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なぜヨーロッパは世界を席巻したか
- ヨーロッパは、中央集権化や技術の遅れなどの要因があったにもかかわらず、15・16世紀の大航海時代を経て世界を席巻した。その理由は、被征服地域の内乱やヨーロッパ人の重火器の扱いの上手さ、そして被征服地の人々がキリスト教の魅力に惹かれたことなどが考えられる。
- ヨーロッパは、アジアに比べて中央集権化が遅れ、技術の普及も遅かった。さらに、イスラム教徒の征服やモンゴルの侵略にも敗れていた。しかし、15・16世紀の大航海時代を経て、ヨーロッパは海外植民地を持つほどの強大な存在となった。この理由には、被征服地域の内乱とヨーロッパ人の重火器の扱いの上手さが関係していると考えられる。
- ヨーロッパが世界を席巻した理由は複数存在する。まず、被征服地域が内乱状態にあったため、ヨーロッパはその隙を突いて征服を進めることができた。また、ヨーロッパ人は当時の最先端の技術である重火器の扱いに長けており、戦闘力が高かった。さらに、被征服地の人々がキリスト教の魅力に惹かれ、ヨーロッパの文化を受け入れることでヨーロッパの影響力が広がったと言われている。
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NO1の方の指摘している本は、「政治云々の前の大前提があるやろ!」という、もうそれはそれは 大鉈を振るう様な素敵な切り口の本です。面白いです。 さて、政治云々の話になりますと、政治的な偶然としてヨーロッパには、ついぞ「帝国」が成立しなかったという事もあります。 帝国の成立とは、競争の停止です。 中国史を見ていると、帝国の成立によって何が起こるかというと、粛軍であったり焚書抗儒だったりと、外に打って出ることを自粛します。 内乱が怖いから。 ヨーロッパは、帝国が成立しなかったので、常に「富国強兵」してないと、攻められるし、富国強兵で攻めて行きたいというインセンティブが生じます。 この、拡張主義がヨーロッパの統治者の中には常に存在しているからではないでしょうかね。
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- sudacyu
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17世紀における世界の強国は、中国の清王朝とインドのムガール帝国及びオスマン=トルコ帝国です。 これら三帝国は、ヨーロッパ全土に匹敵する国土の広さと人口を持っており、ヨーロッパ各国よりもはるかに強大でした。 当時、物の生産は、人間の力(家畜をサブとして使ってはいましたが)に頼っており、各国の生産力=国力=人口であったからです。 ところが、18世紀になって、イギリスから産業革命が起き、動力源に石炭を使うようになると、ヨーロッパは人口が少ないにもかかわらず、急激に各種主要産物の生産力を伸ばし、ヨーロッパで生産した物資を船で運んで持ち込んでも、トルコやインドの生産物よりも安い値段で供給できるようになり、トルコやインドでは、工場制手工業による基礎生活物資の生産(綿布など)が、急速に衰退していきます。 ヨーロッパ各国は、この工業化による経済力を背景に、アジア各国の港湾・商業都市を一つ、また一つと、支配を拡大していき、アジア各国は消費物資生産国から工業原料生産国へと転落していきました。 19世紀には、イギリスがインド全土を支配下に置き、インド帝国(皇帝は、イギリスのヴィクトリア女王)が成立し、更にヨーロッパから遠い、最後に残ったアジアの巨大帝国である清王朝も、ヨーロッパ列強のが利権獲得の場と化します。
- murskkaoru
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なかなか面白い問題設定ですね。 多分大学入試問題でもそれは密かな、しかし大きなテーマなのだと思います。 今年の東大の大論述は、13世紀のイスラムとヨーロッパ世界との接触を取り上げていますし、どこの大学だったかは、17世紀を取り上げています。いずれも、問題設定のベースには、おっしゃるような、なぜヨーロッパ世界が動いたのか。というところの問題意識が必要だろうと思います。 管見では、モンゴルの勢力拡張は、たとえば「補給線」などの問題で限界があったのではないでしょうか。征服する実力があったとしても、「平定」を維持する力はまた別物だろうと思います。 そういう意味で、「平定」を維持する力を持つに到ったのはヨーロッパ人で、ムスリムの平和なインド洋を暴力的に簒奪したポルトガル人からがいわゆる「世界史」になるのではないでしょうか。 当時のヨーロッパ人にそれほどの実力があったとも思えないですが、入試突破力と同じに、目的意識というか、気合というか、成し遂げる力がヨーロッパ人にはあった、育っていた、ということなのではないでしょうか。 その一つは、ルネサンスと宗教改革セットです。これの根底には、今の若者用語の「リア充」なのではないでしょうか。将来の天国での平安を望むのは当然としても、<今ここで>どう生きるかに比重を移し始めたキリスト教徒、というのがルネサンス人なのではないかと考えます。当然それを補強するのが自ら聖書を読みたい、と考えるプロテスタントです。特にカルヴァン派が<経済人>に広がることとこれは深く結びついています。 なかなか面白いテーマです。
- aburakuni
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現在の自由経済下での企業の消長にも言える事ですが、競争原理が働いたと言う事があるのでしょう。 ローマ帝国以来「大国」が成立せず、その後の大権力カトリック教会も宗教改革により勢力を弱め、自由な発想で成長に向けたギャンブルを、国として仕掛ける事が可能になったため「当り」が出た訳です。 もう一つの要因としては、地中海と言う外洋と変わらない内海を活動圏として持っていたため、外洋への進出が行なわれる素地があった事も大きいですね。 そもそもインドに向かう陸路が確保出来ないために海路を開発し米大陸を発見しそれが発展の礎になった訳で、現在の企業盛衰になぞらえれば、本業のスーパーではダイエーに引き離されていたヨーカドーが、コンビニと言う始めはマイナーな新分野で大成功し、流通業界の勝者と言われるようになった事を連想してしまいます(規模は違いますが)。 既にご指摘がありましたが大陸国家では海洋への関心は低く、特に中国は海での漁業は卑賤なものと言う考えがあり、それ故ナマコやフカヒレなどの中華食材についても日本製が珍重される事になった訳です。 航行能力で言えばアフリカまで行けたのですが、それは調査航海で貿易をする必要は中国側には無いと言う考えがあり、経済的必要性による技術発展が行なわれなかった事が、欧州諸国の侵略を招いてしまった一つの原因となりました。
- sosdada
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ジャレド・ダイアモンドの名著『銃・病原菌・鉄』(上・下。草思社)が、それに答えてくれるでしょう。数々の賞をとった、大変示唆に富む本です。 ここで2000字以内でまとめることはできませんが、ものすごく大雑把に紹介すると、 1.温暖な気候の緯度で大陸が横長だったので、移動しやすかった。アフリカや南北アメリカやインドは縦長なので、同じ作物の伝播に不向きだった。 2.鉄を発見したのはダマスカスだが、製鉄に向く燃料用の高温で燃える松などの木があった。また、鉄鉱石も早く発見した。 3.小麦という、大量栽培に適した植物があった。 4.牛、馬、ヤギ、羊といった、人になれる大型動物の種類が多かった。シマウマやヌーはヒトに馴れない。 5.地中海やエーゲ海で大昔から船の技術が発達していた。中国やペルシャやインドは陸上移動が主。 こういう、偶然が重なったというのです。 また、私見ですがそれ以外にも、乳製品を吸収するのに必要なラクトフェリンが成人してからも腸内から消えない体質である。乳は哺乳類では幼時にしか必要ないので、普通は哺乳類は大人になると消える。寒冷地や乾燥地帯では食糧の貯蔵が難しくチーズなどの乳製品が発達したのもこれによる。高カロリーの保存食です。 ヨーロッパ全土が統一されなかった。インドや中国との大きな違いです。フェリペ2世もカイゼル・ウィルヘルムもできなかったので、個々の国が競ってヨーロッパ以外に進出した。中国やインドは統一してしまうと、国内経営が大変で、海外進出どころではなかった。 こういったところでしょうか。