉新宗教の天才たちが輩出した。実際には、当時に於いてそれらの鎌倉新宗教の創始者たちの社会への影響力は小さいものであった。室町期以降、それらの創始者の子弟たちが、その宗教を大きくしたので、創始者は始祖として天才とされた。

noname#70507
質問者

お礼

回答ありがとうございます。確かに歴史を判断するのは後世の人間なのですがそれならモーツァルトやバッハ、ダヴィンチなどの、同時代の人(そしてわれわれも)を感動させた天才はどうなるのでしょうか。ある種の芸術作品は時代を超えた普遍的な価値を持つので、必ずしも後世の人の評価によるものとは思えません。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.4

治世の能臣、乱世の奸雄。という言葉がありますよ。

noname#70507
質問者

お礼

回答ありがとうございます。面白い言葉ですね。

  • caesar-x2
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回答No.3

そういうことはままありますね。 どうしてか?と聞かれても理由を 明確に答えることはできませんが。 前の方がいわれるように 切磋琢磨ということはあるでしょうし、 お互いに影響しあうこともあるでしょう。 ルネッサンス期の万能の天才なんか 特にそうでしょう。 革命期とか変動の時代に、 一気に人材があふれ出てくるのは 人類の防衛あるいは進化の本能の一つかもしれませんし、 運命論で語れる内容かもしれません。 興味深いですね。 ただ列挙されている中で天才指揮官と 呼べるのはカエサルだけですね。 あとは優秀な面もありますが、 天才というほどでは。

noname#70507
質問者

お礼

回答ありがとうございます。たしかに帝政に入るとローマでは天才指揮官が現れなくなりますね。平和になると活躍の場がなくなるのかもしれません。

  • myeyesonly
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回答No.2

こんにちは。 ある場所や時代に集中するという事ではなくて、一人すごい人が現れるとライバルが出現し、互いに刺激しあい、切磋琢磨してよりすごくなっていくって事じゃないでしょうか。

noname#70507
質問者

お礼

回答ありがとうございます。確かにぽつんと一人だけ現れた天才はアルキメデスのようにまれで、たいていは同時代にライバルがいますね。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

時代が求めているというか、能力を発揮しやすい時代だったということでしょう。 いくら能力があってもその能力を発揮する土壌がなければ世に知られないままに終ってしまいます。

noname#70507
質問者

お礼

回答ありがとうございます。たしかに世間に知られないで終わった天才は多いのかもしれません。