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不平等条約について
1894年にイギリスとの間で領事裁判権が撤廃されたということですが、不平等条約はほかの国々とも結んでいますよね?? 他の国々もイギリスと同じぐらいの時期に、不平等条約を日本との間で撤廃したんですか? そうだとするなら、何で次々と撤廃したのでしょうか。 回答お願いします
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バスに乗り遅れるなってことです。イギリスに遅れを取りたくなかったからです。19世紀後半の帝国主義業界では欧米列強はアジア・アフリカ諸国に対して激烈な進出競争を繰り広げていました。激しい先陣争いに敗れた欧米列強はせめて遅れを取りたくないとばかりに俺も俺もと首を突っ込んできました。日本に対しては、それが安政の五カ国条約だったわけです。当初は米英仏露蘭の五カ国だけでしたが、その後ポルトガルやプロシアや他の諸国も俺も俺もと同等の条約を日本を結ぼうとして、そうなりました。 同じことです。欧米列強は不平等条約に拘っていたんじゃないんです。自国だけが置いていかれないことに拘っていたんです。 領事裁判権それ自体は何も貿易の利益につながりません。しかしイギリスが抜け駆けして契約を更改しました。日英修好通商条約から日英通商航海条約への更改です。この事態を黙ってみていれば、イギリスだけが対日貿易で有利な立場に立ってしまうのです。それは他の欧米列強にすれば許されない事態です。だから俺も俺もとイギリス同様の条約を結ぼうと首を乗り出してきた。それだけのことです。
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- gshy1208
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あなたが最初の質問に書いていたと思いますが、日清戦争に日本が勝利したことが大きく影響していますね。 清は当時、アジアの大国であり「眠れる獅子」と欧米列強国に恐れられていました。 ちっぽけな島国の日本が清と戦争して勝利したことによって各国の見方が変わったのです。 清は「眠れる獅子」から「死する豚」とまでいわれるようになったのです。 イギリスが治外法権を撤廃したなら、と、次々と列強もそれに続いたわけですね。 また、日本政府の外交努力も忘れてはいけませんよね。
お礼
先ほども回答してくださった方ですか! 「死する豚」とは凄いかわりようですねw この時代では「戦争に勝つ」ってものすごい影響力だったんですね ありがとうございます
- jkpawapuro
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なぜって不平等条約の撤廃は列強に加わり他国と対等に付き合うために必須のもので、明治政府の悲願です。 1894年から翌1895年にかけて、各国と新条約を結び領事裁判権を撤廃しています。
お礼
対等でなかったら列強に加わることもできないですもんね・・・ ありがとうございました
- Kirby64
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やっぱこの人のおかげでしょ! http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E5%A5%A5%E5%AE%97%E5%85%89#.E5.A4.96.E7.9B.B8.E6.99.82.E4.BB.A3
お礼
教科書でよく出てくる人ですね!! ありがとうございました
お礼
今まで歴史って遠い様な感じだったのですが、「自分だけ置いてかれないように」という考えは今の時代と同じですね!! なんか面白いです ありがとうございます